今回の日記は、ミーちゃんたちが、
東京の「明るいビル」に立ち寄ったり、
逗子にお泊まりに行ったときのものです。
しかし、これだけ長いメールを送ってくるということは、
相当にタイピングとかにも慣れてきてるってことだと思う。
そういえば、もう、3年以上の経験者だものなぁ。
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1月26日(日)室温16℃ 湿度65%(あり)
今朝も3時過ぎに目が醒めたが
5時近く迄起きないで我慢していた。
昨日と同じ様だが少し細いかな?
と思われる三日月が出て居た。
よーく見れば星も出ていたかも知れない。
今日は逗子の家に
着替えやお土産等送るので
午前中に見直しして私の海外行きの
小さいトランクに詰める事にした。
3人分とおみやげが入るかな?
帰りの荷物の事も有るので
「ほぼ日」の「永久紙袋」も入れて置いた。
宣伝では無いが濡れないし軽いし色も良いし小さくなるし
必要になるかも知れない時、持って行くのに便利ですね。
友達や姪にプレゼントしたら便利だと喜んでいた。うふふ。
「ほぼ日」乗り組み員の様ですね。
今日は明日出かけるので
久し振りに髪をセットする事にして予約して置いた。
2時に。うふっ。いい歳して。
変わり映えが無いのに。うふふ。
日記がやっと追い付いたのでリアルタイムで打っている。
今日は昨日(1/25)までを送りたいが。
もう12時半
「御飯ですよー」になるかも知れないので
「送信中」になると私は慌てるので
お洒落してから(見える訳でも無いのに)
ゆっくり送りましょう。
1月27日(月)室温・湿度(旅行中)
いつもの様に5時少し前に起きてしまった。
空は、只暗いだけ。
お仏壇に挨拶して、メールを開けたら3本出たが
その内2本は同じものだった。
朝食をしてマニキュアーなんかしていたら
紀子が起きて来た。
8時10分前に石野さんが車で迎えに来てくれて
前橋駅へ向かったが、
通勤時間なのでノロノロ運転でイライラした。
バス停の時刻表を見たら家のより遅くなっていたので
外で待って居るのは寒いからと
初美さんは駅の「喫茶室」に誘った。
始発なのにバスは遅れて来た。
雪は高崎へ行ってからやんだ。
「新宿」へ着いたのは予定より30分くらい早かった。
先ず重里御推薦の「三合庵」で、
お蕎麦を食べる事にした。
「三合庵」は行き届いたサービスで
一品づつ出て来るのを味わいながらゆっくりと出来、
美味しくて満足した。
あまり遠くない様なので
「明るいビル」まで傘をさして小雨の中を歩いた。
私は前に「明るいビル」に行った時は駅からだったので
方角が違い良く解らなかった。
それでも何とか「ほぼ日」ヘ無事着いた。
重里は来客中だった。
農業指導者の永田先生で「母です」なんて紹介された。
恥ずかしかった。
私達は乗り組み員の皆様に挨拶しながら
奥の方で、「ほぼ日腹巻き」を4人が4種有るのから
早い者勝ちに好きなのを戴き
私は最後の「赤白の格子」のになった。
茂木さんが其れを持った4人の写真を撮ると
カメラを向けたので、私は柄物の上着を脱ぎ捨てて
グレーのセーターになり腹巻きを目立たせた。
どんな風にできるか楽しみだ。
お客様がお帰りになり重里が来てから
「ほぼ日」を後にした。
石野さんは此れで帰るので駅ヘ向かい、
3人は逗子へ直行の電車にのった。
逗子駅へ着いたら堀越さんの御主人様が、
車で迎えに来て待っていて下さったので
雨降りなので助かった。
林さんは相変わらず先に来ていてお料理を手伝っていた。
明日早く出かける用事が有るので今夜帰るとの事。
夕食は軽井沢以来久し振りだったので
賑やかで楽しく終わった。
御主人様が食事の前に、
捕れたてのお魚を目の前で「お刺身」に切って下さった。
本職の様に良く切れていて美味しかった。
山国の私達は新鮮なお魚で大喜びだった。
林さんは横浜なのでその後お帰りになった。
初美さんと紀子は御夫妻と[UNO]や
トランプ等するのでお部屋も違うし
私は先にお風呂へ入って床についた。
お部屋には私一人なので
ゆっくりと休ませていただいた。
11月28日(火)室温・湿度(旅行中)
昨日の雨はすっかりあがり素晴らしい晴天になった。
カーテンを開けたら6時過ぎたばかりの青空が
下の方が濃いピンクにぼかしの様になり
右の方の近くに有る丘の下には
住宅が朝日をうけて明るく見え、
その丘の東に遠い丘が続き朝焼けの空に
しずかに霞んでいた。
此の家の南は低くなっていて運動場になって居るので
日当たりが良いので
南国の花や木がのびのびとしている。
私は身支度をして日記の下書きをメモ帳に書いていたら
紀子が部屋へ顔出した。
初美さんと3人は階下の茶の間に行き
御夫妻と長いお付き合いの様に楽しく朝食を済ませた。
それから御夫妻は私達と車で
家を出ると直ぐに有る「桜並木」を見せながら海岸へ出た。
白く化粧した「富士山」に少し中腹に雲がかかり、
その手前には「江ノ島」も見えて「繪」の様だとは
こんなのか?と、感激し
良く此の目に焼きつけた。
その内「お絵書き」でパソコンの練習をしたいと思った。
その後又山の方へ入り葉山の海岸へ出て
奥様は「海の見えるレストランで
昼食を皆さんにしてもらいたい」
とレストランの前でどうもお休みの様だと
車から降りて確かめたりしたがお休みで駄目だった。
それから探したがなかなか無くて
小さなイタリー料理の店に入った。
入って見たら中の雰囲気がイタリーらしく
ベニスの「仮面カーニバル」の時の仮面の小さいの等
飾って有ったりイタリーらしいムードがいっぱいで
意外とサービスも良くお料理も美味しかった。
これで、奥様もやれやれと落ち着いた様だった。
それから「逗子駅」へ送っていただき
御夫妻は、祖先の御墓詣りに行く事になっていたので
「小平」へ。
私達は前橋へとお別れした。
新幹線で東京で乗り継いで高崎へ。
又乗り継いで前橋へ。
駅からはバスで帰ったが家に着いたのが4時40分頃だった。
思ったより早かった。
初美さんは「夜の料理教室」が有るので
夕食を済ませてお店に戻った。
1月29日(水)室温・湿度(見なかった)
午前2時過ぎに目が醒めたら「湯たんぽ」が、
お布団の中を探しても無い。???
