江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!



 

いよいよ今週末、18日で
江戸東京博物館の「平賀源内展」は終了です。
その後、 仙台・岡崎・福岡・香川へと
巡回をしますので、お近くのかたは
ぜひ、足を運んでみてくださいね。

展覧会の監修者である芳賀徹先生とdarlingの対談、
第8回の今回は、源内がオランダ人から受けた
大きな影響について、お聞きします!




第8回
オランダ人と、源内。

糸井 源内の時代は、
西洋型の進んだ文化というのが、
ユートピアのようにあるっていう
幻想を持てたっていう時代ですよね。
援軍といるっていう実感が。
芳賀 ユートピアがはっきりこう見えてきた。
それから、わりあい実感できるようになってきた。
オランダ人たちが毎年春に
長崎から江戸にやって来ると‥‥。
糸井 すごいものを持ってくるわけですね。
芳賀 長崎屋っていう宿屋に泊まりましてね。
日本橋の近くの。そうすると、
源内も玄白も桂川甫周も、
周りの漢方医のお医者さん、
それからちょっと物好きなお金持ちの、
商家の旦那までそこに行ってね、
よしよし、どんな面白いものがあるかなぁ?
さあ、どんな面白い話をしてくれるかな、
って、みんな、行くわけです。
糸井 はぁーっ。

【長崎屋:葛飾北斎『画本東都遊』より】たばこと塩の博物館蔵
芳賀 そうすると、オランダ人がヒュッと
寒暖計を出してきて見せたり。
それから、知恵の輪。あれを出してきて、
これ、解けるでしょうかね?
って日本人のお客に回す。
糸井 たまんないですね!
芳賀 そういうの、源内は、パッと解いちゃうんですね。
だから、寒暖計も、グルーッと回す。
すると源内、こう見て、
あ! わかった、と言って、
それを作って、オランダ人に見せる。
東西一緒の、いわば、サロンがあった。
で、そこがまたひとつの重要な刺激、
知的刺激の源泉になった。
そうやって日本の知識人、
あるいは疑似インテリたちと交流している間に、
オランダ側も、今、日本人はどんなことを
面白がっているのか、っていうことを察知して、
次々と面白い機械を持ってくるわけですよ。
で、それが一部分、今回展示してありますね、
テルモメートルとか、地震計とか、
エレキテルとか、メガホンなんてものまでね。
なんでメガホンなんか珍しがったのかと
思うけども、そんなもんまでいろいろと
持ってきていたんですね。
糸井 「どうだ!」という感じなんですね?

【温度計】個人蔵、オランダ(フランス製)


【震雷験器】個人蔵、オランダ


【医療用エレキテル】ヴィンセント・ネリス・アンティーク蔵、アムステルダム、オランダ
芳賀 うん、日本人がみんな、また、
「なるほど!」といってそれを面白がって
争って買った。それからいろんな、
オランダ語の、ヨーロッパで出た解剖学の本とか、
博物学の本とか。それから百科事典のたぐい。
それを江戸までもってきて。
そうすると江戸で待ちかまえていた、
知識市民が買う。その中でまた平賀源内が、
いちばん高いものをバンッて
買ったりするんですね。

