ほぼ日 |
いよいよ今回で、この特集も最後です。
この展覧会のアイドル的なものを
探すとすれば、やっぱり
「パンダ」になりますよね。
最後に展示されている、ランランのはく製、
感激しました。 |
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新田 |
ランランを同時代で知っている人には、
あの距離で見れるっていうのは
ありえないことでしたからね。 |
ほぼ日 |
それで、こうして取材をさせていただいて
気がついたんですけれど、
この展覧会、学芸員の皆さんの私物も
展示されてるんじゃないですか? |
新田 |
その通りです(笑)。
展示品のぬいぐるみは学芸員の広報担当者、
サンダルがぼく、写真は小山。
みんなで持ちよって。 |
ほぼ日 |
よく残っていましたね。
写真はともかく、ぬいぐるみやサンダル。
ふつう捨てますよ。さすが学芸員の家。 |
新田 |
家じゅう探した甲斐がありました(笑)。 |
ほぼ日 |
これね、でもね、
微妙に間違ったパンダなんですよね。 |
新田 |
そうなんですよ! |
ほぼ日 |
資料で見せていただいた古い『an・an』の
広告にもありましたね。
カンカン・ランランの来日以前のもので、
イラストが、なんというか、
実物を見ないで描いたんだろうなという。 |
↑↓昭和46年の広告のパンダ。 かなりあやしい。 |
新田 |
昭和46年の『an・an』ですね。
もともと『an・an』は
パンダがマークなんですけれど、
そのマークはとてもよく描けている。
けれど、一般的な表現としては、
当時のパンダって、ちょっと間違ってますね。 |
↑『an・an』のマークはパンダらしいパンダ。
大橋歩さんがデザインなさったそうです。
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ほぼ日 |
間違ったパンダ(笑)。
前髪がありますよね。
「ファービー」みたいですよ、これ。 |
新田 |
しっぽが黒いし、耳も白で抜かれてますしね。 |
ほぼ日 |
あ、ほんとだ。 |
新田 |
擬人化しているんでしょうね。
眉毛やまつ毛がついてたり。
みつばちハッチとか、
竜の子プロの顔の表現に似ていますね。
誰も、知らなかったんですね。
ひとえに情報がなかったっていうのが
当時のイラストを見るとわかります。
でも、パンダ来日以後も、
こういう表現は多いんですよ。
このビーチサンダルは昭和48年の
夏に使ったものなんですけれど。 |
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ほぼ日 |
パンダ初来日が昭和47年なのに。
誰も疑問に思わなかったんですよね。
記号化しやすい動物なので、
多少間違えても、これはパンダって
わかるから、大丈夫だったんでしょうね。 |
新田 |
ハートのネックレスをして帽子をかぶり
ビーチサンダル履いてますからね‥‥
擬人化にもほどがある(笑)。 |
ほぼ日 |
それぐらい、キャラクターに
なってたんですよね。
けれど、普通、キャラクターって、
キティちゃんだとか、スヌーピーとか、
ミッキーマウスとか、
個人でしょ? 人じゃないけど。
でもパンダって、
「パンダの何ちゃん」じゃなくて、
パンダそのものだったんですよ。
特定のキャラクターじゃなかった。
パンダそのものが
キャラクターになってるんです。
だから統一がとれてない。
パンダに関してはもう、勝手、みんな(笑)。
すごい流行ですよ。 |
新田 |
そうですね。パンダをなぜ
取り上げたかっていうと、
家電のところでも、高級化と同時に
ファンシーへの道もありましたよね。
台所では花柄のブームがあり、
家電にプラスティックデザインが入り。
ファンシーなものが流行しはじめた。
その象徴がパンダなんじゃないかと。
ファンシーなものに目を向けて、
それをもとに物を買うようになったのは、
まあもちろんその前からはあるでしょうけど、
やっぱパンダの影響って
すごく大きいと思ったんですよ。 |
