糸井 |
終戦になって、
「何かをやろうか!」という感じが、
そのまま、野球をやることにつながったんですか?
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藤田 |
そうですね。
終戦になってから、
戦前に野球をやっていた人が、
ある日、グラブを持ってきたんです。
いまでも忘れませんが、
アメリカ製のマクレガーのグラブ。
それが、ものすごく、光って見えたわけです。
皮の、アメ色でテカテカのそのグラブを見て、
ぼくはびっくりしちゃいました。
そのうちに、白と黒の糸で縫った
サインボールを持ってくる子がいたり、
バットの折れてるやつに針金を巻いて、
使えるようにしたのを持ってきたり‥‥。
で、集まってきたわけです。
グラウンドは、石ころだらけで
もう、グラウンドでさえないんですけれど、
それも、自分たちで石を拾って、いちおう
グラウンドらしくして、はじめたんですよね。
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糸井 |
石を拾うようなところから、はじめたんですね。
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藤田 |
そうですよ。
だってその頃の校庭は、
ぜんぶカボチャ畑とか畑になってましたから。
それに対しても、ぼくは時々腹を立てて。
カボチャをぜんぶ割って職員室に座らされたり、
そういうことも、ありました。
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糸井 |
だいたい、腹を立てていたんですね(笑)
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藤田 |
当時は、食いものが最優先ですから、
運動場なんて要らない、とされていたんですね。
すべてが、ジャガイモ畑とか、サツマイモ畑‥‥。
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糸井 |
戦争が終わった時の藤田さんは、何年生でしたか?
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藤田 |
中学2年。
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糸井 |
それよりも、後に、野球を覚えたんですか?
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藤田 |
そうです。
それまでは三角ベースです。
投げたボールを手で打ってね。そんなものでした。
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糸井 |
だけどそこから野球を覚えたら、
才能があったわけですよね?
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藤田 |
やり出したら、不思議と肩が強かったんです。
最初は「サードをやれ!」というので
サードをやったけれど、投げるボールが、
すべてファーストのはるか上を行くわけです。
ファーストの裏には講堂があって、
暴投続きのぼくは毎回ガラスを割るものだから、
守備として、よそにまわされて‥‥。
暴投をしても影響のないキャッチャーをやっても、
ワンバウンドが来ると逃げるような人間ですから、
「オマエはもう、ピッチャーだ」
行くところがなくて、ピッチャーになったわけです。
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糸井 |
え?
ご自分では、ほんとうは、
ピッチャーのつもりは、なかったのですか?
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藤田 |
「どこをやろう」という意識って、
はじめは、まったくなかったです。
ボールをただ投げて受けて
打っていればよかったわけですし、
野球のルールとかそういうものは、
まず、知らなかった。
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糸井 |
野球をされているときには、
もう、ワルじゃなかったんですか?
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藤田 |
いや、ワルをやりながら野球をやっていて‥‥。
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糸井 |
ワルと野球の、両方やっていたんですね。
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藤田 |
両立していたんですよ。
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糸井 |
勉強はぜんぜん関係なく過ごしていましたか?
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藤田 |
高校での勉強は、
ぼくはよぶんに2年やっています。
1年は、ワルだったから
3学期の試験を受けさせてもらえなくて、
それで落第させられまして、
とてもこの学校にはいられないというので、
転校する時に、また1年下がって。
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糸井 |
高校生活を5年やっているんですか。
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藤田 |
やってるんです。
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糸井 |
野球をはじめる前に、
もうすでに、1回挫折してますね。
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藤田 |
ええ。
それでも野球は一応、評判になってきましてね。
西条へ転校するときには、西条高校からの、
「あんなワルを、取っちゃいけない」
という猛反発がありましたが、野球部長の先生が、
「いや、そういうワルこそ、見込みがある」
ということで、1人でかばってくれたんです。
そのうちに、どういうわけか、
人が「あいつは野球がうまいよ」という目で
見てくれるようになったら、立ち直ってきました。
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糸井 |
千代大海の話みたいですね(笑)
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藤田 |
人に認められるというのは、
人間が立ち直るいい機会になりますね。
それからは、
「あ、このままじゃいけないんだな」
ということで、だんだんだんだん静かになった。
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糸井 |
悪い悪いといっても、
やっていることは、別に盗みをしたとか
そういうことじゃないんですよね。
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藤田 |
やんちゃです。
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糸井 |
要するにケンカばっかりしていたんですか。
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藤田 |
ケンカばっかりですね。
隣の学校へ乗りこんでいったり。
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糸井 |
わざわざ出かけていくんですか。殴りに。
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藤田 |
1人で行って、やられるかと思ったら、
みんな出てこなかったからよかったんですけどね。
そういうのが、何というのか、
その時の‥‥生きがい、でしたから。
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糸井 |
自分では、そのほうがかっこいいというか、
正義感みたいなものがあるんですかね。
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藤田 |
そういうものを、意識してやるんじゃなくて、
何となくいろいろ腹が立つんですよね、何かと。
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糸井 |
わけもなく(笑)
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藤田 |
わけもなく腹が立つ。
それで、エイヤッとやっちゃうんですよね。
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糸井 |
それが野球で認められたら沈静化した。
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藤田 |
不思議ですね、あれ。
人に認めてもらうと沈静化していくんだなぁ。
ですから、ぼくは指導者になってからも、
自分だってそういう経験がありますから、
選手たちが、いくらワルいことをしていても
驚かないんですよ。
「あいつ、俺が通ってきた道を行ってるな」
というようなものでね。
そういうときにポツンポツンと、
「おまえほどのヤツが、
そんなことをやってるのは
ちょっとおかしいんじゃないか」
なんていう言い方をすると、静まるんですよ。
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糸井 |
‥‥あぁ、
ワルいことをしているヤツの気持ちを
わかっている言葉を、自分もやってるからこそ、
投げることができるんですね。
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藤田 |
だから悪い経験じゃなかったです。
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糸井 |
それがなかったら、思えば、
藤田さんの監督としての道って、
なかったかもしれないというぐらい
大きい経験ですねぇ、きっと‥‥。
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藤田 |
そうかもしれない。
このへん、背中あたり、
入れ墨が入っていたかもわからないですね。
そういう環境でしたから、まわりは‥‥。 |