江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

テーマ10 パンダが東京にやってきた!

「カワイイ」ブームのはしり?

いよいよ江戸東京博物館の「東京流行生活展」
11月16日をもって終了です。
最後の最後のぎりぎりになってしまいましたが
「ほぼ日」での「東京流行生活展」の解説も
今回で最終回となりました。
最後を飾るのは「パンダ」。
おもわず「かわいい!」と声がもれる
ランランのはく製について
学芸員の新田さんにお話をおききしてきました!

ほぼ日 いよいよ今回で、この特集も最後です。
この展覧会のアイドル的なものを
探すとすれば、やっぱり
「パンダ」になりますよね。
最後に展示されている、ランランのはく製、
感激しました。
新田 ランランを同時代で知っている人には、
あの距離で見れるっていうのは
ありえないことでしたからね。
ほぼ日 それで、こうして取材をさせていただいて
気がついたんですけれど、
この展覧会、学芸員の皆さんの私物も
展示されてるんじゃないですか?
新田 その通りです(笑)。
展示品のぬいぐるみは学芸員の広報担当者、
サンダルがぼく、写真は小山。
みんなで持ちよって。
ほぼ日 よく残っていましたね。
写真はともかく、ぬいぐるみやサンダル。
ふつう捨てますよ。さすが学芸員の家。
新田 家じゅう探した甲斐がありました(笑)。
ほぼ日 これね、でもね、
微妙に間違ったパンダなんですよね。
新田 そうなんですよ!
ほぼ日 資料で見せていただいた古い『an・an』の
広告にもありましたね。
カンカン・ランランの来日以前のもので、
イラストが、なんというか、
実物を見ないで描いたんだろうなという。


↑↓昭和46年の広告のパンダ。 かなりあやしい。

新田 昭和46年の『an・an』ですね。
もともと『an・an』は
パンダがマークなんですけれど、
そのマークはとてもよく描けている。
けれど、一般的な表現としては、
当時のパンダって、ちょっと間違ってますね。

