「美しき日本 ― 大正昭和の旅」展

江戸博学芸員新田さんと小山さんのさらにくわしい解説


氷川丸など日本郵船の客船で
使用された食器です。
すべてに日本郵船のマークが
付けられていますね。
陶磁器製の食器は、波が荒い場合
ほとんどが割れてしまっていたことから、
このような銀製が用いられました。
氷川丸の航路は、
横浜とシアトルを結んでいました。
その航路っていうのは、
今のアメリカに飛行機で行く航路、
つまり北極圏周りなので、船としては、
すごくきつい周り方だったようです。
アリューシャン列島の方を進んでいって、
バンクーバに一回立ち寄って
シアトルに入るっていう航路なんです。
サンフランシスコの航路だと、
ハワイに寄って、ハワイで遊んで、
横浜に入ってくるんですけど。
シアトルへの航路はすごく波が高くって、
穏やかな航行は1年のうち
5月から7月までの3ヶ月ぐらいでした。
波をかぶる、という程度ではなく、
潜水艦のように進まなければ
進まなかったということです。
「太平洋の女王」と呼ばれた浅間丸や
外国船などでは、
すでに優美な船体が好まれていましたが、
氷川丸は鉄板を厚くし、
窓も厚く小さな円窓にしなければならなかったのは
そのためだったんですね。

戦前には豪華客船っていうのが色々あったんですけども、
結局日本郵船の客船の中で唯一これだけが残りました。
あとの船はやはり、全部戦争で、
すべて沈められてしまったっていう経緯があって、
氷川丸は、奇跡の船と言われているんです。
昭和28年(1953)シアトル線に
復帰を果たした氷川丸は、
昭和35年の最後の航海の後、
横浜港山下公園先に
係留船として保存されることとなりました。
平成13年(2001)に係留船として
はじめて、横浜市指定有形文化財に指定されました。

(小山)


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