80's
ミーちゃんの縁側。
「80代からのインターネット入門」のその後。

ミーちゃんが、会社を辞めた時のことです。

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私は「此れで会社を辞めました」

20年程前の2月20日過ぎだった。
その日は紀子は友達と上越の方にスキーに行き
私一人の所へ、姉が娘をつれて遊びに来て居た。
娘が親戚の結婚式でロングドレスを着たいので
私のを借りに来たのだった。
その頃寒い日が続いて居たので炬燵で話が弾んでいた。

三日前に勤め先の会社へ「花屋」さんが来て
買ったシクラメンが炬燵の上に飾ってあったのを
茶箪笥の上に載せた。
夕方姉達は帰り紀子はスキーから帰った。
洗濯物を私が畳んで炬燵の脇へ置き
「これはみんな紀子のだから仕舞ってね」と言った。

それから紀子はスキーで疲れていると思ったので
先にお風呂へ入らせた。
その後で私が入りお湯を捨てて湯舟や流しを洗い
汗だくになってむんむん暑い風呂場から洗面所へ出た。

お風呂場と随分温度が違っていたと思う。
それから又炬燵へ当たりテレビを見ていた。
洗濯物の畳んだのは、まだ私の脇にあった。
すると、私は「此れみんな紀子のね。」と、
早くかたずけてとの催促のように言い、
そのあと茶箪笥の上を見て「あの花どうしたの?」と、
紀子に聞くので
紀子は私に「自分でこの間買って来たじゃない」と
呆れた様に不機嫌に答えた。
すると、又直ぐに「あの花どうしたの?」と
何回も続いて聞くので紀子は不気味になり
勤めていた病院の先生に電話でこの話をした。

先生が「手が痺れているか聞いてみて」と言ったらしく
私に「手が痺れている?」と聞いた。
私は「痺れていない」と、答えた。
すると先生はそれでは今夜は静かに寝かせて
部屋を暖かくして明日お医者さんに連れて行きなさい。
と指示した様で其の通りにして
紀子は私の部屋に寝た。
一時間もして私はトイレに行きたくて目がさめた。
トイレは少し遠いが其の前に
石油ストーブに火がついていた。
お布団に戻ってから私は
「どうしてこんな事になったのかね?」と、
何回か言いながらまた眠った。

翌朝、近くのお医者さんに連れて行ってくれた。
先生の説明によると、お風呂場の相当暖かい所から
寒い洗面所へ出た途端に血管が急に収縮した時
「記憶を司るところの血管」に溜まっていた
コレストロールが壊れて詰まった為に、
今「言った事」が記憶出来ないので
思う方だけになり何回も繰り替えしているうち
コレストロールが流れはじめて
普通の状態に戻ったのでしょう。
と、説明してくれて
「しばらく会社を休んで
 家で静かにしていれば大丈夫でしょう」
と言われ家に帰った。  
病名は「一過性血流障害」だった。

私はもう殆ど何とも無いが
仕方なく布団の中に静かにしていた。
紀子は私の勤め先の会社の方に事情を話しに行き、
「2月いっぱいで辞めさせて下さい」と、
その場で言って来たそうだった。

そもそも、私は2年程前から
満60歳の誕生日(8月3日)に辞めさせて下さいと
申し出ていたが、その3ヶ月前に
社長さんが突然「心筋梗塞」で亡くなられたので
是非1年辞めるのを延ばしてもらいたいと
新社長に言われて、そうする事になった。
新社長になった御長男は、
京都やニューヨークで修業して帰り
会社に入ったばかりだった。
会社の「輸入や販売」は
亡くなる直前まで前の社長さんが一人でしていたし、
経理は私が社長さんに相談し
及ばずながらしていたので新社長は困ったらしい。
そんな訳で「私は会社を辞めました」
今は『サンデー毎日』の気楽なミーちゃんでーーーす。

2002-02-24-SUN

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