↑『an・an』のマークはパンダらしいパンダ。
 大橋歩さんがデザインなさったそうです。
ほぼ日 間違ったパンダ(笑)。
前髪がありますよね。
「ファービー」みたいですよ、これ。
新田 しっぽが黒いし、耳も白で抜かれてますしね。
ほぼ日 あ、ほんとだ。
新田 擬人化しているんでしょうね。
眉毛やまつ毛がついてたり。
みつばちハッチとか、
竜の子プロの顔の表現に似ていますね。
誰も、知らなかったんですね。
ひとえに情報がなかったっていうのが
当時のイラストを見るとわかります。
でも、パンダ来日以後も、
こういう表現は多いんですよ。
このビーチサンダルは昭和48年の
夏に使ったものなんですけれど。
ほぼ日 パンダ初来日が昭和47年なのに。
誰も疑問に思わなかったんですよね。
記号化しやすい動物なので、
多少間違えても、これはパンダって
わかるから、大丈夫だったんでしょうね。
新田 ハートのネックレスをして帽子をかぶり
ビーチサンダル履いてますからね‥‥
擬人化にもほどがある(笑)。
ほぼ日 それぐらい、キャラクターに
なってたんですよね。
けれど、普通、キャラクターって、
キティちゃんだとか、スヌーピーとか、
ミッキーマウスとか、
個人でしょ? 人じゃないけど。
でもパンダって、
「パンダの何ちゃん」じゃなくて、
パンダそのものだったんですよ。
特定のキャラクターじゃなかった。
パンダそのものが
キャラクターになってるんです。
だから統一がとれてない。
パンダに関してはもう、勝手、みんな(笑)。
すごい流行ですよ。
新田 そうですね。パンダをなぜ
取り上げたかっていうと、
家電のところでも、高級化と同時に
ファンシーへの道もありましたよね。
台所では花柄のブームがあり、
家電にプラスティックデザインが入り。
ファンシーなものが流行しはじめた。
その象徴がパンダなんじゃないかと。
ファンシーなものに目を向けて、
それをもとに物を買うようになったのは、
まあもちろんその前からはあるでしょうけど、
やっぱパンダの影響って
すごく大きいと思ったんですよ。
ほぼ日 そうですよね。
パンダが最初とはいわないけれど。
新田 あと、パンダっていうのが、
きわめて東京的な動物だったんです。
今は南紀のほうと神戸にいますけど、
それまで長い間パンダといえば
上野っていうものだった。
パンダっていう動物がメディアになって、
東京から発信され、
日本中で大事にされてたっていう
ことなんじゃないかと思うんです。
で、当時のパンダブームの広がりを、
物であらわすために、
パンダグッズを集めようと思ったんですよ。
でも、ネット系のオークションでは
見つかるんですけれど
そうやって入手することはちょっと違う。
古道具屋さんのものは、
どこで誰が持ってたものなのか
わからない。
そこでスタッフに声をかけたんです。
ほぼ日 今回の展示品は、物の来歴の解説も
できるかぎりされていましたものね。
新田 そういう意味では、パンダグッズを期待して
展覧会に来ていただくお客さんには、
ちょっと違うかもしれないんですけど、
パンダってものを実際にどういうふうに
人は受け取っていたのかっていうのを、
中の職員を中心に声をかけて、
持っていた時期とか、思い出とか、
そういうのがわかるものを
とにかく置いていこうと考えました。
ほぼ日 なるほど、なるほど。
新田 そこで、やっぱり、なんといっても
いっぱい出てきたのはぬいぐるみ。
ほぼ日 やっぱりパンダって、思い出すと
すごく嬉しい思い出だし、
いい思い出ですよね、
父と一緒に行ったとか、
おばあちゃんちの帰りに
上野動物園に行ったとか。
すごく嬉しくなりますよね、
パンダって聞くとね。
それから、東京に行く目的になったんですよ。
東京に遊びに行こうと思った、
地方在住の人たちにとって。
新田 今のディズニーランド的な機能を、
上野動物園が持っていたんですね。
ほぼ日 すっごい混んでて、
一回断念したのを憶えてますね。
2回ぐらい行って。
ほんとまさしく昭和47年、
毎日新聞社の写真に
「本日パンダをごらんになる方は
 ここまでです」っていう
プラカードが写っていましたね。
パンダのブームは、初代の
カンカン・ランラン以後、
何度かありましたよね。
新田 上野動物園の動物園協会が出している、
『ジャイアントパンダの飼育』
って本があるんですけれど‥‥
ほぼ日 『ジャイアントパンダの飼育』!
そんなマニュアル(笑)。
そんなのを読んでも、
飼育できないんだけど(笑)。
新田 (笑)けっこう色々なことが書かれてまして、
「飼育管理」「発情・ペアリング」
「繁殖と仔の成長」「パンダの生物学」
