大掃除の時に、昔の新聞に読みふけってしまうような。
そんな今回の「ミーちゃんの縁側」です。
ほとんどの女性が着物を着て暮らしていた時代の思いで。
洋服のデザイナーが、憧れだったんだって。
___________________________
ぼーっと想い出す事
昔の高等女学校を卒業して
数え年18才の頃は「憧れ」が有った。
雑誌などを見ると「洋栽」や「美容師」等
東京で活躍している人が良く出ていて
「こんな事をして見たいなー」と憧れていた。
「ドレスメーカー女学院」の杉野よし子さんとか
「マリールゥイズ美容学校」の外人の先生などに。
けれどお婆さんは
「東京は生馬の目を抜くような所だから」と、
家で一番の権力者が許さなかった。
母は一人娘で
父はお婿さんだったし仏様のような人だったので
何にも言わないで「そうだ。そうだ」で
母はミーちゃんの希望も考えて居たらしいが、
又優しいだけで何にも強く言えない人だった。
此の頃は
「女学校卒業したら洋装するー???」なんて
友達どうしで言い合っていたくらいだったので。
殆ど娘さんも、奥さんも和服だったので。
そんな時代の最後くらいだったのか?
そんな訳で卒業する年の四月から
「前橋高等女学校」にも「家庭科」と言うのが出来て
丁度入れる事に成り私の「夢」は儚く消えて
「花嫁学校」になった。
これが一年制で制服も無くて着物で帯付きの人や、
袴等はいている人等もあり
県立の学校とは思えない程自由だった。
授業は「洋裁」「お作法」「和裁」「花活け」等が主で
洋裁はアメリカで暮らして居た中年の先生で
原型から教えてもらったので
私はその後洋服を着たので
ずーっと自分の物と紀子の子供の頃から
大人になっても私が苦心して仕立てていた。
スタイルブック等見るのが好きで
自分のアイディアーも取り入れたりしてとても役にたった。
家庭科の友達の中に頭のきれる悪戯好きの人が居て
ある時、街の商店の娘さんで同級生のお太鼓に結んだ帯に
「嫁に行きたし。嫁に行きたし」
と書いた紙をさげておいた。
その人はそのまま家に帰った。
「看板娘」さんだったので綺麗な人だった。
笑えない様ないたずらでどうなったか??
今思うと其の時後ろにいた何人かの人は
だまーって見ていたのだつたと思うが・・・・・。
|