【『百工秘術』:ブリューシュ『自然の景観』】岡崎市美術博物館蔵
糸井 すっごい好奇心の強い生徒を持った
先生みたいな立場ですね。
芳賀 ああ、そうですね、ほんとね。うん。
糸井 あー。ちょうど今のお話聞いてたら、
今の日本の停滞を思いました。
ちょっと前まで、アメリカ、ヨーロッパには
もっとすごいものがあるって、ずーっと信じて、
その、おみやげを買ってきたら
群がるっていうことを繰り返してましたね。
それがどうやら、
普通に考えると越えちゃったぞ、
って思ったときに、
停滞が始まったと思うんですね。
ちょうどまた、平成になったとか。
いろんなところで。
芳賀 うんうん、そういうのありますねぇ、
やっぱりねぇ。ちょっと時代の
気運、気分が変わってきた。
糸井 そうですねぇ。
芳賀 国民はなんか、はっきりは自覚しないけども
気がついてみると、なんか様子が変わってる。
そのことを杉田玄白は
「なんとなく」という言葉で言ってます。
糸井 はぁーっ。
芳賀 うまいんだ。あのね、1ページに1回、
「なんとなく」って言葉を使いますよ。
somehow っていうんですね。
なんとなく時代が変わってきて、
オランダあたりのものを持ってても、
ぜんぜんおとなげがなくなった。
なんとなく自分も
オランダ語を勉強してみたくなった。
なんとなくこの『ターヘル・アナトミア』
って本が入ってきて、
なんとなくそれが欲しいと思った。
つまり、1750年代、60年代、70年代のころに、
徐々に徐々に、そういう西洋に対して、
一種の寛容な規制緩和が行われてきた。
やっぱり田沼意次のリベラリズムが、
一般社会の中にも浸透してきて。
糸井 殖産ってことを考えると、それを入れたほうが、
効率は、まあ、いいわけですもんね。
芳賀 田沼は、ちゃんとそのことはわかってますからね。
田沼もなかなか開明派の面白い人でした。
賄賂を使ったことで評判悪いけども、
賄賂を使うくらいでなきゃね、あのころね。
糸井 つまり、政治的力量はすごかったと。
芳賀 ちょっと才覚のある人なら、
どっかからお金を集めてきて
田沼意次にあげれば。
で、その本人に実力があれば、
おお、そうか、愛いやつだ、ってんで、
今で言う課長、部長待遇にしてあげたりする。
そうすると、よーく働くわけでしょ?
順番に試験をやって、
彼は何等か、何等か、なんてやるよりは、ね。
まあ、賄賂っていうのは、
自由化の潤滑油でもあった。
だから、田沼について、汚職の権化だ、
みたいにいうのは、近代風の、
アメリカの影響を受けた日本人の
考えることであって。
我々はもっと寛容に、
賄賂は、悪くはなかった、
あの時代においてはね。
今は、あれでしょうけどね。
糸井 プロテスタンティズムの見方ですね、
つまりそれは。
芳賀 そうですね。そうですよ。
ひじょうに、なんでも、ピューリタンなね。
糸井 そうですねー。
芳賀 それで、江戸見たら、江戸は駄目ですよ。
ピューリタンじゃない。
糸井 だから、僕らが、こういう江戸のことを、
こんなに面白いなと思って語ってるっていうのも、
どっかでピューリタニズムから脱して‥‥。
芳賀 そう、我々がね。
糸井 自分がおとなになって、
やっと言えるようになった気がするんですよね。
芳賀 ああ、そうですね。
糸井 子どもが同じことを言ったら、
怒られたんじゃないかな、って。
芳賀 ま、そうでしょう。そうでしょう。
お父さん、少し賄賂もらってきなさい、
なんていう子どもがいたら、
やっぱりおかしいしね(笑)。
会場 (笑)
糸井 僕も学生時代にね、金持ちが女を口説く
みたいなことがテレビドラマであったりして、
学生とかだと勉強してたりする時代だと思ってて。
で、卑怯だっていう見方で言うじゃないですか。
でも、その、力のあるやつは力で口説くし‥‥。
芳賀 うん、そう。
糸井 文学で口説くやつもいれば。
芳賀 顔が良くて口説くやつもいるだろうしね。
糸井 その意味で、もうほんとうの平等なんか、
どこにもありゃしないんだと。
芳賀 ああ、そう、うん、そうだよ。
糸井 金で口説くやつがいてもしょうがない、
と思ってたんですよ。
芳賀 そりゃそうだよ。金しかないですよ、
金で口説くやつは。
糸井 ですよね。
芳賀 金がなくても顔だけいいやつは、
顔だけで口説きゃいいですね。
糸井 それで十分なんですからね。
だから、そういう考え方を
持ったぐらいのときから、
だんだん江戸が面白くなってきた。
芳賀 わたくしは江戸をやっているうちに、
だんだんそういうふうな
考え方をするようになってきました。
糸井 はぁ〜。
芳賀 江戸風の、ま、一種、
アマルガムイズム(合金のように、
異なったものが融合していることを
よしとすること)っていうか。
糸井 アマルガムイズム(笑)。
芳賀 文化が渾沌としているときっていうのが
動いているときであって、
そのときはいろんな悪い要素もいい要素も、
不安定な要素も、それから安定化へ向かう要素も
ごっちゃであるんだという。
それが、生きてる文化の姿だって
いうようなことを、
江戸を勉強しているうちにだんだんわかってきて、
現代を見直すように、
彼岸的に見るようなふうに
なってきたように思いますね。
糸井 禁じてうまくいくのは、
おんなじものをたくさん作るとき
だけなんですよね。
芳賀 ああ、なるほど。
糸井 で、ほっといてうまくいくほうがいいんですよね、
やっぱりね。


次回は源内のあの「顔」についてです。
明日更新、お楽しみに!


2004-01-16-FRI
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