ミーちゃんの縁側で、旅行の話なんかを聞く。
7.ガイドさんも大変よね。
スペイン・モロッコ・ポルトガル。
1984・9/15〜
先ずスペインのバルセロナから始まった。
私は又、[一人参加]だった。
予約してあったホテルに着いて
ロビ-で荷物を下ろしてみんなは、ぐったりしていた。
添乗員さんと現地のガイドさんは、フロントで
ホテルの人と何か掛け合っている。
だんだん大きい声になり何となく不安になってきた。
約2時間ほど待たされたような気がした。
添乗員さんは
「皆さんに、お知らせいたします。
スペインでは航空会社のストライキで
前夜宿泊した人はそのままで良いことになっているので
私達が予約してあったお部屋は空いて居ないので
他の空いている部屋を探して貰いましたが
良い部屋が無く何とか2人部屋の人だけ決まりましたが
一人参加の方は他のホテルにご案内いたします」
と、言うことになり5・6人の人は荷物を持って
近くのホテルまで歩かせられた。
ホテルとは名ばかりの間口5メ-トルくらいで
長屋の様で中へはいると一人で入るだけの受付があり、
その後ろにエレベ-タ-が有るだけ。
そのエレベ-タ-に載せられ2階で降りたら
廊下には共同トイレが有り部屋にはシャワ-のみ。
薄暗いところだった。
外国まで着てこんなに侘びしい思いをするとは
思っても見なかった。
確かそのホテルに2泊し
バルセロナ市内でガウディの設計の公園や
未完成の聖家族教会等見たり
ランプラス通りを散歩したりしたが、
その素晴らしさに驚きながらホテルの侘びしさに
何とも言えない情けなさは拭えなかった。
そして、まだストライキが続いているので
バスでマドリッドへ行った。
先ず契約してあったプラド美術館近くの
ステキなホテルの前に車を止めた。
私達は不安な気持ちで待っていた。
添乗員さんが浮かない顔で出てきて
「駄目だった」と肩を、おとした。
仕方がないので他のホテルを紹介して貰ったので
そちらへ行きます。となった。
それから随分郊外の方へ行き「駅」の近くで
直ぐ前の方に汽車のレ-ルがたくさん有り
とてもさっぱりしないような所だった。
そこで同室になった若い奥様と
プラ-ド美術館だけは行きたいので
タクシ-で行き本館と別館を見たり
近くで革製品など買ったりした。
翌日はオプショナルでトレドを観光した。
マドリッドもあちこち素晴らしいところばかりで
トレドと共に圧倒された。
観光のことは横道になるので簡単にする。
マドリッドから「タルゴ」(特急列車)でセビリアヘ。
ここからホテルは予約通りになった。 セビリアからはバスで、有名な観光地を廻り
ジブラルタル海峡を船で渡りモロッコのタンジ-ルヘ着き
カサブランカやマラケシュ等3泊ほどして
カサブランカ空港からホルトガルのリスボンへ着いた。
大体観光も一段落した頃、
添乗員さんとガイドさんが建物の陰で
深刻な顔で話し合っている。
私は又何かあるな?と感じた。
すると「皆さん集まってください」と、始まった。
「フランクフルトから
予定していた飛行機に乗れないことになり、
本社で至急探すので取り合えずベルギ-等観光して
連絡を待つ事になりました」
一同「へーー」と言ったきり声も無し。
ではこれから昼食にご案内します。
と、バスで中華のレストランに行った。
8人掛けの廻る円卓に腰掛けて
一同は久し振りに懐かしい中華料理で
そわそわうきうきしていた。
すると
「皆さん、直ぐ発ちますので
バスに乗って下さい」・・・・・。
テ-ブルにかけた時の顔が、
咄嗟に地獄に堕ちたような顔になった。
「中華料理店」の看板を恨めしそうに振り返って見たりして
バスに乗った。
何故かリスボンの空港へ・・・。
飛行機はパリ行きだった。
空港から用意してあったバスに乗り
エッフェル塔を遠く横に見ながら通りすぎベルギ-ヘ。
この日から「宿泊と観光は無料・昼食と夕食は自弁」
ベルギ-(1泊2日)〜ルクセンブルグ(1泊2日)〜
ドイツのフランクフルトへたどり着いた。
各地で観光もして
一般の団体では、あまり行かないような所も見た。
結局3日ほど帰りがおそくなった。
添乗員さんが
「お留守宅に何か連絡することが有ればお伝えいたします」と
全員の家族に電話で無事を知らせてくれた。
留守宅からの言付けも。
随分大変だったと思い感謝している。
外国では航空機の予約も安心していられないのか?
こんな事が有ったが全員無事で
観光も出来て私などは嬉しい方だった。
(つづくわよ)
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