小川 |
道具……自分らが使う道具の中で、
いちばんって言うのは、砥石です。 |
糸井 |
砥石がいちばんなんですか? |
小川 |
いちばんです。
今は、いい砥石がない時代。
天然の砥石がないということですからね。
少なくなった。 |
糸井 |
天然のいい砥石というのがあるんですか? |
小川 |
うん。 |
糸井 |
それは、やっぱり全然違うんですか。 |
小川 |
違いますね。
それに見あわせた人造の砥石、
人工的な砥石を一生懸命みんなつくってますけどね。 |
糸井 |
似て非なるものなんですか。 |
小川 |
うん、違いますね。 |
糸井 |
何がどう違うんですかね。 |
小川 |
やっぱし、違うんですなあ。 |
糸井 |
「違うんですな」ですか……(笑)。 |
小川 |
うん。
自分たちの仕事は、
弟子に教えるということはほとんどないんですが、
教えることがただ一つあるのは、
「刃物を研ぎなさい」ということ。
刃物研ぎだけです。
刃物を、そうだなぁ、
だいたい1年ぐらい研げば、
まあ、切れるようにはなります。 |
糸井 |
1年研げば……? |
小川 |
うん、使えるようにはなります。
しかし、刃先に一点の曇りもなく
ピシーッと研ぐということになると、
10年研いでも研げない子は研げないんです。 |
糸井 |
そうですか。 |
小川 |
うん。
仕事が終わるでしょ、そうすると、
毎日毎日研ぎ場でみんな研ぐんです。
一生懸命一生懸命研いで研いで研いでやって、
研げていると思えば研げる。
その結果は、人にはだれもわからないんですよ。
研いでる本人しかわからない。
わかろうと思えば、隣で研いでいるやつが
ちょっとわかるぐらいなんです。
ですから、自分でこれが一番ピシーッと研げた、
研げているということがわかるかわからないか、
感じるか感じないか、
それは教えることができないんですよ。 |
糸井 |
感じるか感じないか、か……。 |
小川 |
うん。
ですから、感じないと思えば一生懸命研ぐ。
10年研いでも研いでいるんです。
その間に職人としての
研ぎ澄まされた精神というのが
養われてくるわけですよ。 |
糸井 |
文字どおり、
自分が研ぎ澄まされていくわけですね。 |
小川 |
そうなんですよ。
まだ研げていない、研げていないと思って
いつも研いでゆくことによって、
その職人がつくられてくるわけですよ。
そこで研げているかどうかを
教える必要もないんです。
「これは研げているよ、どうのこうの、
そんだったら、顕微鏡を持ってこい!
顕微鏡で刃先を見てやるから……」
そんな風にやったら、カスですよ。
それを見るようになると、
常にそればっかし見なくちゃいけなくなるわけだ。
一度見ると、いつもそれで確かめなきゃいけない。
確かめる人生になる。
ポッと見ただけでもわかるようになって、
しかも顕微鏡以上に目が肥えなきゃダメなわけです。
そこに気づくか気づかないかということだと思う。
たとえば、研いだあとに、かんなで削ってみる。
そうすると、
「あれよりも俺の方がかんなくずはいい」とか、
「あれのほうがいい」とか、そういう
ちょっとしたことに気づくか気づかないかですよね。
カタチに作るにしても、
そういうような、ほんのちょっとした加減が、
カタチのいい悪いになるわけで。
だから、大事なのは、
「気づくか気づかないか」それだけです。
それは、何をアドバイスしたって、
わかるものじゃないですし。教えられない。 |
糸井 |
お弟子さんがいて一緒に暮らしているということは、
結果、そのことを教えていることになりますよね? |
小川 |
それが一番大切なんですよ。
一緒の空気を吸って、一緒の飯を食べて、
一緒のところに寝て、一緒の目的を持って
生活をするということ……そうすると、
学ぼうと思う雰囲気の中に入っていれば、
「捨て育ち」でいいんです。ほっとけばいい。
もう構わないで、捨て育ちですね。
手をかける必要ないんですよ。
その雰囲気はつくっておかなくちゃダメですよ。
その雰囲気が、いちばん大切なんですよ。 |
糸井 |
その雰囲気をつくるためには、
師匠に当たる小川さんが、いつでも
その雰囲気を必ず持っている人じゃないと、
お弟子さんも、何だと思っちゃいますね。 |
小川 |
そうですね。中には雰囲気に
うまく溶け込めない子もいますよ。
逆らう子もいます。そういう子は、
そういう子なりにうまく指導してやるというか、
指導ということはねえけども、言ったり何かして、
うまく溶け込めるようにしておけばいい…… |
糸井 |
そうすると、回り道はするけれども、
あるところに行くみたいな……。 |
小川 |
うん。 |
糸井 |
その中で、やっぱり
その子が持っている個性は出るわけですよね。 |
小川 |
出ますよね。
しかし、個性が出るなんていうのは、
もう、最後の最後のものだな。
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