芳賀 |
それから特に今回、なんといったって圧巻は、
博物学の図譜かと思います。
あの高松の殿様が、源内の情報を入れながら、
採集して描かせた『衆鱗図』とか『衆芳画譜』。 |
糸井 |
魚やらなにやら、たくさんあるやつですね。 |
【『堀田禽譜』堀田正敦】東京国立博物館蔵
|
芳賀 |
魚や花や野菜や鳥の、あの図譜。
それからその周辺の他の殿様がやらせた、
栗本丹洲でしたかな。博物図譜。
おどろくべき精緻な、そして技術的な香りのある。
あの、自然科学と美術が、
ピシャッと接近して、なんべんかこう重ねあった、
そういう時期の作品だと思います。
博物学が美術に、絵に近づき、
絵が博物学に近づいた。
だから伊藤若冲もそうでしょう? |
糸井 |
そうですねぇー。 |
芳賀 |
あの、鳥をカーッ! と描く、
それから菊の花をウワーッ! と描く。 |
糸井 |
ぶつかり合いですよね。 |
芳賀 |
それから、円山応挙も写生をやる。
セミを描いたりとか。
ちょうどあれと同じ時代なんですよ。
あそこがやっぱりひとつ、
今回の展覧会の目玉かなと思いますね、
博物図譜のところ。 |
糸井 |
あのへんはムンムンしてますね、確かにね。 |
芳賀 |
もともとはね、薄い和紙に描いてあるんです。
で、それを小刀でしょうかね、
切り取って、アルバムに貼ってあるんです。 |
糸井 |
そういう仕掛けなんですか。 |
芳賀 |
あれ、見たときに立体感があるのは、
それなんですね。
それにしてもよくまあ描きましたよね。
鯛なんて、このままもう刺し身にしてくれ
っていうような感じでしょ。 |
会場 |
(笑) |
糸井 |
これは、あの、絵を描く人じゃないから
僕にはわかんないですけど、
時間の速さと精密さを、両方要求しますよねぇ。 |
芳賀 |
ああ、そうですね。 |
糸井 |
生ものを描いてますからね。 |
芳賀 |
そう、鮮度が良くなきゃね。
でもね、こんな鯛、
このころそう珍しいわけでもないから、
目玉が色変わってきたら、次の使えばいい。 |
【衆鱗図 第一帖:松平頼恭】 高松松平家歴史資料 香川県歴史博物館保管
|
糸井 |
そうですかねぇ。 |
芳賀 |
で、どんどん刺し身にして食べてきゃ。 |
会場 |
(笑) |
糸井 |
それ、でも僕、ちょっと、
釣りしてたからわかるんですけど、
採れないもんですよぉ? |
芳賀 |
だってこの時代ですよ?
それで、だって瀬戸内の真ん前だよ? |
糸井 |
そっかそっか。場所にもよるか。 |
芳賀 |
うん、場所にもよりますよ。
で、だいたいこれは讃岐藩の周辺の海や
領内で採れる動植物ですからね。 |
糸井 |
そうかそうか。はぁ。 |
芳賀 |
それから、あの、他の大名と、
江戸城の中で情報交換やるんですねぇ。
あれは面白いですね。 |
糸井 |
江戸城というのは、じゃあ、サロンの役割を。 |
芳賀 |
そうそうそう。それでだいたいね、
だから同格だから、江戸城入ってったときの
座り場所が近いんですね。同じ部屋の中に。
秋田の殿様、薩摩、熊本、それからこの讃岐、
あるいは伊達。
伊達さん、今度こういうのを描きました、って。 |
会場 |
(笑) |
糸井 |
自慢なんですねぇ! |
芳賀 |
でしょうね(笑)。で、伊達の殿様が、
あ、なるほど。これは何ていうんですか?
