ほぼ日 |
ぼく(武井)昭和41年生まれですけど、
この洗濯機覚えてます。 |
新田 |
絞り機付きの。 |
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ほぼ日 |
ええ、絞り機付きの。
ローラーが2個付いてて、
そこに濡れた洗濯物を通す。
ハンドルを回すと、
パスタマシンみたいに
ぺっちゃんこになった洗濯物が
出てくるんですよね。
つまり脱水槽以前なんですね。
たいして絞れなかった気がしますけど。 |
新田 |
学校の掃除で、モップなんかを洗う
絞り機付きのバケツがありましたよね。
あれと同じですね。 |
ほぼ日 |
家電のコーナーに来ると、
技術が進歩して、世の中が明るくなって、
可能性の高まりや、未来への希望、
みたいなことをみんなが胸に抱いて
開発しまくって買いまくった、
って感じがすごく伝わってきましたよ。 |
新田 |
ええ。このあたりになると、
世代的にも「知ってる!」
という方が増えますね。 |
ほぼ日 |
「うちにあるものがガラスの中に入って
展示されてた」
ってことを面白がってくれた人も(笑)。 |
新田 |
ケースは意図して使ったんです。
やっぱり日常的なもの、
近い時代のものほど、
どこの博物館に行っても、
ケースに入れずに展示しますよね。
でもケースで仕切ることによって、
そのものを「物」として
際立たせたいと思ったんです。 |
ほぼ日 |
その効果はすごく感じました。
「うちにもあるわよ、これ。今もあるわよ」
って言う人が、家に帰った時に
見方が変わると思うんですよ。 |
新田 |
ええ。 |
ほぼ日 |
歴史とか文化とかと
地続きの自分を認識するんじゃないかな、
と思うんです。
すごくいいことだなあと思ったんですよ、
それが。 |
新田 |
それがまた難しいところもあるんですよ。
博物館で展示をするっていうのは
ある種どうしても意図があるわけです。
物の並び順ひとつにしても。
たとえば江戸時代のものを並べるなら、
もう覚えている人がいらっしゃらないので、
学芸員の意図をそのまま
伝えることができます。
けれども、こういう家電というのは、
実際に使ってこられたみなさんが
ごらんになるわけですよね。
みなさんの「気持ち」があるだけに‥‥ |
ほぼ日 |
ツッコミが入る(笑)? |
新田 |
(笑)それぞれの経験っていうのは
否定できませんからね。
そこを考えながら、意図をもって並べる、
それがすごく難しかったです。 |
ほぼ日 |
でも、あんまりそこを感じ過ぎちゃうと、
逃げ腰になりそうですよね。
ぼくはそこは、新田さんたちの強気を
感じながら見ましたよ。 |
新田 |
ええ。まあ腹はくくって出しましたけど。 |
ほぼ日 |
じゃあ、すこし例をあげて
見ていってもいいですか。
いまのぼくらが見ると、
「古い」「新しい」の垣根を超えて
いいなと思うものがいっぱいありましたね。
先祖返りというか、
レトロなデザインを、あとから、
あえて採用したようなものもあって。 |
新田 |
そうですね。
レトロなデザインの流行は
1987年くらいからかな。 |
ほぼ日 |
80年代の終わり。
古道具的なものも流行ったし、
なんていうんだろう、
一回全部消費しつくして、
デザインも出しきっちゃったんで、
昔のデザインを再評価するように
なったのかもしれないですね。
冷蔵庫なんかも、展示してあるワンドアの、
丸みを帯びたデザイン、
あれ、いま新製品であっても新鮮に見えます。 |
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新田 |
そうですね。
冷蔵庫はワンドアに始まって
冷凍庫が分かれるのは
あとになってからですね。
ちなみに戦前の冷蔵庫っていうのは、
コンプレッサーとモーターが
上に乗っかってたんですよ。 |
ほぼ日 |
上に、筒状のドラムみたいなやつが
入ってる? |
新田 |
そうですそうです。
昭和の初期に日本に入って来て、
それこそ小林孝子さんの資料にも
入っていましたが、そのくらいの時代です。 |
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ほぼ日 |
家電のコーナーを見ていて強く感じたのが
「アメリカ」ってことなんです。
これって、明らかに「アメリカ」ですよね。 |
新田 |
そうですね。 |
ほぼ日 |
昭和の後半に入って来たものって
全部「アメリカ」なんですよ。
日本って明治、大正辺りまでの
カフェの文化っていうのは、
ヨーロッパの影響を
