芳賀 |
でね、やっぱり、国益という本筋を忘れてることに
源内は時々気がついて、イライラしてますね、
だんだん。 |
糸井 |
そういう記録が、何かあるんですか? |
芳賀 |
だんだん書くものが、その苛立ちを
よく表すようになってきます。 |
糸井 |
なーるほどなぁ。 |
芳賀 |
これだけ工夫して国益を求めて苦労してるのに、
人々はオレをただカラクリ師だと思っている。
ただの浄瑠璃書きだと思っている、
憤慨堪えないというので、
ずいぶん、自叙伝風の文章の中に、
その憤慨を漏らしております。
だから資金作りに秩父の奥の鉱山の
開発をやってみたりね。
あれで、うんと鉄やなんかが出て、
がっぷり儲かるはずだったんですけど、
鉱山なんてうまくいくはずないですよね。 |
糸井 |
やっぱり山師っていうぐらいだから、
難しいことなんですよね。うんうんうん。 |
芳賀 |
源内は自分で、自分は一代の大山師である、
って言ってるんですが、それはほんとの、
両方の意味ですね。
ほんとに山を見立てる山師と、
山掛けの山師と。両方かけて、オレは大山師だと。
あれはいい言葉ですね。
だからみなさんもぜひ、
大山師になって下さいよね。 |
糸井 |
いいですよね。 |
芳賀 |
手技(てわざ)を持って、
かつ、アンビションがあり、
ビジョンのある、ね。 |
糸井 |
そういう人がいないと、
何も始まんないですからね。 |
芳賀 |
そうですよ。
源内は眼が高くて手が低かった。
眼高手低(がんこうしゅてい:批評はできるが、
実際に創作する力がとぼしいこと)。 |
糸井 |
あ、それを感じるんですよ。
この展覧会見てても。 |
芳賀 |
あ、そうでしょ? |
糸井 |
ええ。 |
芳賀 |
ここまでいってたら、もうひと突っ込みすりゃあ、
もっとすごいものになるのに‥‥。 |
糸井 |
気が、紛れちゃうんでしょうね、きっとね。 |
芳賀 |
そうなんですね。 |
【平賀源内展を見る】
|
糸井 |
僕、芳賀先生がいらっしゃったら、
絶対訊きたかったことがあって。
高松で源内先生と扱われて、
一種の神様みたいなもんですよね。
で、さて展覧会を見ますと、
この人はほんとうに大したことない
人じゃないか、っていう感想を‥‥。 |
芳賀 |
はははは。残念だな。 |
糸井 |
たぶん、もちやすいと思うんですよ。 |
芳賀 |
うん。 |
糸井 |
僕も、その、なめたことはいえないのは
わかるんですけど、気分がわかるんですよ。
つまり、眼高手低の、
手低の部分っていうのが‥‥。 |
芳賀 |
そうですね、展覧会に出ちゃうからね。
眼高の部分っていうのは、
展覧会で出しにくいですからね。 |
糸井 |
そうなんです。展覧会っていうもの‥‥ |
芳賀 |
ものの、限界ですね。 |
糸井 |
ええ、「プロデューサー源内」の展覧会ですから。 |
芳賀 |
だから、我々、こうやって喋るしかないわけ。 |
糸井 |
これがないとダメなんですよね、きっと。 |
芳賀 |
うん、そうなんです。
やっぱり源内についてはね、とくにね。
眼高手低っていうのは、
まさに源内のためにあるような言葉で。 |
糸井 |
はっはっは。 |
芳賀 |
源内の望みは、さっき言ったように、
日本国中の産物を、ピシッとひとつひとつ調べて、
どこに産するか、何ていう名前か、
どういう効用か、それからどんな色か、
焼けばどうなるか、そういうことを
ぜんぶ記録して、しかも図譜もつけたいと
いうことだった。ちょうど彼がさかんに
買っていた、ヨーロッパのあの博物図譜のような、
ああいうものを作りたかった。
そのために大金を投じて、
今に換算すると1冊150万、200万円もするような
ドドネウス(ベルギーの医学・博物学者)とか
ヨンストン(ポーランドの動物学者)の図譜、
