糸井 |
選手時代の原辰徳さんみたいに、
「ケガを抱えていても何をしても、
不振になると、まわりのみんなから
責められる立場にある」という人は、
すごく、ツラかっただろうなぁと思います。
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藤田 |
みんなはイヤな苦い顔をしていましたけど、
いつだったかなぁ、
原が日本シリーズで打てなかったころ、
たぶん近鉄との試合の時かな、
ぼくは、原の顔を見るたんびに、
「おっ、きょうはホームラン出るよ」
と毎日言っていたんです。
そしたら、最近になって、原のほうから、
「監督、前に、ぼくの顔を見たら、
『きょうはホームラン出るよ』と
かならず、言ってくれていましたよね」と。
ああ、覚えていたのか、と思いました。
そういう言葉も、
一見、お世辞とかお上手とかに
聞こえるかもわからないけれども、
やっぱり選手にとっては、ある程度、
安心感になるんじゃないでしょうかね。
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糸井 |
あぁ、そうだったんですか。
その言葉が効いて、
原さん、ほんとに打ちましたよね。
バットをパーンとやった、
日本シリーズでの劇的なホームランで。
たしかに、原さんは、本人としても
相当ツラくなる立場での、
巨人の4番バッターだったと思うんです。
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藤田 |
ツラかったと思います。
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糸井 |
「万全だったら‥‥」という言いわけが
巨人の4番って、できないじゃないですか。
そのことを、誰かが
どこかでわかっていてあげないと‥‥。
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藤田 |
ある時、チャンスで原の打順が来て、
みんながホームランを期待しているのに、
センター前に、小さなヒットを打ったんです。
原は、ベンチの裏に来て、
「監督、やりました」とうれしそうに言う。
ぼくはその時、心の中では、肚の中では、
「4番打者は、ホームラン打ってこい」
と言いたいんです。ほんとは、そうです。
だけど、自分がヒットを打てて、
チームの役に立てたということを
原がすごくよろこんで、
「監督、やりましたでしょう?」
とぼくに言っているんだから、
「うん、よしよしよし」と言ったんですよ。
そういうことがありました。
肚の中と、ぜんぜん
違うことをいったことがありましてね‥‥。
あの時、どっちがよかったかなぁ。
どう言ったら、よかったのかな。
「何をいうか、馬鹿野郎。
4番打者が、ホームランでも打ってこい!」
と言った方がよかったのか。
それとも、それを言ったんじゃあ、
あいつが必死になって打ったのに、
それを否定することになる。
それなら、そのときの心境を考えたら、
ああいう言い方でよかったのかなぁ。
そういうことがありましたね。
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糸井 |
原さんの選手時代のそのお話は、
あとで監督になる人っぽいエピソードですね。
ぼくも、いくつか覚えています。
原さんが自分からセーフティーバントをして、
解説者がブーブー言っていたこと、ありましたもの。
やっぱり「チームプレー好き」ということが、
あの人の中には、大きくあるのかもしれないですね。
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藤田 |
それは、ありますよ。
江川があれだけ計算して「中5日」なんていう
自分で作ったローテーションを実行していた。
あれだけ、自分の体のことを考えて、
「余分なことは、絶対にしない」という選手が、
1回だけぼくに、甲子園で
「ぼくを、使ってください」
と言ってきたことが、ありましたからね。
投げた翌日に、「行けますから」と。
そのときは、チームが一緒になって
燃えていた時期なんです。
みんなが、ヘトヘトになって
リリーフしたりなんかしているのに、
江川だけが、キチッキチッと
自分のペースを守ってやっていた時期。
江川も、燃えたんでしょうね、
「使ってください。いつでも行きますから」
そう来たことで、ぼくは、
「江川という人間は
みんながいうような打算で成り立って
自分のことしか考えていない選手ではないな」
と思いました。
あいつは恐らくシャイで
そういうことは言わない男なんです。
言うことを「かっこ悪い」と
思っているんじゃないかなぁと。
だからぼくは、そういう意味では
その一言で、江川を見直しました。
誰が江川を何といおうと、あいつの底には
そういう精神がちゃんとあるな、というのを、
そのときにわかりました。
後にも先にも1回だけです。
その時のぼくは、「やめとけ」と言いました。
でも、うれしかったですよ。
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糸井 |
そうやって、
「一人一人の選手にいいところがある」
みたいなものを、ひとつずつ発見していく、
という仕事が、監督業なんですか?
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藤田 |
いや、いいところは、
一緒にいると、出てくるんです。
それに気づかないで過ごすか、
気づいてバッと自分の心にとめて、
いつまでも覚えておいて、
大事な時にそれを出していくかどうかですね。
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糸井 |
中畑さんは、
藤田さんの監督時代最後の年、
ベンチにいることが多かったですよね。
中畑さん、藤田さんとは長いつきあいだけど、
ベンチにいることに関して、最初はやっぱり、
「このやろう!」という気持ちがあったそうです。
しかしそのうち、藤田さんを
ベンチから見ている時間が多くなると、
「だんだんと俺は監督をやりたくなってきた」と。
「あの人のそばにいたら、
監督になるということはスゴいことだと思う」
「死ぬまでに、いちど監督をやりたいと思った」
そうおっしゃっていましたね。
「ベンチにいることが、
野球をやっていることなんだと実感できた」
あとになって、ぼくに向かって静かに、
あの騒がしい中畑さんが、
とても静かに言ったんですよ。
たぶん、その最後の1年って、
中畑さんにとっては、
すごく大事だったんだろうなぁ、
と思いながら、聞いていたんですけどね。
中畑さんがベンチで「おもしろくないな」と
思っていたことも、藤田さんはご存じでしたか。
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藤田 |
知ってます。じゅうぶん知ってます。
ケガをしたり、
得意のところを外したりしたから。
彼は怒って当然だと思います。
それまでが、スーパースターですものね。
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糸井 |
そこを最終的に、
ベンチにいることでチームを活性化させて、
「ベンチにいることが勝負をすることだ」
と彼に思わせるまでには、
中畑さんの中にも、大きな変化があったでしょう。
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藤田 |
彼がえらいのは、
ふてくさったりする態度を
一見、ひとつも見せませんでした。
ぼくは、それでも、感じていましたけどね。
だから、何とかしてやりたいなと
思ってはいたんですけれど。
普通に見ているぶんには、ぜんぜん元気よく、
努めて、見せないようにしてました。
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糸井 |
中畑さん、練習はたくさんしていたんですよね。
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藤田 |
ええ、やってました。
ただ、すぐケガをするんです。
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糸井 |
やっぱり、おもしろくない時は
ケガをするんですか。
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藤田 |
ケガするんです。
それでも、ぼくに言ってきましたよ。
「ぼくがケガをすると、優勝するんですよ。
ことしも大丈夫ですよ!」と来ましたものね。
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