ほぼ日 |
そうですよね。
パンダが最初とはいわないけれど。 |
新田 |
あと、パンダっていうのが、
きわめて東京的な動物だったんです。
今は南紀のほうと神戸にいますけど、
それまで長い間パンダといえば
上野っていうものだった。
パンダっていう動物がメディアになって、
東京から発信され、
日本中で大事にされてたっていう
ことなんじゃないかと思うんです。
で、当時のパンダブームの広がりを、
物であらわすために、
パンダグッズを集めようと思ったんですよ。
でも、ネット系のオークションでは
見つかるんですけれど
そうやって入手することはちょっと違う。
古道具屋さんのものは、
どこで誰が持ってたものなのか
わからない。
そこでスタッフに声をかけたんです。 |
ほぼ日 |
今回の展示品は、物の来歴の解説も
できるかぎりされていましたものね。 |
新田 |
そういう意味では、パンダグッズを期待して
展覧会に来ていただくお客さんには、
ちょっと違うかもしれないんですけど、
パンダってものを実際にどういうふうに
人は受け取っていたのかっていうのを、
中の職員を中心に声をかけて、
持っていた時期とか、思い出とか、
そういうのがわかるものを
とにかく置いていこうと考えました。 |
ほぼ日 |
なるほど、なるほど。 |
新田 |
そこで、やっぱり、なんといっても
いっぱい出てきたのはぬいぐるみ。 |
ほぼ日 |
やっぱりパンダって、思い出すと
すごく嬉しい思い出だし、
いい思い出ですよね、
父と一緒に行ったとか、
おばあちゃんちの帰りに
上野動物園に行ったとか。
すごく嬉しくなりますよね、
パンダって聞くとね。
それから、東京に行く目的になったんですよ。
東京に遊びに行こうと思った、
地方在住の人たちにとって。 |
新田 |
今のディズニーランド的な機能を、
上野動物園が持っていたんですね。 |
ほぼ日 |
すっごい混んでて、
一回断念したのを憶えてますね。
2回ぐらい行って。
ほんとまさしく昭和47年、
毎日新聞社の写真に
「本日パンダをごらんになる方は
ここまでです」っていう
プラカードが写っていましたね。
パンダのブームは、初代の
カンカン・ランラン以後、
何度かありましたよね。 |
新田 |
上野動物園の動物園協会が出している、
『ジャイアントパンダの飼育』
って本があるんですけれど‥‥ |
ほぼ日 |
『ジャイアントパンダの飼育』!
そんなマニュアル(笑)。
そんなのを読んでも、
飼育できないんだけど(笑)。 |
新田 |
(笑)けっこう色々なことが書かれてまして、
「飼育管理」「発情・ペアリング」
「繁殖と仔の成長」「パンダの生物学」
「社会現象としてのパンダ」
──そんな論文が掲載されています。
財団法人東京動物園協会理事長の
中川志郎さんが書かれていて。
この本は当時のパンダブームの
いろんなことを教えてくれるんですけど、
パンダブームを、第1次、第2次、
第3次ブームっていうふうに分類してますね。
で、第1次ブームが、来たばっかりのとき。 |
ほぼ日 |
昭和47年ですね。 |
新田 |
はい、47年の9月から、
48年の3月ぐらいまで。
で、第2次ブームっていうのが、
アメリカのワシントン動物園で、
パンダの繁殖に成功したんですよね。 |
ほぼ日 |
おー、そういうニュースが。 |
新田 |
で、パンダの赤ちゃんに対する
期待っていうことで、
ランランとカンカンが同居したって
いうところがニュースになって。
つまり、ベビーを期待するっていうブーム。
第3次ブームはランランとカンカンの
時代じゃなくて、
ホァンホァンとフェイフェイの間に
トントンが生まれたっていう。
これが、1985年の6月から
87年の末ぐらいです。
今回の展覧会で取り扱ってるのは、
主に第1次ブームです。
さきほど、パンダの何ちゃん、
というキャラクター商品がないという
話が出ましたけれど、
「ランラングッズ」「カンカングッズ」
なんていうものもなかったんですよ。 |
ほぼ日 |
言われてみれば、そうですね。 |
新田 |
なぜかっていうと、