ああいうのまで買ってね。 |
【紅毛本草:ドドネウス『草木誌』】江戸東京博物館蔵
【紅毛禽獣魚介虫譜:ヨンストン『動物図譜』】江戸東京博物館蔵
|
糸井 |
買って。ええ。 |
芳賀 |
自前で買ってるんですよ。
これだーっ、と思ってやってるわけですが、
しかし、そのためには、手元のお金が必要だ。
で、手元のお金を稼ぐために、
いろんな小さなビジネスをやってるうちに、
だんだんそっちで気が紛れて、
ときどき高い志を忘れてしまう。
で、ハッと気がつく。
あ、オレは日本博物学をやるはずだ、
こんなこと、女の子のためのかんざし作りなぞ、
やっちゃいられない、とイライラしてくる。 |
糸井 |
当時の考え方だったら、絶対そうなりますよね。 |
芳賀 |
ね。 |
糸井 |
うーん。 |
芳賀 |
だからね展覧会は、源内が考えていた志を
伝えたいんですが、
そういうものを展覧会で出すっていうのは
ひじょうに難しいことなんです。 |
糸井 |
そうなんですよね。
実態のないものを展覧しなければならないという、
展覧っていうメディアの限界を感じますね。 |
芳賀 |
そう、うんうん。確かにね。
ただ、よーく1点1点に
30分ずつぐらい立ち止まってご覧頂ければ。 |
糸井 |
そりゃ、無理です(笑)。 |
芳賀 |
あ〜、源内は、こういう人だ、
こういうことを考えてたのか、っていうことが、
だんだんわかってくるように思いますよ。 |
糸井 |
あの、ひとつ、たとえば本人が描いた絵を見ると、
この人、自分の絵のこと好きじゃないな、
って見えるんですね。 |
芳賀 |
あ、そっか。うん。
あの、『西洋婦人図』? |
【西洋婦人図:平賀源内】神戸市立博物館蔵(展示は複製)
|
糸井 |
ええ。でも、周囲に集まった、絵描きさんだとか、
様々な才能っていうのが、
源内を明らかに好きだっていう感じがある。 |
芳賀 |
そう、源内「を」、好きというね。
そうなんです。源内はなんか、そういう、
人に好かれる人なんです。
で、人にまったくタダで
いいアイデアをボンボンボンボン。
これも糸井さんみたいなもんだ。
いいアイデアをボンボンボンボン
人にやっちゃうんです。
それを鈴木春信が、宋紫石が、小田野直武が、
もらってって。それぞれいい作品なんです。
で、源内は結局『西洋婦人図』1点しかない。
戯作小説も2点しかない。
あのあとに大田南畝が出てくるでしょ。
それからいろんな戯作者や、
狂詩、狂歌の作者たちがウワッと
江戸中に出てくる。
あれもみんな源内がきっかけですからね。
源内は要するに、きっかけ人間。 |
糸井 |
つまり、自分がやるより、
おまえがやったほうが
うまくできるだろうってところの種を、
シードを配っていくみたいな。 |
芳賀 |
そう。そうなんです。タダでね。
シード・マネーっていいますよね。
種蒔く人ですね。あ、いいですね、
源内は種蒔く人、近代日本の種を蒔いた人。 |
糸井 |
そうですね。
こらえ性のない人だと思う。 |
芳賀 |
うん、そうかもしれませんなー、確かにね。 |
糸井 |
博物学に行きたいっていうことも
そうなんですけども、
「世界のぜんぶをわかりたい」というか。 |
芳賀 |
うん! そう。 |
糸井 |
欲望のサイズが無闇に広いが故に、
ひとつのところにとどまっていられなくて。 |
芳賀 |
そうなんです、うん、まさにそうですね。 |
糸井 |
結局のところ、その、絵なら絵、
戯作なら戯作のところで、
修業を積むのが嫌なんじゃないかな。 |
芳賀 |
そう、駄目なんですよ。修業向きじゃないです。 |
糸井 |
ですよね。 |
芳賀 |
一触即発、その場で解決できなきゃ、
あ、駄目だ、と、他の人にやっちゃう。
|
【根南志具佐:平賀源内】江戸東京博物館蔵
【『神霊矢口渡』:平賀源内ほか】香川県歴史博物館蔵 |