「美しき日本 ― 大正昭和の旅」展

江戸博学芸員新田さんと小山さんのさらにくわしい解説


吉田初三郎の鳥瞰図に、なぜ、
日本ラインがよく登場するのか。
初三郎は、大正5年(1916)に
京都・山科に大正名所図絵社を設立し、
翌年には東京・京橋にも拠点を置きました。
数多くの弟子を抱え、大正10年(1921)からは
自宅も東京に移し、大正名所図絵社の会社組織も整えて
制作に励むんですが、翌年に、支配人である
小山吉三郎の離反にあい、
12年の関東大震災では、自宅と営業所の両方を失います。
そのとき名鉄(名古屋鉄道)が援助をしてくれたんです。
同社社員寮を仮画室とし、名古屋に支社を設置しました。
それで機会があると、初三郎は、鳥瞰図に、
日本ラインを書き込んでいたのでしょうね。
大正14年(1925)には大正名所図絵社を解散、
観光社を設立、昭和11年(1936)に
青森県八戸市に転居するまで、
愛知県犬山を拠点に制作活動を続けました。

さらにもう1枚見てみましょう。
これは京王電車の鳥瞰図の一部です。

この頃は昭和初期ですから、
大正天皇が亡くなったことで、
大正天皇のお墓に詣でるために、
御陵線っていう特別な支線ができるんですよ。
東京から八王子を描いたときに、
ほんとうは画面に富士山が入らないんです。
だから、伝統的な雲隠しという技法を使って、
ここに富士山ぽこんと置いちゃう。
源氏物語絵巻じゃないけど、
大和絵の技法ですよね。
そんなテクニックが、
初三郎の鳥瞰図には使われているんです。

(新田)


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