ランランとカンカンっていうのを、
動物園が知らない間に、
他のところに商標登録されちゃって。
名前が使えなかったんだそうです。 |
ほぼ日 |
あらま! |
新田 |
あと、子どもへの期待が高まったときに、
親子のパンダのぬいぐるみを
ミュージアムショップで
グッズで売ろうとしたところ、
すでに「親子パンダ」
「パンダの親子」
「親子パンダちゃん」という名前で
商標登録と意匠登録がされて、
それが作れないとかっていう。
もう最高裁までいっちゃったみたいな
話があったりとか。 |
ほぼ日 |
で、駄目だったんですか? |
新田 |
結局売らなかったみたいですね。 |
ほぼ日 |
あらまー。 |
新田 |
ええ。で、トントンを名付けるときには、
もう、ぜんぶ商標を調べて、
いろんな種類の取れるものを取ったと。
まあ、ひじょうに社会現象としての
パンダなんです(笑)。 |
ほぼ日 |
すごいですね‥‥。 |
新田 |
ちょっと裏話になっちゃいましたね(笑)。
ぬいぐるみの話に戻りましょうか。
まず、こっちのパンダのぬいぐるみ。 |
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ほぼ日 |
千葉県千葉市在住の女子のもの。 |
新田 |
お父さんが並んで買ってきてくれたもので。
物自体は中国製。だから、しっかりと
パンダのかたちができてますよね。 |
ほぼ日 |
リアルパンダだ。
動物的な感じ。
顔の大きさと体のバランスとかが、
すごくちゃんとしてますよね。 |
新田 |
見てきた人が作ってますよね。
日本人にはこれ、作れなかったと
思うんですけど。
ただ、リアル過ぎたのか、
小っちゃくてギュッとしてたので、
触りづらかったのか、
嫌いだったって言ってましたね(笑)。 |
ほぼ日 |
置物っぽいのかな(笑)。 |
新田 |
次は学芸員の持っていたパンダなんですけど、
来日直後のものですね。
この時期の特徴があって、
日本人がこのころパンダってものを見て、
擬人化したタイプでとらえたのと、
パンダの愛くるしさっていうのを
強調するために、
やたら垂れ目にしちゃったんです。 |
|
ほぼ日 |
あの、顎まで黒くなってますよ?
黒い涙みたい(笑)。
あるいは、頬髭みたい。
わかりやすくしたかったんですねー。 |
新田 |
その垂れ下がりっていうのが、
角度がさらに抽象化してくと、
もう真下に垂れてく(笑)。 |
|
ほぼ日 |
それでもパンダに見えますからねえ。
口も縦に開いていて、クマのはずなのに
そうとう妙なことになってます。 |
新田 |
あとは、タータンチェックの
オーバーオールを着て、帽子をかぶった
水森亜土風のパンダとかもいましたよ。 |
ほぼ日 |
ファンシー化が浸透していくんだ。
亡くなってはく製になったランランは
全国を巡回したんですね? |
新田 |
そうですね。あの、これも
「社会現象としてのパンダ」に
詳しいことが書いてあるんです。
昭和54年に死んじゃったんですね。
雄のカンカンを残して
先に死んじゃうんですけど、
直接の死因は尿毒症っていう症状なんですが、
パンダに子どもを期待するっていう
ブームがあって、結局、
妊娠中毒症みたいなかたちで
お腹に赤ちゃんを抱えたまま
死んでしまったんです。
パンダっていうのは当時にしてみると、
今と比べものにならないくらい、
もう国民的なアイドルだったんで、
死んだあとに、どうするかっていうのも、
ひじょうに慎重に
ことが進められたみたいですね。
はく製にするのって
残酷じゃないかっていう批判もあって。 |
ほぼ日 |
議論沸騰。 |
新田 |
慎重に議論した末に、
骨格標本のほうは、研究施設がある
上野動物園に置いて、
はく製は、多摩のほうで公開しようと。 |
ほぼ日 |
はく製って、中は何が詰ってるんですか? |
新田 |
ええと、これね、
プラスティックのフレームの上に、
毛皮を貼ったんじゃないのかな? |
ほぼ日 |
すごくかわいくできてますよね。 |
新田 |
そうですね、ほんとに出来上がりが
