「美しき日本 ― 大正昭和の旅」展
江戸博学芸員新田さんと小山さんのさらにくわしい解説
日本各地で作られてきた玩具である郷土玩具は、
産業の近代化にともない、
子供たちの遊び道具としては衰退していきました。
しかし、土や木、あるいは藁や竹、
紙などで作られた地方色豊かな玩具たちは、
収集家たちの目に留まるようになり、
大正末期から昭和初期にかけて、
全国的に流行するんですね。
ジャパンツーリストビューローも
この流行を受けて、昭和8年(1933)に、
日本郷土玩具研究会を設立、
収集家たちの組織化を図りました。
都市大衆の地方への郷愁、
地方在住者の郷土へのこだわりが、
この流行を生み出したともいえます。
日本の中で鉄道網が整備されて
色んなところに行けるようになると、
各地のローカリズムみたいなものに
興味関心が集まってきたんですね。
郷土玩具のコレクションは、昭和初期に
武井武雄という童画作家が
『日本の郷土玩具』という本を出して、
それから一般の人に知られるようになりました。
それこそデパートでも郷土玩具が売られたりとか、
展覧会が行われたりとかするようになって。
そういった状況で、日本の全国の各地にある伝統的なもの、
ローカルなものに関心が高まっていきました。
長崎の古賀人形の「阿茶さん」のほかにも
いろいろあるんですよ。
こちらが京都の伏見の成田屋人形。
市川団十郎をモチーフとした「暫(しばらく)」です。
こういった郷土玩具に対する興味っていうのは、
ただ玩具を集めるだけじゃなくて、
例えば版画家の人たちが同人誌である版画雑誌の中で、
郷土玩具の特集を組んだりしています。
こちらは昭和8年(1933)10月1日発行の
『版芸術』第19号で、
「続全国郷土玩具版画集」という特集が
組まれていますね。表紙は阿茶さんです。
そういったところで、全国の人が、各地の郷土に、
玩具を通して興味を持っていったんです。
(新田)
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