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── |
こ、こんにちは‥‥あれ?
おもちを焼いてるんですか。 |
荒井 |
うん。
いや、ここにさ、実演のときにつかう
火鉢があるんだよな。
それでさ、なぜだか、もちもある。
で、いまは実演の時間じゃないんだよなあ。
じゃあ焼いて食うか、と。 |
── |
はい(笑)。
あの、きのうは失礼しました。
ファックスがわかりにくかったようで‥‥。 |
荒井 |
うん‥‥。
ああ、もちがいい具合に焼けてきたね。 |
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── |
あの、まずは、お仕事のことから
うかがわせてください。
仲見世のほうにお店がありましたが、 |
荒井 |
うん、仲見世と、その裏の柳小路にね、2軒。 |
── |
創業はどのくらい前に? |
荒井 |
私で4代目なんだけど、
たぶん、ぜんぶで120年くらいになんのかな。 |
── |
120年。
荒井さんはご主人であり、
さらに職人さんでもあるとうかがいました。 |
荒井 |
あの、なんていうのかな、うちの家系ではさ、
私の親父なんかもそうだけど、
扇子を作ってなかったんだよね。
売ることだけをやってるような、
そういう家系の流れだったの。 |
── |
なるほど。 |
荒井 |
ところが私はあんまり、
お客さんにものを売るっていうのが、
どうも得意じゃないと思ってましてね。
喧嘩になるといけないし。 |
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── |
は、ははは。 |
荒井 |
だから、どっちかっていうと
そういうことよりかはさ、
何も口きかない紙と竹を
相手にしたほうがいいかなというようなね。 |
── |
じゃあ、まずは職人さんに。 |
荒井 |
うん。で、うちの職人さんのところ行って
弟子にしてって言ったんです。
親方にすれば、うちは納める店だからね、
そういうところのせがれを
弟子にしようということには
普通はならないんだけども、
「お、いいよ」って言うんでね、やりましたよ。 |
── |
職人さんをめざした。 |
荒井 |
まあ、なんか職人って、いいじゃねえかと。
余計な世辞、愛嬌を言う必要もないし、
それもいいなって思っちゃったんだろうな。
うん、たぶん、そのくらいじゃない? |
── |
そうですか。 |
荒井 |
いや、わかんないけどさ(笑)。 |
── |
でも荒井さんは、いつかお店を継がないと
いけなかったわけですよね? |
荒井 |
うん。私が29のときに、
うちの親父が56で亡くなってね。
そしたらもうしょうがないでしょ、店やるしか。 |
── |
そうでしたか。 |
荒井 |
古い従業員に混じってね、やりましたよ。
でも、職人をやってたからね、
扇子のことは店の誰よりも知ってた。
それのおかげで、なんとかここまでね。 |
|
── |
そうですか‥‥。
話はかわりますが、冨士さんと同級生だそうで。 |
荒井 |
同級生、うん。仲いいんだ。
仲いいんだけど、ほら、
あいつはどっちかっていうと坊っちゃん。
私はセコガキ。 |
── |
そんな(笑)。 |
荒井 |
だから何だ、たとえば子どものころ、
メンコだとかベーゴマだとかやると、
あいつはいっつも新しいのを買ってくるんだ。
負けるもんだからね。 |
── |
(笑) |
荒井 |
そうすると、俺の古ーいメンコ1枚で、
それをぜんぶ取り返してやるというね。
そういう感じよ。 |
── |
いっしょに自転車の練習もされたとか。 |
荒井 |
練習っていうかさ、
俺が教えてやったの、自転車の乗り方を。 |
── |
あ、そうでしたっけ。
すみません思い違いで逆だと思ってました。 |
荒井 |
逆ってあんた、俺が教わるの?!