すごく良かったっていうことで、
議論していたときに思っていたような
かわいそうなものにはならなかった。
それで公開されることになったようです。 |
ほぼ日 |
国民の思いや、
愛情を確認するためのものとして
きちんと出来上がったから、
一般公開できたんでしょうね。 |
新田 |
それで全国巡回が始まるんです。
生きてる間っていうのは、
パンダって敏感な動物ですから、
生きたまま各県を巡回するということが
できなかった。
死んでしまってはく製っていう
かたちになって、地方の動物園に
巡回していくんですけども、
1981年に貸出しが始まって、
長野県大町市立山岳博物館他11ヶ所で、
展示期間合計216日。
で、216日のあいだの観覧者数が
28万7千人。 |
ほぼ日 |
えっ! すごい。 |
新田 |
で、その翌年は、
姫路市立動物園他12ヶ所、
185日で45万6千9百人。 |
ほぼ日 |
はぁ〜! |
ほぼ日 |
すごいなぁ。 |
新田 |
で、83年には144日で、
動員観客者数が42万9千8百人。
だんだんすごくなってきますよね。 |
ほぼ日 |
はぁ〜、すごいですねぇ。 |
新田 |
まあ、というのも、パンダってそもそも
中国政府から日本政府に
贈られてきたときには、
日本国人民のためにっていうかたちで
贈られたものなんです。
つまり、パンダって、
べつに東京都のものでもないわけなんだけど、
なぜかどさくさで上野で預かってくれって
ことになったらしいんですよ。
で、博物館もそうなんですけど、
動物園もですね、備品登録っていうことを
するんですよ。動物なんですけど、
それは動物登録台帳みたいなのに、
動物の名前とかを入れていくんですよ。
それが、ぜんぜんない状態で、飼われてた。
どこのものでもない状態で、
上野にいたんですよ。 |
ほぼ日 |
東京発信の流行だけれども。 |
新田 |
ほんとうは日本全体のものだった。
はく製というかたちになって、
やっと、全国を巡回できたんです。
この写真は、昭和57年、東京流行生活展の
大正・昭和の担当の小山が、
まだ小学校上がる前だったのかな?
高知に巡回したときに
見に行った記念写真なんです。 |
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ほぼ日 |
パンダ、ほんとにかわいいですよね。
ああ、パンダが果たした役割って、
大っきかったんだなぁ。 |
新田 |
最後のパンダのはく製っていうのは、
そういう意味なんです。
つまり、東京から発信してた
パンダのかわいらしさっていうのを、
受け取った全国の人たちに、
亡くなった後のランランが
会いに行ったんだよ、って。 |
ほぼ日 |
今回はほんとうにありがとうございました。
長い時間、とっても面白く
聞かせていただきました。
すんごい詳しくなっちゃった、
東京の流行に。
ほんとに今回取り上げられなかったテーマが
いっぱいあったのが残念です。
オリンピックだとか、洋服のことだとか。
もう会期も終了間際なんですけど、
ぜひ、これを読んだ方で来てない人は、
来て欲しいなぁと思いますね。 |
新田 |
よろしくお願いいたします。
うーん、やっぱ、たぶんもしかして、
こういう展覧会って
二度とできないかもしれないんで(笑)。 |
ほぼ日 |
やっぱり、こういう、物を通して見ると、
こういうふうに暮らしてたんだっていうのが
すごくわかりやすいですよね。
別世界じゃない、
自分と繋がってることなんだなって、
すごくよくわかりました。
あと、学芸員さんたちの仕事の仕方が、
すごくよくわかって面白かったです。
次は、何をなさるんですか? |
新田 |
平賀源内展を開きます。 |
ほぼ日 |
うひゃー。それはまた面白そうですね。
またお話を聞きにきてもいいですか? |
新田 |
どうぞどうぞ。ぜひともよろしく
お願いいたします。 |
ほぼ日 |
ありがとうございました!!
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