糸井 |
源内の友人関係をきかせてください。
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芳賀 |
たとえばね、杉田玄白がいちばんの友人でした。
源内の志がほんとにわかっていた友人でした。
源内が江戸に出てきてまもないときから
親しく付き合って、最後に、源内が、
伝馬町の獄で死んでからは、あの、
『あゝ非常の人
非常の事を好み
行いこれ非常
何ぞ非常の死なる』という、
素晴しい追悼文を書く人ですが。
その杉田玄白と話し合うたびに、
こういうオランダの書物を1冊でもいいから
日本語に訳したら、
たちまちお国のためになるのになぁ、
国益になるのになぁ、と。
そう言いながらいつも嘆きあっていたと、
『蘭学事始』に出てまいりますね。
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【解体新書:杉田玄白(小田野直武挿画)】 江戸東京博物館蔵
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糸井 |
はぁーっ!
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芳賀 |
ありゃたぶんね、
源内がそう言っていたんだと思います、
玄白に向って。
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糸井 |
惜しいって思われながら生きてたんですね。
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芳賀 |
うん、けっきょく玄白は、
源内がそう語っていた志を受け継いで、
1771年、あの、『ターヘル・アナトミア』を、
前野良沢たちと解剖を実見して、
照らし合わせてみて、
ああ、西洋の解剖書の通りに人は死んでると。
その通りに人の内臓はできてるっていうんで、
その西洋の解剖学の書物にビックリ驚嘆し、
賛美して、で、その翌日から、
その翻訳にとりかかるとわけでしょ?
それが1774年の『解体新書』になる。
だから、あれのきっかけも、
僕は、源内だったと思います。
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【解体新書:杉田玄白(小田野直武挿画)】江戸東京博物館蔵
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糸井 |
はぁーっ!
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芳賀 |
だからそこもね、もう明らかに、
志を人に投げ与えるんですね。
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糸井 |
コンセプトメーカーですよね。
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芳賀 |
うん! まさにそうですね。
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糸井 |
それがなかったら、
いくら手だけあってもしょうがないわけで。
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芳賀 |
そう、手だけあってもしょうがないし、
手が動き出さなかったんじゃないかな。
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糸井 |
鈴木春信に与えた影響っていうのは、
どんなところにあるんですかね。
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芳賀 |
あれは、大田南畝の書いてる記録によりますと、
鈴木春信が、色を重ねて塗りたいと言うんです。
ところが、重ねて塗ると、
版に紙を載せたときにね、どっかずれてしまう。
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糸井 |
なるほど。
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芳賀 |
それでひじょうに難しい。
なんとかできませんかね、源内先生、
あなた、いろいろカラクリが上手だから、
何か思いつきませんか? と言って、
隣りのまた隣りぐらいに住んでた源内のところに、
訊きにくるんですね。そうすると源内さんが、
そうだなぁ‥‥あっ、そうだ!
春信さん、こうやって角に、こう、直角の‥‥。
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糸井 |
当たりを。
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芳賀 |
うん、当たりをつけて、
それで紙をピシッと当てりゃ、
必ず版木がずれないでいく。
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糸井 |
あれは源内なんですか!
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芳賀 |
うん、源内。春信はそれまで、墨と紅色と、
せいぜい緑を入れるぐらいの、
2色か3色しかできなかった
紅絵(べにえ)といわれている浮世絵を、
いっぺんに、東錦絵(あずまにしきえ)と
いわれるような多色刷りにする。
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糸井 |
春信から、色がワッと増えていくんですよね。
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芳賀 |
そう、春信なんです。
今まで蛾だった浮世絵が、
春信によって蝶々になって、
ハーッとこう飛び立つように。
で、それの企画は、明らかに源内ですよ。
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【鶴上の遊女:鈴木春信】 慶応義塾蔵(展示終了)
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糸井 |
はぁ〜っ。そういう話を聞くと、
やっぱりすごいですね。
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芳賀 |
ねぇ。だから、杉田玄白に至っては
『蘭学事始』に書かれるように、
蘭学を翻訳しろっていうわけでしょ?
どちらも見事な江戸文化を
生み出していくわけですね。
片一方は西洋に向い、片一方は日本の伝統の、
風俗画以来の浮世絵を、ああやって見事な、
今日も残る宝にしたわけです。
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糸井 |
そうですか‥‥。
司馬江漢も出入りしていたんですよね。
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芳賀 |
ええ、そうなんです。
源内のところには、
司馬江漢もしょちゅう出入りして、
何か源内先生、ポロッと
面白いことを言わないかな? と思って、
毎日待ってるんですよ。お茶飲みながらね、
いろいろ刺激してね、なんか喋らせると、
源内先生調子に乗ってきてね、
面白いこといろいろ言うんですね。
そうすると司馬江漢は、
あっ! と思いついて
家へ帰って銅版画を始めたりすると。
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【御茶水景図:司馬江漢】本間美術館蔵(*江戸東京博物館では展示されません)
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糸井 |
そうですか(笑)。
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芳賀 |
うんうんうん。たぶんそうだと思いますよ、私。
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会場 |
(笑)
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糸井 |
つまり、ご近所で絶えず集まってって
いう感じですよね。
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芳賀 |
そう、ご近所。神田白壁町ですよね。
源内さんの住まいは。
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糸井 |
はい。
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芳賀 |
そこの隣りの組長さんが
鈴木春信だったんですよね。
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糸井 |
いいですよね〜。そこに立ってみたいですね。
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芳賀 |
いいねぇ〜。
それで、玄白さんが日本橋に住んでてね。
司馬江漢は芝ですから、
ま、トコトコと歩いてきたんでしょうね。
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糸井 |
あ、そうか。
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芳賀 |
源内のとこ行きゃあ、
お茶があったりお酒があったり。
そして面白い話があるんで、よくやってきた。
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