アーカイブ 2002/11/08
 
第9回 ワルの転機
糸井 終戦になって、
「何かをやろうか!」という感じが、
そのまま、野球をやることにつながったんですか?
藤田 そうですね。
終戦になってから、
戦前に野球をやっていた人が、
ある日、グラブを持ってきたんです。
いまでも忘れませんが、
アメリカ製のマクレガーのグラブ。

それが、ものすごく、光って見えたわけです。
皮の、アメ色でテカテカのそのグラブを見て、
ぼくはびっくりしちゃいました。

そのうちに、白と黒の糸で縫った
サインボールを持ってくる子がいたり、
バットの折れてるやつに針金を巻いて、
使えるようにしたのを持ってきたり‥‥。
で、集まってきたわけです。

グラウンドは、石ころだらけで
もう、グラウンドでさえないんですけれど、
それも、自分たちで石を拾って、いちおう
グラウンドらしくして、はじめたんですよね。
糸井 石を拾うようなところから、はじめたんですね。
藤田 そうですよ。
だってその頃の校庭は、
ぜんぶカボチャ畑とか畑になってましたから。

それに対しても、ぼくは時々腹を立てて。
カボチャをぜんぶ割って職員室に座らされたり、
そういうことも、ありました。
糸井 だいたい、腹を立てていたんですね(笑)
藤田 当時は、食いものが最優先ですから、
運動場なんて要らない、とされていたんですね。
すべてが、ジャガイモ畑とか、サツマイモ畑‥‥。
糸井 戦争が終わった時の藤田さんは、何年生でしたか?
藤田 中学2年。
糸井 それよりも、後に、野球を覚えたんですか?
藤田 そうです。
それまでは三角ベースです。
投げたボールを手で打ってね。そんなものでした。
糸井 だけどそこから野球を覚えたら、
才能があったわけですよね?
藤田 やり出したら、不思議と肩が強かったんです。
最初は「サードをやれ!」というので
サードをやったけれど、投げるボールが、
すべてファーストのはるか上を行くわけです。
ファーストの裏には講堂があって、
暴投続きのぼくは毎回ガラスを割るものだから、
守備として、よそにまわされて‥‥。

暴投をしても影響のないキャッチャーをやっても、
ワンバウンドが来ると逃げるような人間ですから、
「オマエはもう、ピッチャーだ」
行くところがなくて、ピッチャーになったわけです。
糸井 え?
ご自分では、ほんとうは、
ピッチャーのつもりは、なかったのですか?
藤田 「どこをやろう」という意識って、
はじめは、まったくなかったです。

ボールをただ投げて受けて
打っていればよかったわけですし、
野球のルールとかそういうものは、
まず、知らなかった。
糸井 野球をされているときには、
もう、ワルじゃなかったんですか?
藤田 いや、ワルをやりながら野球をやっていて‥‥。
糸井 ワルと野球の、両方やっていたんですね。
藤田 両立していたんですよ。
糸井 勉強はぜんぜん関係なく過ごしていましたか?
藤田 高校での勉強は、
ぼくはよぶんに2年やっています。
1年は、ワルだったから
3学期の試験を受けさせてもらえなくて、
それで落第させられまして、
とてもこの学校にはいられないというので、
転校する時に、また1年下がって。
糸井 高校生活を5年やっているんですか。
藤田 やってるんです。
糸井 野球をはじめる前に、
もうすでに、1回挫折してますね。
藤田 ええ。
それでも野球は一応、評判になってきましてね。
西条へ転校するときには、西条高校からの、
「あんなワルを、取っちゃいけない」
という猛反発がありましたが、野球部長の先生が、
「いや、そういうワルこそ、見込みがある」
ということで、1人でかばってくれたんです。

そのうちに、どういうわけか、
人が「あいつは野球がうまいよ」という目で
見てくれるようになったら、立ち直ってきました。
糸井 千代大海の話みたいですね(笑)
藤田 人に認められるというのは、
人間が立ち直るいい機会になりますね。
それからは、
「あ、このままじゃいけないんだな」
ということで、だんだんだんだん静かになった。
糸井 悪い悪いといっても、
やっていることは、別に盗みをしたとか
そういうことじゃないんですよね。
藤田 やんちゃです。
糸井 要するにケンカばっかりしていたんですか。
藤田 ケンカばっかりですね。
隣の学校へ乗りこんでいったり。
糸井 わざわざ出かけていくんですか。殴りに。
藤田 1人で行って、やられるかと思ったら、
みんな出てこなかったからよかったんですけどね。
そういうのが、何というのか、
その時の‥‥生きがい、でしたから。
糸井 自分では、そのほうがかっこいいというか、
正義感みたいなものがあるんですかね。
藤田 そういうものを、意識してやるんじゃなくて、
何となくいろいろ腹が立つんですよね、何かと。
糸井 わけもなく(笑)
藤田 わけもなく腹が立つ。
それで、エイヤッとやっちゃうんですよね。
糸井 それが野球で認められたら沈静化した。
藤田 不思議ですね、あれ。
人に認めてもらうと沈静化していくんだなぁ。

ですから、ぼくは指導者になってからも、
自分だってそういう経験がありますから、
選手たちが、いくらワルいことをしていても
驚かないんですよ。

「あいつ、俺が通ってきた道を行ってるな」
というようなものでね。

そういうときにポツンポツンと、
「おまえほどのヤツが、
 そんなことをやってるのは
 ちょっとおかしいんじゃないか」
なんていう言い方をすると、静まるんですよ。
糸井 ‥‥あぁ、
ワルいことをしているヤツの気持ちを
わかっている言葉を、自分もやってるからこそ、
投げることができるんですね。
藤田 だから悪い経験じゃなかったです。
糸井 それがなかったら、思えば、
藤田さんの監督としての道って、
なかったかもしれないというぐらい
大きい経験ですねぇ、きっと‥‥。
藤田 そうかもしれない。
このへん、背中あたり、
入れ墨が入っていたかもわからないですね。
そういう環境でしたから、まわりは‥‥。
 
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