私のところにないなぁ。あの、讃岐さん、
ぜひ貸して下さい、っていって借りて、
写すわけですよ、
自分のところの絵師に写させたりする。
今回高松の学芸員の人が
ひじょうに詳しく調べてますが、
この同じ魚や同じ虫が、
あっちの絵に行ったり、
こっちに戻ってきたりなんかしてるんですよ。
おんなじトンボやおんなじ毛虫。 |
糸井 |
つまり、コピーしてったわけですね。 |
【写生帖:佐竹曙山】秋田市立千秋美術館蔵
|
芳賀 |
そうそうそう。秋田の殿様の
写生帳っていうのがあって、
わたし30年ぐらい前から見て、感嘆して、
なんて精密な写生をして、
秋田の殿様はあのころひじょうに
藩政が行き詰まっていて、
秋田藩政の谷間だとさえいわれている時期で、
その憂さばらしに、こんなに夢中になって
昆虫を写生したんだなぁ、
なんて説を立てて論文も書いたんですがね。
あとで僕の元学生が、実はそれは、
細川の殿様が描かせた写生帳から、
そっくり写させた、何百点と写した、
ということがわかって。
で、僕の説は駄目になって。 |
会場 |
(笑) |
糸井 |
確か、秋田は、肉筆浮世絵の伝統がありますよね。
そのへんからきてるかもしれないですね。 |
芳賀 |
それはありますね。
小田野直武なんかが、
浮世絵風の美人画を描いたり。
で、そのあとに、
沈南蘋(シンナンピン)っていう中国の絵師が、
1750年ころに、長崎経由で中国からやってきて、
そっから始まった花鳥画ですね。
ひじょうに精密な花鳥画。
あれがまた、いっぺんに、日本中に広まって、
秋田にもいって。
直武はそういうのも描いてます。 |
糸井 |
はぁ! |
芳賀 |
で、そこにこんど、ファッと平賀源内が、
秋田の銅山の再開発っていうんで、
コンサルタントとして雇われてきて
小田野直武と巡り合うんです。
直武に、あ、直武さん、こうやると、ほら、ね、
これを、ちょっと描いてごらん。
で、こう描くでしょ?
直武が。これはただ丸じゃないか。
これがちゃんとコップに見えるように、
ちょっとこう光ってるところと
影のところをつけるんだよ、と、
源内が教えたようです。
でもう、直武は目を丸くしてね、
なるほどなぁー! 江戸の先生は偉い、
っていうんで、源内がそうやって
秋田のあちこちの鉱山を回っているあいだ、
小田野直武はついて回ったようです。
最後に源内が100両かなんか、
秋田藩士の殿様からもらって江戸に帰ると、
その1ヶ月後に、角館(かくのだて)の、
本藩じゃない角館の、中流か中の下くらいの
侍だった直武が、にわかに本藩取り立てになって、
本藩の命令で江戸に出向させられる。
で、源内のところに転がり込んで、
あの、今回の展覧会に出ているような、
秋田蘭学っていうのを始めるんです。 |
糸井 |
はぁ〜! |
芳賀 |
だからね、その文化の伝達のはやさね。
それからこの、秋田はとんでもない
田舎のはずなのに、江戸時代のほうが、
もっと情報交流があった。
で、江戸の新情報にすぐに応える、
なんていうんですか、反応力を、
文化的反応力を秋田のこの侍は持ってた。
これも、だから、ひじょうに、
江戸期の文化の水準の高さ。
生き生きとした、お互いにこだましあう関係が
あったことをよく示してると思う。 |
糸井 |
いいですねぇー。 |
芳賀 |
で、しかも、直武が出てきて、
源内のところに転がり込んでるうちに、
転がり込んできて3ヶ月もしたかと思うと、
源内の親友である杉田玄白が、
いよいよ『解体新書』の翻訳が終わった。
ついては、これにはぜひ、解剖図譜が必要である。
それを描ける絵師はいないか、
源内先生、源内さん、
お、オレのところにちょうど
秋田から転がり込んだ美青年がいるよ。
これをおまえに貸してやろう、って。
で、玄白が、あの、直武のところに
たくさん解剖書を持ってきて、
それを写させるわけですね。
それで、『解体新書』の
あの挿し絵ができ上がっていく。 |
【解体新書:杉田玄白(小田野直武挿画)】江戸東京博物館蔵
|
糸井 |
そういうことなんだ‥‥! |
芳賀 |
ねぇ。今もあり得ないでしょ? |
糸井 |
それを知ってて、あの展覧会場行ったら、
また、もう1回面白いかな?(笑) |
芳賀 |
おととい秋田から出て来たばっかりの、
まだ名前も知らない、
