「美しき日本 ― 大正昭和の旅」展
江戸博学芸員新田さんと小山さんのさらにくわしい解説
金谷ホテルのスケートリンクは
大正5年(1916)ごろに
つくられたものだそうです。
写真は大正から昭和期にかけての
ものだといいますが、
外国人、日本人がいっしょに
たのしんでいるようすが
うつされていますね。
これは現在でも開催されている
長崎県の雲仙名物の国際テニス大会、
その第1回の写真です。
雲仙は、登山と避暑を目当てに、
外国人が、中国の上海などから訪れていました。
大正から昭和にかけては
毎年、2~3万人にも達していたんですよ。
テニスコートは、大正2年
県営雲仙公園の中に整備され、
リフレッシュを目的に
来日していた外国人にも
大変好評だったそうです。
そしてこちらは雲仙ゴルフ・リンクス。
テニスコートと同時期、牧草地を転用した
日本で2番目のゴルフ・リンクス
雲仙ゴルフ場が開業しました。
グラバー邸で名前が知られる、
グラバーの息子の倉場富三郎が中心となり、
在留の銀行家らが設計を指示し、
全9ホールを完成させました。
会員制ではないパブリックコースとしては、
日本初のものだったんです。
開業のとき、雲仙の人びとは
ゴルフというものを見たこともなく、
完成後の維持管理も苦労の連続だったといいます。
(小山)
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