「社会現象としてのパンダ」
──そんな論文が掲載されています。
財団法人東京動物園協会理事長の
中川志郎さんが書かれていて。
この本は当時のパンダブームの
いろんなことを教えてくれるんですけど、
パンダブームを、第1次、第2次、
第3次ブームっていうふうに分類してますね。
で、第1次ブームが、来たばっかりのとき。
ほぼ日 昭和47年ですね。
新田 はい、47年の9月から、
48年の3月ぐらいまで。
で、第2次ブームっていうのが、
アメリカのワシントン動物園で、
パンダの繁殖に成功したんですよね。
ほぼ日 おー、そういうニュースが。
新田 で、パンダの赤ちゃんに対する
期待っていうことで、
ランランとカンカンが同居したって
いうところがニュースになって。
つまり、ベビーを期待するっていうブーム。
第3次ブームはランランとカンカンの
時代じゃなくて、
ホァンホァンとフェイフェイの間に
トントンが生まれたっていう。
これが、1985年の6月から
87年の末ぐらいです。
今回の展覧会で取り扱ってるのは、
主に第1次ブームです。
さきほど、パンダの何ちゃん、
というキャラクター商品がないという
話が出ましたけれど、
「ランラングッズ」「カンカングッズ」
なんていうものもなかったんですよ。
ほぼ日 言われてみれば、そうですね。
新田 なぜかっていうと、
ランランとカンカンっていうのを、
動物園が知らない間に、
他のところに商標登録されちゃって。
名前が使えなかったんだそうです。
ほぼ日 あらま!
新田 あと、子どもへの期待が高まったときに、
親子のパンダのぬいぐるみを
ミュージアムショップで
グッズで売ろうとしたところ、
すでに「親子パンダ」
「パンダの親子」
「親子パンダちゃん」という名前で
商標登録と意匠登録がされて、
それが作れないとかっていう。
もう最高裁までいっちゃったみたいな
話があったりとか。
ほぼ日 で、駄目だったんですか?
新田 結局売らなかったみたいですね。
ほぼ日 あらまー。
新田 ええ。で、トントンを名付けるときには、
もう、ぜんぶ商標を調べて、
いろんな種類の取れるものを取ったと。
まあ、ひじょうに社会現象としての
パンダなんです(笑)。
ほぼ日 すごいですね‥‥。
新田 ちょっと裏話になっちゃいましたね(笑)。
ぬいぐるみの話に戻りましょうか。
まず、こっちのパンダのぬいぐるみ。
ほぼ日 千葉県千葉市在住の女子のもの。
新田 お父さんが並んで買ってきてくれたもので。
物自体は中国製。だから、しっかりと
パンダのかたちができてますよね。
ほぼ日 リアルパンダだ。
動物的な感じ。
顔の大きさと体のバランスとかが、
すごくちゃんとしてますよね。
新田 見てきた人が作ってますよね。
日本人にはこれ、作れなかったと
思うんですけど。
ただ、リアル過ぎたのか、
小っちゃくてギュッとしてたので、
触りづらかったのか、
嫌いだったって言ってましたね(笑)。
ほぼ日 置物っぽいのかな(笑)。
新田 次は学芸員の持っていたパンダなんですけど、
来日直後のものですね。
この時期の特徴があって、
日本人がこのころパンダってものを見て、
擬人化したタイプでとらえたのと、
パンダの愛くるしさっていうのを
強調するために、
やたら垂れ目にしちゃったんです。
ほぼ日 あの、顎まで黒くなってますよ?
黒い涙みたい(笑)。
あるいは、頬髭みたい。
わかりやすくしたかったんですねー。
新田 その垂れ下がりっていうのが、
角度がさらに抽象化してくと、
もう真下に垂れてく(笑)。
ほぼ日 それでもパンダに見えますからねえ。
口も縦に開いていて、クマのはずなのに
そうとう妙なことになってます。
新田 あとは、タータンチェックの
オーバーオールを着て、帽子をかぶった
水森亜土風のパンダとかもいましたよ。
ほぼ日 ファンシー化が浸透していくんだ。
亡くなってはく製になったランランは
全国を巡回したんですね?
新田 そうですね。あの、これも
「社会現象としてのパンダ」に
詳しいことが書いてあるんです。
昭和54年に死んじゃったんですね。
雄のカンカンを残して
先に死んじゃうんですけど、
直接の死因は尿毒症っていう症状なんですが、
パンダに子どもを期待するっていう
ブームがあって、結局、
妊娠中毒症みたいなかたちで
お腹に赤ちゃんを抱えたまま
死んでしまったんです。
パンダっていうのは当時にしてみると、
今と比べものにならないくらい、
もう国民的なアイドルだったんで、
死んだあとに、どうするかっていうのも、
ひじょうに慎重に
ことが進められたみたいですね。
はく製にするのって
残酷じゃないかっていう批判もあって。