絵師としての評価も全くない24、5歳の男に、
文化勲章をもらってもいいような大事業の
『解体新書』の挿し絵を描かせる。
なんと大胆で、なんと自由で、
なんと弾みがあることか。 |
糸井 |
はぁー。 |
芳賀 |
それは源内と玄白の、
一種の盟友関係みたいな。 |
糸井 |
玄白っていう人は、いい人ですね。
会場に、玄白の言葉が書かれていて、
それがまたいいんです。 |
芳賀 |
ね、見直すでしょ? そうですね。 |
糸井 |
見直します。『蘭学事始』っていうことを
学校で習っただけだったんですけど、
この人はいいなーって。 |
芳賀 |
そう、ほんとに友だち思いでね。
それから、亡くなった友だちが、
ほんとは、獄死してるわけですからね。
ところが、獄死だからといって、
その人物を捨てちゃうとか忘れちまうとか、
知らん顔すること一切ない。
『あゝ非常の人
非常の事を好み
行いこれ非常
何ぞ非常の死なる』という、
あの見事な言葉が。 |
糸井 |
で、その玄白の言葉をたくさん引用して
会場を作った学芸員もすごいなと思いますよ。 |
芳賀 |
いいね、あれは。
あれひじょうに効いてますよね。 |
糸井 |
プロデューサーの展覧会なんて、
ほんっとに難しかったと思うんですけど(笑)。 |
芳賀 |
ああ、そうでしょう。 |
糸井 |
で、それを、源内が作ったから
どうだとかいうことじゃなくて、
源内のインフルエンス‥‥。 |
芳賀 |
うん、まで広げて。そう。 |
糸井 |
ええ、で、アウトラインも。 |
芳賀 |
だって、それで源内は成り立つんだから。 |
糸井 |
ですね。 |
芳賀 |
源内だけ描いたもの、作ったものだったら、
この世にないわけですから。 |
糸井 |
だから、源内のインプットと
源内のアウトプットと、両方の影響を。 |
芳賀 |
そうそう、まさにそうです。
ああ、よく見て下さってます。
そういうものなんですよ。
あの、源内のインフルエンス、
影響が及んでできたものたち、それを広げる。 |
糸井 |
あー、面白いだろうなー。 |
芳賀 |
同じときにベンジャミン・フランクリンが
凧を上げて、雷は電気であるという
電気実験をしていますね。
あれと源内のエレキテル、
おんなじに並べるわけよ。
で、皆さんこうやって触ると
ピリピリッとくるような凧をね、
江戸博の屋上に上げるという。
それから、源内よりもちょっと後になりますが、
トーマス・ジェファソン。あれは源内。
アメリカの源内なんです。アメ源。 |
糸井 |
へぇー、メリケンの源、っていう。 |
芳賀 |
あ、メリケンの源内ね。
カラクリが大好きなんですよ。
重り仕掛けで週を表示するカレンダー時計とか。 |
糸井 |
でかいんですか?それは。 |
芳賀 |
かなり大きい。 |
糸井 |
へぇーっ。 |
芳賀 |
それもトーマス・ジェファソンの工夫なんです。
で、ジェファソンは建物自体も、
彼の館もジェファソンのデザイン。
それから、自分の荘園を農林試験所にして、
野菜の生育を記録したり。 |
糸井 |
芳賀先生、どうしてその、
アメリカまで行っちゃうんですか? 勉強が。 |
芳賀 |
いや、だってアメリカに行ってて、
ヴァージニア州フェファソンのモンティチエロに、
彼の館がありましてね、そこを訪ねたときに、
あらら、これは源内だと思ったんです。 |
糸井 |
へぇ〜。 |
芳賀 |
ああ、アメリカの源内。 |
糸井 |
源内ですね、それ。 |
芳賀 |
うん。で、調べてみると、まったく同時代。
ジェファソンは大統領になったり、
駐仏公使になったり、
ヴァージニア州立大学の創立者であって、
かつ設計家でもあるんですね。
でもね、根元はカラクリ師ですよ。
カラクリが大好き。
カラクリの精神っていうのは、
糸井さんもいいでしょ? |
糸井 |
わかりますねぇー。 |
芳賀 |
ここ押すと、羽根がこうなって、
ゼンマイが弛んで、こうクーッて、
で、こっちのほうに向くと‥‥。 |
糸井 |
つまり、驚きへの興味なんですね。 |
芳賀 |
そう。驚きから、
メカニックによって組み立てていく。 |
糸井 |
再現できる驚きっていうか。 |
芳賀 |
うんうんうん。源内のエレキテル、
結局あれ、カラクリの応用でしょう?
