80's
ミーちゃんの縁側。
「80代からのインターネット入門」の
その後。

「80代からのインターネット入門」という
唐突なコンテンツが「ほぼ日」に生まれて、
とにかく80歳代のミーちゃんがパソコンを使ってる。
おなじみの「ミーちゃんの日記」を、再開しました!

何を書いてほしいとか、あんまり言わなかったけど、
なにか自分でも書きたいことがあるようで、
「うふふ」ってな感じで、さっそく原稿を送ってきた。
ま、ミーちゃん家の縁側に座り込んで、
ばくぜんと話を聞くような感じで、
軽いおたのしみになったらいいですね。

ミーちゃんの縁側で、旅行の話なんかを聞く。

1.30年前のパリに行ったときの迷子の話。

確か朝日新聞社での募集で
ヨ-ロッパ4ケ国
(フランス・スイス・ドイツ ・イタリア)
を廻る旅で¥299.000で新聞広告に、
大きく出ていたように思う。
娘がそれを見て
「こんなに安いのだから行ってみたら?」と言ったので
私もつい、その気になってしまった。
昭和49年11月(1974年)上旬
アンカレッヂ経由(殆ど此処だった)
小さな小さな空港で駅の売店の様なのがあり、
結構活気は有った。
こんな事はどうでも良いが、先ず「パリ」へ着いた。

ホテルの前の並木は「枯れ葉よ-」と
その頃シャンソンで聞いてたような
落ち葉がいっぱいでフランスへ来た気分は充分だった。
多分着いた翌日は自由行動だったか?
出かける前に憧れの「サントノ-レ通り」を
歩いてみたいので
添乗員さんにどうに行くのか聞いたところ
地下鉄で「何々行き」に乗り
「オペラ座前」で降りると直ぐわかると、教えてもらった。

私と同室になった奥様と、二人で出かけた。
(海外旅行は初めてでこんな簡単にやれたのだった。
何回か経ってからなら、とても出来ないことだと
驚くばかりだ)
兎に角地下鉄を降りた。
その辺に黒人が革製品など沢山広げて売ったりしていて
なんだか不気味にくすぶっていた。
2人は外へ出て「街」の歩道を歩き出した。
生まれて初めて歩いている人が全部外人!!
街は思っていたより静かだった。
10分程歩いたかと思うが
だんだん寂しいようになり
私の目指す「高級店の並ぶ通り」の感じがしない。
2人は不気味になってきて
「おかしいわね、戻ってみましょうか?」と。
気持ちが一致したので戻り始めた。

オペラ座まで戻り、素敵な建物の反対側へ廻り
直ぐ横の角に2・3人の小学生が居たので
私がパリの地図を出して
「サントノレ」(私の発音では解らないかも知れないが)
と言って前こごみになって真剣に地図を見ていたら、
私の頭の上で「どちらをお探しですか?」と、
日本語で男の人の声がした。
ハッと驚き振り向いて見たところ???
なんと40歳くらいの日本の紳士が立っていた。
嬉しさのあまり声もつまつた様な気がする。
「サントノ-レ通りに行きたいのですが」と慌てて言った。
紳士は「ご一緒しましょう」と
私達を案内するように歩き始めた。
何とかお礼を言わねばと焦ったが紳士が
「私はこちらへ機械を納品して
 稼働するまで滞在して機械の様子を見ていて
 明日、日本へ帰るので土産物を買いに来たのです」
と、丁寧に自己紹介してくれた。
私の希望する店サンロ-ランとディオ-ルの店をのぞいて
(その日は日曜日で店は全部閉まっていた)
私は細かいお土産を買いたかったので
「蚤の市」があると聞いていたので紳士にたずねたところ
「わたしも蚤の市へ行くのでご一緒しましょう」
と付き合ってくれた。
その後シャンゼリゼ通りへ出て
3人でお茶を飲んで別れた。

あの時日本の紳士に行き会えなかったら、
どうしたかしら???と、    
思い出す度に神に感謝し、
住所やお名前を書いたメモ帳を見て
あの時の嬉しかったことを忘れないで居る.

(つづくわよ)

2001-05-21-MON

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