江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

新選組の生きた時代。 第4回
黒船がやってきたとき、江戸の人々は。

ほぼ日 自分がこの時代に生きていたら、
物見遊山をしてるのか、
武器をとって立ち上がるのか、
どっちだろうなと思って見たりしました。
市川 たとえば人のために命を落とすとかね、
今だとあり得ないですよね。
で、このときは、
殺し合いをした時代なんだけども、
殺す側も殺される側も、
一片の私欲があったわけではないんですよ。
そこがね、今とほんっとに、
ほんとに違うメカニズムだなって思ってて。
純粋な正義感だからこそ、
すごく殺し合いになっちゃった。
で、そういう時代っていうのは、
すごく不幸な時代だったと思うんですよね。
平和な時代じゃないですよね。
理不尽なことがいっぱい起きたし。
似たような時代は、
第2次世界大戦中ですよね。
特攻精神なんていうのもほんとにそうで。
自分を犠牲にして国を守りたいっていう、
そういう精神。美しいけども、
それが強要された時代は、
けして幸せな時代じゃないですよ。
でも、そういう精神、
今までは悪い面しか
見てこなかったんだけども、
現代人が受け止めるメッセージとしては、
他人のために命を投げ出す人が
いっぱい出た時代かぁ、とか、
正義のために殺し合いをしたんだなぁ、
そういった思想が、ほんとにもういちど力を
持つことってあるのかな、とかね。
あるとしたら、もうほんとにとんでもない
危機の時代がやってきたら
そうなるのかもしれない。
それは不幸ですよね。
僕らは、そういうことを、
企画しながら感じるんです。
ほぼ日 そういう意味でも、
たてもの園の展覧会を見てから
江戸博に来てもらったほうが、
理解しやすいですね。
もうすこし、特別に解説をして
いただけますか?
市川さんのピックアップで。
市川 ええ。「ペリー提督横浜上陸図」。
これ見てね、こういうことに気がつくと
面白いですよ。
アメリカ軍はピシーッと規律正しく
並ぶんです。で、一方、日本人。
ほぼ日 ほんとだ(笑)。
市川 ダラダラっと並んでますね。
ほぼ日 面白い。すごいですね(笑)。

ペリー提督横浜上陸図 W・ハイネ画
江戸東京博物館蔵
市川 統率のとれた軍隊というのは
とっても近代的なんです。
前近代的な軍隊っていうのは、
小さい主従関係の集まりなんです。
戦場に行くとご主人様がいて、
それは馬に乗ってて、
馬の口取りとか草履持ちとか槍持ちとか
いろいろ、そういう集団の集合なんです。
ほぼ日 はぁー、面白い!
市川 ところが、近代的な軍隊っていうのは、
命令一下、捧げ銃! とか、撃て! 
バンバンバン! みたいな、そういう軍隊。
ほぼ日 これ、よく見ると面白いですねぇ。
市川 見過ごしちゃうんですが、
ああ、犬がいる、とかね(笑)。

ほぼ日 日本軍の雰囲気は、この犬なんですよね。
のんびりしちゃってるのね。
ほぼ日 これ、何持ってるんですか?
肩に担いでる‥‥。

市川 これは弓の箱ですね。
ほぼ日 じゃあ、武器を持ってると。
市川 ええ、武器なんです。
ほぼ日 でも、その前のほうには、
武器を持ってない
町人みたいな人がこう‥‥。
市川 うん、なんかね、いますよね、ええ。

ほぼ日 あとこの右側のアメリカ軍の列、
後ろにいるのは物見遊山の人たちですか?

市川 私も実はね、家来なのか物見遊山なのか、
ここまで考証に至っておりません。
ちなみに、御稲荷さんがあって
大きな木がありますよね?
これが今、横浜開港資料館にあるんです。
ほぼ日 へぇー! すごい。
市川 ペリー艦隊がたくさん描かれてますよね。
で、その周りにね、実におびただしい、
小さい日本の軍船がブワーッ、びっしり。
ほぼ日 あは!
実際、びっしりいたんでしょうね。
市川 奥のが黒船でね、
デンデンデンデンと並んでますよね。
ほぼ日 勝ち目ないね‥‥。
市川 でね、その周りにものすごく
小っちゃくいっぱいいっぱい
描かれています。

ほぼ日 日本の船に乗ってる人たちは、
じゃあもう武器も持って、
何かあったら‥‥(笑)。
市川 うん、そういうことですよね。
対峙してるつもりなんですけど、
向こうは余裕ですよね。
ほぼ日 ペリーが来る前も、ちょくちょく
外国の船が来て、
その周辺に住んでる人たちはもう、
あ、また来てるね、
みたいな感じだったとか。
市川 うん、そうなんです。
我々は学校教育の中で
ペリー来航があまりにも衝撃的だから‥‥。
ほぼ日 唯一無二だと思ってるんですよ、それ。
市川 違うんです。で
根室にロシア人がやってくるとか、
そういったレベルではなくて、
もうかなり日常的に、
外国船、見えるんですね。
で、その、有名なのは、
たとえば元文の黒船事件とか。
文政7年(1824)に水戸藩領の大津浜に外国人が上陸する
事件があるんですよ。
で、それを機に、あの会沢正志斎が、
『新論』っていう本を書いて、
水戸の尊王攘夷思想の先鞭をつける。
なぜ水戸が尊王攘夷かっていうと、
いち早くそういう経験をするわけですよね。
水戸の国学が発展してく礎には
国学的な前提っていうのも
もちろん光圀以来あるんだけれども、
外国人がやってきたという事件が
あったからこそなんですね。
ほぼ日 ペリーとかも、どれが正しいのか、
っていうくらい。
天狗か鬼か、みたいに描いてる。
市川 当時の日本人の怖いものっていうと、
やっぱり天狗になっちゃうんですよ。
これが何となく面白い(笑)。

左:瓦版「北亜墨利加人物 ペルリ像」
右:瓦版「北亜墨利加合衆国 水師提督ペルリ之肖像」
(神奈川県立歴史博物館蔵 丹波コレクション)
ほぼ日 それにこれ、着てる服が違いますよね、
どう考えても。
市川 これはどう見ても
チャイニーズですよね(笑)。
ほぼ日 勝手だなぁ(笑)。
言ったもん勝ちっていうか。
俺は見たぞ、って言ったもん勝ち。

江戸に生きてたらどうしてました?
ちょっと考えてみると面白いです。
つづきます。


2004-05-02-SUN

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