江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

新選組の生きた時代。第8回
池田屋事件を検証する。

江戸東京博物館で行われている「新選組!」展。
会期終了も5月23日までと迫ってきました。
新選組とその時代にまつわる資料を通して、
幕末、命をかけて日本を変えようとした
若者たちのすがたがうかびあがってきます。

6月5日からは会場をうつし、7月19日まで、
京都文化博物館にても行われますので
ぜひ、足をはこんでくださいね。

さて、今回から5回にわけてお届けするのは、
池田屋事件と、新選組の残影についてのおはなしです。
担当してくださったのは江戸東京博物館学芸員の
市川寛明さんです。



今回は「池田屋事件」のお話からです!

ほぼ日 「新選組!」展の目玉のひとつが
池田屋事件の再現模型ですよね。
市川 あれは検証再現模型と呼んでるんです。
ただの模型ではないです。
模型って、いろんな考え方があって。
たとえば、元治元年6月5日、
午後10時20分でフリーズ!
って固めるという模型も、
もちろんあるわけです。
ほぼ日 なるほど。でもそうすると
時系列での説明が
しにくくなっちゃいますね。
市川 そうですよね。
でもこれは、時間の経過で検証ができる
再現模型にしました。
ほぼ日 あ、だから、たとえば近藤勇が
何人も出てくるんですね。
市川 そうなんです。そして、たとえば、
諸説あって真相がわからないことも
表現することができるんです。
ほぼ日 たとえばどんなことですか。
市川 たとえば、近藤勇たちが
池田屋に突入するんですけど、
そのときの突入メンバーは誰か?
ということについては、
いくつか説がありますね。
さらに有名なのは、
沖田総司が池田屋で喀血した、
彼は肺結核だった、という説。
昔は当然のように
そう言われてたんだけど、
今ではかなり疑問を呈されるように
なっているんですね。
なぜならこの元治元年って、
まだ1864年なんですよ。
明治維新まで、もう3年ぐらいある。
なのに池田屋で喀血してたら、
余命あと3年あるかどうかって
いうことが疑問だっていうんですよね。

ほぼ日 確かに沖田総司が、
このときに血を流すような
病状だったら、
連れていかないんじゃないかって
いう気も、ちょっとしますよね(笑)。
市川 実際、この時期に沖田の病状が
悪いっていう証拠は、
一切出てこないんですよ。
じゃ、模型でどうするのかっていう話に
なりますよね。
血を吐かせるのか吐かせないのか。
普通だったら、もう吐かせるって
決めて作るわけですけど、
今回は、「沖田を倒した病は何か?」
という問いかけにしています。
ほぼ日 ああ、それが可能な模型なんですね。
市川 ええ、検証をしながら、
事件の経過を見ることができる、
っていうコンセプトなんですね。
ほぼ日 新選組については、脚色された物語も
後世たくさん出ていますから、
それだけになにがほんとうなのかを
見つけるのはたいへんなんでしょうね。
市川 昭和初期に新選組のことを
文章にした子母沢寛が、
小説家でありながら
小説家の域を超えて、
かなり詳しく検証を行なったんですね。
しかしそのおかげで、
どこまでがフィクションなのか
境界が曖昧になっちゃったんですよ。
子母沢寛は現地調査もして、
当時の有名な歴史家から
「大変いい歴史書だ」
っていうふうなお墨付きまで
得ちゃったものですから(笑)。
長らく子母沢新選組が、
すべて真実みたいな感じで
受け止められてましたね。
最近はいろんな人が検証するように
なっているんですけれど。
ほぼ日 「階段落ち」は物語ですか?
僕らのイメージの階段落ちは
「蒲田行進曲」なんです。
大階段だと思ってたから、
この模型の階段の狭さと急勾配に
びっくりしちゃいました。
市川 すごい狭いんです。

池田屋の平面図 資料提供:NHK出版『NHK歴史への招待16』
ほぼ日 当然、この当時の建物って
小さいですよね。
江戸東京たてもの園にある、
高橋是清の、暗殺の現場となった家。
あの家も小っちゃかった。
っていうことは、池田屋なんて
もっと小さかったのかも?
市川 広くないです。で、しかもですね、
この間取りについては、
いろんな研究者が集まって、
検証したことがありましてね。
「歴史への招待」という
NHKの歴史番組があって、
子母沢寛が昭和初期に行なった
京都での現場検証に
立ち会った人の証言とか、
京都の町屋の研究家とか、
明治大正昭和の図面とか、
いろいろ集めてきて、
ようやくできた池田屋の1階と
2階の平面図っていうのがあるんです。
それを土台にしてるんですよ。
しかしですね、たとえばね、
その番組の中で明らかになったのは、
2階って、こうやって刀振り上げると、
もう刀がすぐ天井に‥‥。
ほぼ日 ついちゃうぐらいの天井高だったと。
市川 低いんですよ。
自由にはチャンチャンバラバラは‥‥。
ほぼ日 ダメですよね。
市川 だから今回の模型は、
検証がほんとにできることを
目標に作ろうということになって。
ほぼ日 おお! リアリティを重視して!
そうすると、どんなことが
わかりました?
市川 たとえば、
2階に上がっていきますよね。
そして「御用改めだ」って言ったとき、
一瞬の緊張があって。
その緊張を破って戦闘が始まる。
そしたらね、当然、
火なんか消しちゃうはずなんですよ。
もともとすっごい薄暗い
明かりしかなかった昔なのに、
火を消したらね、
ほんとに闇になっちゃうんですね。
確かに『浪士文久報国記事』を見ると、
もう2階では戦えなくて、
すぐ1階に移るんです。
つまりそれは、おそらく
暗いからなんです。
で、降りてきたら、
八間の明かりっていうのがあって。
ほぼ日 ハッケンの明かり‥‥?
市川 八間。一説によれば八間四方を
照らすことができる、
すごく大きな明かりです。
ほぼ日 あ、すごい広い範囲ですね。
市川 すっごい広いですよ。
じっさいのところはわかりませんが
『浪士文久報国記事』に
「八間の明かりがあって助かった」って
いうふうに、出てくるんです。
で、階段なんですけど、
想像するのは表階段ですよね。
ほぼ日 そうですそうです。表階段。
市川 ところが表階段のほうじゃなくって、
奥に、せまーい階段があるんです。
ほぼ日 (模型をさして)ここですね。



池田屋の平面図 資料提供:NHK出版『NHK歴史への招待16』
市川 そうそうそうそう。
資料を読んでくと、池田屋惣兵衛が
奥の階段から上がってって、
その後をついてったっていうふうに
書いてあるんです。
表階段じゃなくて奥階段なんです。
だから2階での斬り合いは、
裏階段付近の広い部屋だったろうと
検証再現模型では示しています。
ほぼ日 そこから、また下に降りるんですね。
市川 ええ、すぐ1階に降りてくるんですよ。
たぶんおそらく明かりを吹き消して、
中庭に飛び降りて、
下で戦うやつらは下で戦って、
という状況になったはずなんですよね。
それで、そこまでの間に、
いろんな検証が入ってくるんですよ。

さあ模型に込められた検証には
どんなものがあるんだろう?
次回に、つづきます!


2004-05-18-TUE

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