起き上がって手で探しても無い。
ふと、床(ゆか)に目がいったら落ちていた。
何も知らないで居たのが不思議だ。
さめている「湯たんぽ」では眠れそうも無いので
色々肩に掛けて起きだし
慌ててヤカンで、お湯を湧かして入れた。
南のカーテンを開けて見たら
東南というより南寄りに例の星が輝き、
其のずーっと下の二階建ての家の屋根近くに
細い三日月が寝ている様な形で光っていた。
澄んだ冬空に・・・。
綺麗だなー。と、思いながら
東の窓の障子を開けたら沢山の星が見えていた。
その後眠った様な気がしなかったが5時過ぎていた。
ゆっくり起きて炬燵で着替えてから仏様に挨拶して
メールを開けたら一昨日のと同じだった。
テレビのニュースで前橋の
「拳銃発砲事件」の、目撃者が現場の話をしていた。
物騒な事が割に近いところで有ったので恐くなった。
1月30日(木)室温・湿度(見なかった)
今日はお仕事の日、八千代さんも来て元気に始めた。
クッキーの袋詰めは、あまり無いからとの紀子の話で
テーブルの移動は止めた。
このところ忙しかったのに
軌道に載ったのかクッキーの焼き具合等
とても良くて入れ易かった。
仕事がどんどん片付いて午後は他の仕事等した。
今日の「受信」は初めての人で
「福島市」に住む「みーちゃん」で30代の美佐恵さん。
「みーちゃん」と呼ばれている
いろいろの事を書いてあった。
面白いなーと思った。
最後に住所、電話、メールアドレス迄知らせてあった。
可愛いなー・・・。このみーちゃんは。おほほ。
続いてイスラエルの享子さんから
「前橋の拳銃発砲事件」のニュースを見たのか?
私の事心配して「大丈夫ですか?」とたづねて来た。
世界は狭くなったなーと、つくづく感じた。
有り難いメールを受けたので感謝の気持ちでいっぱいだ。
いつも私の方でイスラエルの状況を「大丈夫ですか?」と
聞いて居るのに、まさか反対になるとは
思っても見なかった。
事件は市内の北部なので近い方ですが全然大丈夫でした。
御安心下さい。
さて、隣のお店も相変わらず忙しそうだが
馴れてきたらしくスムースに動いている様だ。
夜は宮崎さんも来て紀子は
バドミントンに出かけ、初美さんは「お料理教室」だった。
1月31日(金)室温15℃ 湿度62%(あり)
今朝も湯たんぽの位置が悪く、早く目がさめたが、
もう一度うとうとしていて5時過ぎて起きた。
空は未だ暗いが綺麗に晴れているらしい。
東南の例の「元気星」が光っていた。
珍しくメールはチョロンで終わった。
今の処、日記の追っかけが有るので
「丁度良いのだ」と負け惜しみ気分だ。うふふ。
昨日黒田さんから電話で
明日(31日)伺いたいと、言って来たので
午後は家に居るのでOKしておいたが
都合が悪くなったのか来なかった。
斉藤医院に午前中に行き今日は早く帰れた。
午後も未だ日記のつづきを打っていた。
夕焼けも見ないで・・・。
夕方「受信」を開けたら3本有った。
一つはザッハトルテを2ヶ注文して
一つは仕事仲間と家族で、一つは友人に上げた。
美味しかったので此れからは
「ほぼ日」から目が離せないと。
突然こんな事も有るので。
次の人は「粗食のすすめ」という本に有る様に
実践して居るので注文しなかった。と。
私には其の考えが解らない。
此の世に生まれて来て
いろいろやりたい事や美味しい物も食べたいとか
何処かへ遊びに行きたい等、
有ってこそ元気にいつも生きていられる様な気がするの。
限り有る人生なので・・・。
消極的では勿体無い気がするの。うふ。
体質的に障害が有れば仕方が無いけれど。・・
次はニューヨークの人で
これから3週間の予定で南部バージニア州の農場へ
有機栽培・自給自足の旅に出ると。羨ましい話。
私も何年か前にアメリカの東部を
ワシントンからニューオリンズ迄バスで行ったが、
(確かアトランタでオリンピックの有った翌年に。)
「風と共に去りぬ」に出て来る様な
大農場の家にも行ったので、
このメールにはウワーいいなーと
わくわくした。
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