だからお神酒天神から始まってね。
この、お酒を載せると、
あの、天神様の顔が赤くなるっていう、
源内12歳のときのカラクリ。 |
糸井 |
顔が赤くなる。ええ。 |
芳賀 |
あそこから始まって。
しかしカラクリと博物学はね、
どう結びつけたらいいか、
わたくしは今、まだ
うまく見つけておりませんが。 |
糸井 |
あの、大きい意味で、僕の素人考えでは、
やっぱり神様になりたかった人なんだな、
っていうふうに。 |
芳賀 |
まあ、一種、ジーニアス、
神様とまではいかないですね、
ジーニアスですね。 |
糸井 |
うん、もうぜんっぶを頭の中に放り込んで‥‥。 |
芳賀 |
全知全能。それからあの、
今、ユビキタスっていう言葉が始まって。 |
糸井 |
はいはい。 |
芳賀 |
まさに、ああいうふうになりたかったんですね。
いっぺんにいろんなことをしたかった。
博物学をやり、戯作を書き。
だから、牧野富太郎で、同時に井上ひさしで、
同時にコピーライターで糸井重里で。ね。
で、同時に、鉱山開発もやる。
一方でエレキテルをやり、油絵を描き、でしょ。
横尾忠則、兼、糸井重里、兼、井上ひさし、
兼、牧野富太郎、兼、芳賀徹というような。
そういうことをやりたかった。
いっぺんに同時に、同時にあちこちに
偏在するっていうのが
ユビキタスっていうことでしょう。 |
糸井 |
はいはいはい。で、それは同時に、
それが実現に近づくほど、
自我が消えるんだと思うんですよね。 |
芳賀 |
そうかもしれませんね。 |
糸井 |
だから、その、平賀源内展をやってて、
源内はどこにいるんだ? っていうのが、
ものすごく希薄な展覧会だと思うんですよ。 |
芳賀 |
全体の中にいるんですよ。 |
糸井 |
全部なんですよね。 |
芳賀 |
偏在してるんです。どっか1ヶ所に源内が
いるわけではない。
どれもこれも源内。
で、最後はあの顔を見てくれっていうのは、
まとめるものはあの顔しかないわけですから。 |
糸井 |
そうだ。 |
芳賀 |
ね。だから、あー、これも源内か。
あ、これも源内か、と思いながら
見ていただくのが、
源内展にふさわしい見方かと思いますね。
そん中でも、まずあの顔を憶えといて。
あのクルクル目玉して、いかにも何か喋りそうで、
キザで、伊達男で。
今テレビなんか出たら、もう、大モテでね。 |
糸井 |
そうでしょうねー。 |
芳賀 |
うん、もう大モテで。東京にいたと思うと、
同時にニューヨークにもいる。
しかもサンクトペテルブルクの
博覧会に出てる。
名古屋の万博のコンサルタントもやってる。
銀座の大きな画廊で展覧会をやってる。
同時に歌舞伎座にその人の歌舞伎が、
今ちょうど掛かってる。そういう男ですよ。 |
糸井 |
そういうことですね。
それが顔に見えてる。 |
芳賀 |
ええ、以外に何があるかと思うんです。
あと、要するに、源内を動かしていた、
そういう、好奇心。
好奇心っていうのは、
好奇心が向かったところにあったものを
出して示す以外ありませんから。
だからいろんなものを並べてるわけで。
それにしては割合
うまく並べてると思いますけどね。
その好奇心が沸々として、溌剌として働いている、
その様を皆さん見て下さる皆さまが、
受け取って下さる以外ないと思います。 |
糸井 |
会場の好奇心を煽るような
展覧会になればいいですよね。
今日の先生の喋ってらっしゃることっていうのが、
なんかね、いちばん源内展らしかったような
気がしますねぇ(笑)。 |
芳賀 |
いえいえ。糸井さんが、やっぱり源内派で。
やっぱりね、源内風の人間っていうのは
いるんですね。横尾忠則さんもそうだし。
それから、ええっとね、このあいだ誰だっけな、
飯島耕一さん、詩人の。
『小説平賀源内』っていうの書いて。
そうだ、一昨日会ったんだ。
それは源内展、面白いねぇーって、もう歓談して、
もう1回行こうと思ってるわけですよ。
ああいうところも面白い。
源内好きだっていう人はいっぱいありますから。 |
糸井 |
あ、お時間、ちょうど過ぎてしまいましたが。 |
芳賀 |
皆さまからの質問をお受けすることはなくて? |
糸井 |
こんだけ喋ったらいいじゃないですか。
ありがとうございました!
|