糸井 |
藤田さんは、ご自分でも、
「ワルだった」とおっしゃっていますし、
まわりの選手たちも、そのことを
かなりよく知っていますが、一般的には
あまり知られていないエピソードですよね。
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藤田 |
やっぱりもう、ずいぶん昔の話ですから。
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糸井 |
ほんとうに、悪かったんですか?
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藤田 |
けっこう、悪かったですね、そう言えば。
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糸井 |
暴れんぼう系?
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藤田 |
暴れんぼうだったですね。
ですから、極端な時には、
学校の行きかえりでは必ず待ちぶせされて、
集団で上級生に襲われたり、
校舎の下を歩いていると、2階から、
ぼくをめがけて机が降ってきていました。
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糸井 |
(笑)あはははは。
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藤田 |
おたがいに、
また仕返しをするものですからね。
やられたら、やったヤツを、
ひとりずつ覚えておきますし。
学校の帰り道には
松林がいっぱいあるものですから、
上級生が、その中に忍んでいて、
帰ってくるヤツらをひとりずつ見ていて、
ぼくを探しだすという‥‥。
毎日がそのくりかえしですから、
まぁ、学校へはあまり行きたくないですよね。
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糸井 |
(笑)必ず誰かに待たれている‥‥。
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藤田 |
でも、不登校にはならなかったですね。
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糸井 |
そういう嵐の中を行くタイプだった?
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藤田 |
嵐の中を、やっぱり行きました。
行くものだと決めていましたからね、その当時は。
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糸井 |
「背の高い子」だったわけですか。
体格のいいタイプ?
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藤田 |
大きいほうでした。
やっぱり目立ったんですね。
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糸井 |
もっと小さいときというのは、
ふつうの子だったんですか。
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藤田 |
どちらかというと、小さい時から
背が大きい部類に入っていましたね。
ばかでかくはないけれども、大きいという。
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糸井 |
やっぱり、やんちゃだったんですか。
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藤田 |
やんちゃは、中学生ぐらいからです。
小学校の時は、どちらかというと
いじめられっ子みたいな感じでした。
もっと強いのが、他にいましたから。
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糸井 |
そこでのチェンジのきっかけは、
何だったのですか?
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藤田 |
やっぱり戦時中から終戦にかけて、
予科練帰りの人が学校にきてからかなぁ。
大きな長い棒を持って、
校庭でケンカしていたりなんかするのを、
見ているうちに、だんだんと‥‥。
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糸井 |
漁師町の話みたいですね。
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藤田 |
実際、漁師町としての色が濃かったです。
今でも祭のときは相当ケンカが起きます。
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糸井 |
高校時代の、暴れ放題のころも、
まわりは見捨てたりはしなかったんですか?
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藤田 |
いや、手に負えなかったでしょうね。
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糸井 |
親は?
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藤田 |
親はよく、面倒を見てくれました。
よく学校へあやまりに行ってくれました。
‥‥これが、いちばんツラかったですね。
親を呼び出されるわけで、
「『親と一緒に来い』と言われた」
こちらとしては言いにくいことを
言ったら、ちゃんと行ってくれるわけです。
それで、先生に叱られて
一緒にトボトボ帰るわけです。
それが、いちばんイヤだったですね。
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糸井 |
先生に反抗することはなかったんですか?
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藤田 |
いえ、だいたいぼくは、
学校へ行くと職員室に呼ばれて、終わるまで
職員室の机の下に座っているのが日課でしたから。
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糸井 |
(笑)
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藤田 |
職員室の中を、ひとまわり
ひっぱたかれながら
グルッと、まわったことがありますね。
ですけど、その時はその時で、
先生の言うことをきいているんですね。
「この野郎!」と思って反発したのは
1回しかない。すずりをガシャッとね。
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糸井 |
先生を、すずりで殴った?
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藤田 |
ええ。
あまり叩かれて、麻痺しちゃってね。
そのへんにあるもので、手に触れたものを
そのまま顔にガシャッとぶつけた。
それだけが、唯一の反発だったです。
あとは素直にハイハイといいながら
悪いことをしていた。
だから、先生からしたら、
手に負えないように、見えたでしょう。
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糸井 |
やはり戦後の混乱がそのまま色濃く‥‥。
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藤田 |
そうですね。
ほんとにその時は、
「何かやらなきゃ、おさまらない!」
みたいなエネルギーで一杯でしたからね。
でも、いま思えば、いい時代だったです。
何をやっても、
学校を放り出されるようなこともないし。
あわや放校なんていう時もありましたけど、
でも、ちゃんと置いてくれましたからね。
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糸井 |
そのころ、野球をやっていましたか?
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藤田 |
野球をやるのは、もっと後からですね。
終戦になってから、
「何かやろうか」っていうのがきっかけです。
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