ものすごく受けてますよね。
だいたい、明治の法律とか学校制度とかも
全部ヨーロッパですよね。
ところが戦争に負けたあとに
全部アメリカになるんですよね。 |
新田 |
そうですね。 |
ほぼ日 |
それの著しいのが家電だったんです。
生まれはどこかわからないけれども、
アメリカ経由の匂いがして。
ジューサーとかミキサーとか。 |
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新田 |
何でも道具作っちゃうところが
アメリカですよね。
家電には、アメリカの文化がかなり
影響していますよ。 |
ほぼ日 |
ジューサーなんてね、
果汁を飲むなんて食文化、
なかったわけですよね。
果汁を搾って飲むっていうのは。 |
新田 |
日本人は、果物を摂ろうと思えば
ちゃんと剥いて噛んで食べてましたからね。
これがアメリカの大量消費文化で
混ぜて飲んじゃいましょう、
という発想が入って来たんですね。
野菜もなんでもかんでもまるごと絞って
飲んじゃいましょう、って。 |
ほぼ日 |
それでもうひとつ思ったのが、
家庭が、台所が、
うるさくなったなあってこと。
冷蔵庫はいつもうなってるし、
ジューサーもミキサーも爆音だったし。 |
新田 |
東芝の社史に書かれていたんですが、
このミキサーが出た頃、
「ハウザー食」っていうのが
流行ったらしいんですよ。 |
ほぼ日 |
ハウザー食って何ですか? |
新田 |
栄養学者のハウザー博士が提唱した
強化牛乳のようです。
脱脂粉乳に水、はちみつ、ヨーグルトを混ぜ
栄養を強化したもので。
それを混ぜるのにミキサーが
活躍したのかもしれないですね。 |
ほぼ日 |
そういうバックグラウンドがあっての
家電だったんですね。
戦争が終わって、高度成長へ向けて、
一丸となってる感じがしますね。
あ、ロゴが違いますね、東芝の。
デザインも洗練されていますね。 |
新田 |
こちらの炊飯釜なんかはその後
グッドデザイン賞をとっていますよ。 |
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ほぼ日 |
古びてないですよね。
今でもすごくいいですよね。 |
新田 |
これはほんとに「機能美」ですね。
この先の時代に、前回の「花柄」が
出て来るんですよ。
装飾の世界の一歩手前で、
機能の持つ美しさっていうのが出てる。 |
ほぼ日 |
きれいですよね。
この原点って「いいアメリカ」
だと思うんですよ。 |
新田 |
この辺の電気コンロも、
もう古びちゃってはいますけれど、
すごくきれいですよね。 |
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ほぼ日 |
シンプルで。 |
新田 |
脚が細くて。 |
ほぼ日 |
最初は、デザインを、多分、
とってもがんばって
真似したんだと思うんですよ。 |
新田 |
ええ。そして、日本独自の
炊飯器みたいなオリジナルなものも
出て来る時なんですよね。
それは逆に日本が広めた文化に
なっていくんですよ。 |
ほぼ日 |
あ、そりゃそうですね。
炊飯器はアメリカにはない。 |
新田 |
お米を炊くための機械ですから、
アメリカにはなかった。
日本で生まれて、世界に広まったんです。 |
ほぼ日 |
これ、いまだにアジアの人って
日本のお土産に買って行きますよね。 |
新田 |
ええ。秋葉原辺りでね。
アジアの方のインディカ米の
文化っていうのは、
米を煮る文化じゃないですか。
米を煮て余分な煮汁を出して、
あのさらさらなインディカ米のごはんが
できるんだけど、
この機械作っちゃったから
インディカ米で「煮る」じゃなくて
「炊く」ってことをする人が出て来たんです。 |
ほぼ日 |
うんうん。 |
新田 |
この家電が、他国の食文化を変えちゃった。
とにかくこれは初期から、
海外でも人気が高かったんですよ。
昭和32、3年あたりには
東南アジアとかアメリカに
輸出されたらしいんですよ。 |
ほぼ日 |
東南アジア! |
新田 |
ええ。ちなみにイラン向けの炊飯機には
工夫があって、何ができるかっていうと
初めからおこげができるようになってる。
サーモスタットが、電源を切るタイミングを
ずらしているんです。 |
ほぼ日 |
おこげ好きなんですね、きっとね(笑)。
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新田 |
そういう国独自の文化っていうのが
家電として形になるんですね。 |