「美しき日本 ― 大正昭和の旅」展

江戸博学芸員新田さんと小山さんのさらにくわしい解説


それぞれの観光地では、ポスターとかちらしとか
そういったメディアだけじゃなくて、
新しいメディアを使って、
自分の観光地をアピールしていこうという
動きがありました。
ここでまた、油屋熊八が出てくるんです。
彼はバス会社を設立して、観光ツアーを始めます。
別府の地獄めぐりのツアーをするのに、
それまでは人力車とか
タクシーを使ってやってたんですけど、
タクシーだと、1人頭2円50銭かかる。
大型バスにすれば1人1円で乗れるっていうことで、
大型バスを導入して、それで一儲けしようと
熊八さんは考えるんです。
ただ、バスの燃費が悪すぎて、ちゃんとお客が乗らないと
儲けにならないということで、熊八の奥さんである
亀井しずさんという方がですね、
じゃ私が乗って客寄せでもしましょうかっていう話をして、
一緒にバスに乗ったんです。
和服の綺麗な方ですから、
客寄せをしたところ、人気を得た。
それが日本初のバスガイドと言われています。
バスガイド、最初は着物姿だったんですが、
着物姿でガイドをするとやっぱり大変だと。
大型バスって言っても狭いですし
髪の毛も大きいですから。
だから洋服を着させて、車掌ということで女性を採用して
同乗させるということを始めたんです、
美人の人が選ばれたみたいですね。

こちらはそれで回った別府の八幡地獄と鬼の骨骼です。
高熱の温泉を「地獄」と称し、
それを観光してまわる地獄めぐりは、
明治の末期から始まったといわれます。
湯量の多い別府では、八幡地獄、鉄輪(かんなわ)地獄、
海地獄、血の池地獄など、多くの地獄がありました。
大正9年(1920)、陸軍大演習のおりこの地を訪れた、
摂政宮裕仁殿下(昭和天皇)のために
整備された道路により、
自動車での観光が可能となったんですね。
バスガイド誕生の背景には
そういうエピソードもあるんです。

(新田)


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