乗れなかったのは、あいつなの。
だからさ、そういう危険なことはぜんぶ、
私の担当ですよ。
どう見たってそうでしょ? |
|
── |
ま、まあ‥‥はい(笑)。 |
荒井 |
私なんか、初めて自転車に乗ったとき、
うちの斜め前の寿司屋の看板に
バーンてぶつかって、ガーンとなったり
してるんだから。 |
── |
あ、やはり路地で。 |
荒井 |
そう。狭いところでもってやるんだから、
怪我はつきものだけど、あっちはほら、
お坊ちゃんだから。
ね、怪我はさせられないんですよ。 |
── |
(笑)気を遣ってお付き合いされてた。 |
荒井 |
ボロボロですよ、私なんか(笑)。 |
── |
昔はそうやって、
このあたりを走り回って遊んでたんですね。 |
荒井 |
そりゃそうですよ、もう。 |
── |
雷門のあたりに池があったそうで。 |
荒井 |
ああ、雷門の人造池。遊んだねえ。
あと、「新世界」っていうビルができてね、
そこの地下にね、お風呂があったんだ。
お風呂に入って、蕎麦とか食べてさ、
出ると無声映画をやってるわけですよ。
そういうのを観ながらさ、
またなんか食べたりして帰って来たりね。 |
── |
それは、中学、高校くらいですか? |
荒井 |
違いますよ、小学校ですよ。 |
── |
小学生がお風呂入って映画観てなんか食べて! |
荒井 |
そうです、そうそう(笑)。 |
|
── |
へえ〜(笑)。 |
荒井 |
浅草の子っていうのは、
みんな店が忙しいでしょ。 |
── |
はい。 |
荒井 |
おあしをちょっともたされてね、
勝手にそとで遊んできなって、
それが普通でしたね。 |
── |
今の浅草でそういうことは? |
荒井 |
どうかな‥‥。
今、世の中、やっぱ危険だからね。
自動車もすごいしさ、うん。
そういう意味じゃかわいそうかもしれないね。 |
|
── |
そうですかあ‥‥。
あの、またお仕事の話に戻るんですが、
歌舞伎のそうそうたる方々に
ごひいきがいらっしゃるそうで。 |
荒井 |
はい、いただいていますよ。
坂東玉三郎さん、市川團十郎、中村勘三郎さん、
尾上菊五郎さんとか、
ええ、いろいろごひいきいただいてます。 |
── |
すごいお名前が‥‥。
どういうものが歌舞伎の扇子なんですか? |
|
荒井 |
いや、いろんなのがあるから。
役者さんにね、「ちょいと」って呼ばれて、
「へい」って行くわけです。
「今度ね、何々を踊るんだよ」
「あ、そうですか。はい、わかりました」
「いついつまでに作っておいてくんない」
なんて言われるわけです。 |
── |
へええ〜。
そういうのがあってから、つくるんですね。 |
荒井 |
うん。分業じゃなくて、
私は絵付けまでひとりで。 |
── |
絵付けも。 |
荒井 |
私は親方から仕立てをぜんぶ習って
帰って来たんだけど、
絵はこれといって習ってなかった。
で、独学でやっちゃったんです。 |
── |
ご自分で。 |
荒井 |
うん、箔押しから何やら。
だから、あたしに絵を教えたという人は
あんまりいないの。ほとんどいない。
ただ、しいていえば、感覚的なものはたぶん、
私の絵の師匠は、玉三郎さんかもしれない。 |
── |
そうなんですか。 |
荒井 |
坂東玉三郎という人に、
「もうちょっと、ここを、こう逃げて」とか、
「色は、そうじゃない方がいいんじゃない」
とかって、話してもらいながら、
最初はずいぶんいろいろ教わったんです。 |
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── |
すごいお話を、ありがとうございました。 |
荒井 |
うん‥‥。
『浅草今昔展』はみてきたの? |
── |
はい、先日。
すごく見やすくて、わかりやすくて。 |
荒井 |
あれ、私が責任者だったの。 |
── |
荒井さんが、そうでしたか。 |
荒井 |
江戸博の人とね、もっとこうしたほうがいいとか
いろいろ、こう、やりあいながらね(笑)。
ああいう展示ができたのは、
よかったなと思ってますよ。 |
── |
そうですね、みてもらいたいですね。
そして浅草にも遊びにきてほしいです。 |
荒井 |
うん。 |
── |
きょうはどうも、ありがとうございました。 |
こうして、3人目の浅草の人へのインタビューは、
ぶじ終了いたしました。
お会いする前はあんなにびくびくしていたのに、
途中から荒井さんのお話に引き込まれて‥‥。
最後にひとつ。
荒井さんは、最初に焼いていたおいしそうなおもちを
結局、取材が終わるまで食べることはありませんでした。
やさしい紳士だと思いました。 |
(つづきます) |