ほぼ日 議論沸騰。
新田 慎重に議論した末に、
骨格標本のほうは、研究施設がある
上野動物園に置いて、
はく製は、多摩のほうで公開しようと。
ほぼ日 はく製って、中は何が詰ってるんですか?
新田 ええと、これね、
プラスティックのフレームの上に、
毛皮を貼ったんじゃないのかな?
ほぼ日 すごくかわいくできてますよね。
新田 そうですね、ほんとに出来上がりが
すごく良かったっていうことで、
議論していたときに思っていたような
かわいそうなものにはならなかった。
それで公開されることになったようです。
ほぼ日 国民の思いや、
愛情を確認するためのものとして
きちんと出来上がったから、
一般公開できたんでしょうね。
新田 それで全国巡回が始まるんです。
生きてる間っていうのは、
パンダって敏感な動物ですから、
生きたまま各県を巡回するということが
できなかった。
死んでしまってはく製っていう
かたちになって、地方の動物園に
巡回していくんですけども、
1981年に貸出しが始まって、
長野県大町市立山岳博物館他11ヶ所で、
展示期間合計216日。
で、216日のあいだの観覧者数が
28万7千人。
ほぼ日 えっ! すごい。
新田 で、その翌年は、
姫路市立動物園他12ヶ所、
185日で45万6千9百人。
ほぼ日 はぁ〜!
ほぼ日 すごいなぁ。
新田 で、83年には144日で、
動員観客者数が42万9千8百人。
だんだんすごくなってきますよね。
ほぼ日 はぁ〜、すごいですねぇ。
新田 まあ、というのも、パンダってそもそも
中国政府から日本政府に
贈られてきたときには、
日本国人民のためにっていうかたちで
贈られたものなんです。
つまり、パンダって、
べつに東京都のものでもないわけなんだけど、
なぜかどさくさで上野で預かってくれって
ことになったらしいんですよ。
で、博物館もそうなんですけど、
動物園もですね、備品登録っていうことを
するんですよ。動物なんですけど、
それは動物登録台帳みたいなのに、
動物の名前とかを入れていくんですよ。
それが、ぜんぜんない状態で、飼われてた。
どこのものでもない状態で、
上野にいたんですよ。
ほぼ日 東京発信の流行だけれども。
新田 ほんとうは日本全体のものだった。
はく製というかたちになって、
やっと、全国を巡回できたんです。
この写真は、昭和57年、東京流行生活展の
大正・昭和の担当の小山が、
まだ小学校上がる前だったのかな?
高知に巡回したときに
見に行った記念写真なんです。
ほぼ日 パンダ、ほんとにかわいいですよね。
ああ、パンダが果たした役割って、
大っきかったんだなぁ。
新田 最後のパンダのはく製っていうのは、
そういう意味なんです。
つまり、東京から発信してた
パンダのかわいらしさっていうのを、
受け取った全国の人たちに、
亡くなった後のランランが
会いに行ったんだよ、って。
ほぼ日 今回はほんとうにありがとうございました。
長い時間、とっても面白く
聞かせていただきました。
すんごい詳しくなっちゃった、
東京の流行に。
ほんとに今回取り上げられなかったテーマが
いっぱいあったのが残念です。
オリンピックだとか、洋服のことだとか。
もう会期も終了間際なんですけど、
ぜひ、これを読んだ方で来てない人は、
来て欲しいなぁと思いますね。
新田 よろしくお願いいたします。
うーん、やっぱ、たぶんもしかして、
こういう展覧会って
二度とできないかもしれないんで(笑)。
ほぼ日 やっぱり、こういう、物を通して見ると、
こういうふうに暮らしてたんだっていうのが
すごくわかりやすいですよね。
別世界じゃない、
自分と繋がってることなんだなって、
すごくよくわかりました。
あと、学芸員さんたちの仕事の仕方が、
すごくよくわかって面白かったです。
次は、何をなさるんですか?
新田 平賀源内展を開きます。
ほぼ日 うひゃー。それはまた面白そうですね。
またお話を聞きにきてもいいですか?
新田 どうぞどうぞ。ぜひともよろしく
お願いいたします。
ほぼ日 ありがとうございました!!

これをもって「東京流行生活展」の紹介は終了です。
「江戸が知りたい。東京ってなんだ?!」は
これからも、続きますので、どうぞお楽しみに。
じつは「平賀源内展」についても
このあと、話がすすみ、「ほぼ日」といっしょに
江戸東京博物館で面白いことをしましょう!
ということになっているのです。
近々、お知らせしますので、お待ちくださいね〜〜!

2003-11-14-FRI

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