80's
ミーちゃんの縁側。
「80代からのインターネット入門」のその後。

ドライブで旅行です。
目的地は八ケ岳。
旅になれているのか、ミーちゃんたちの場合は、
予約とか、あんがいいい加減にとっているんですね。
「なんとかなる」という感じで。
それで、もちろん「なんとかなってる」のだから、
旅ってそういうものなんだなぁと、
ぼくみたいな旅のヘタな人間は思ったりしました。

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3月26日(水)室温19C 湿度56%(なし)

この冬、初めての遅い目覚めだった。
ベッドの西側のブラインドカーテンから
外の明るさが解る程度になっていて驚いて飛び起きた。
別にそれでも良いのに。
このところメールも無いので急ぐ事は無いのだ。
着替えをして東の空を見たら
黄色いボーっとした空には黒く横切る様な雲が出て居て
不気味に影絵を浮かばせていた。
それも、つかの間で、ギラギラした太陽が光ってきた。
暖かくなりそうな空になり安心した。
もう明後日は八ヶ岳へ出かけるのだ。
今日は旅支度をしなければならない。
さー頑張りましょう。
案の定、春霞の良い天気になった。
この間戴いたミニ薔薇の鉢植えが
どうも元気が無いのでビニール鉢から焼き物の鉢に移した。
薮椿の一重の赤い花が一輪咲き始めた。
雪柳と、沈丁花(じんちょうげ)も盛んに咲いている。
水仙の行列はますます賑やかになってきて可愛らしい。
さーこれから納戸で、もそもそ旅支度を始めよう。
昭和六年度卒業の小学校の「大利根会」が、
この間の3月10日の会合で解散する事になり
会費の残金を分配して現金書留で送られてきた。
大体満83才だから良く続いた会だったと思う。
今日は相馬先生が、予定していた授業が
私がぼけて居て飲み込みが悪く思うように進まないで
先生に申し訳なかった。
途中でお隣のお店に時々買い物に来ていた様だった
駒形町の奥様が今日はお花を沢山持ってきて下さった。
お友達がお花を作っているそうで
バラやミモザ等いろいろ戴いてしまった。
私が花の事ばかり日記に書くので
多分思い付いたのかも知れない。
丁度今日はお土産も無くて私が授業中なので
玄関で、直ぐ帰ってしまって本当に残念だった。
あの奥様は車で、さっさと行動なさるので羨ましい。
又、いつの日かゆっくりしてもらう事に約束した。
其の後大急ぎで先生はハガキの印画紙に、
この間私がデジカメで撮った水仙の写真を
印刷して見せて下さった。
室内だがとても良く出ていた。
終わってお茶にしてお帰りになる頃は
夕陽が大きくギラギラ輝いていたが
今日はそれだけで
お引き止めする様な夕焼けで無く残念だった。

3月27日(木)室温20C 湿度53%(なし)

今日も目覚めが遅く真っ暗な空では無かった。
大分暖かくなってきたので良く眠れるらしい。
違反行為が無くなり気がとがめないで良くなった。
うふふ。誰の為に言われて居るの???
本人だけが、解っちゃいない「スーダラ節」なのだ。
うふふ。今朝の空は灰色でやっと雲が切れてきて
クリ−ム色の空が見えてきた。少し不気味に。
ず−っと暖かくて汗ばむくらいだ。
明日出かけるので、何となく落ち着かない。
又、雪江さんのお誘いで
「しゃぶしゃぶ」を御馳走になって
汗をかいてたらふく食べて帰ると、
すぐ皆で炬燵でお昼寝した。
私はベッドで初美さん達が起きて出ていったのも知らずに
1時間くらい眠ってしまった。
昨日から少し私のお仕事があると言っていたのに
皆で忘れて居て3時頃になって気付き
お店で30分程やった。
夕方メールを見たら久し振りに3本も有った。
昨日お花をもって来てくれた駒形の奥様や
「ITさぽーと」の金城さんから、
とてもロマンチックな、娘さんの様なのも有った。
世の中がぽかぽか陽気で春らしい。
これでイラク問題が無ければと残念でしかたない。
今日は夕焼けも気づかないくらいで、
只ぼーっと霞んでいるだけ。

3月28日(金)室温・湿度 (旅行中)

今朝はやや良い頃に目がさめた。
4日間も留守にするので
お掃除やお花の活け替えはしないので、
ゆっくりしている。
今朝はメールが懐かしい人から2本も有った。
胡蝶蘭が咲いたなんて春らしい話で私を刺激してくれた人。
4文字のハンドルネームをよーく覚えている。
御主人が何か事業しているらしい事も。
あの頃はたびたびメールを戴いていたし。
もう一人の人も転職の事や、彼と喧嘩した事等
私に知らせて来たので
私は何か先輩らしい事を言った様な気がしている。
其の彼と結婚するとか良かったですね。
無関心の人とは喧嘩はしないものですよ。おほほ。
新婚旅行の、貴方の三条件は、それぞれ良くて
私には決められませんね。
こういう事はたびたび聞かれますが
全部が違った良さが有るので
行く時の体調とか期間とか条件の内
どれを選ぶかが問題ですね。
体力や、今後家庭を持って
一番出来無いだろうと、思われる所が
今行く所かも知れませんね。
あまり、解りにくい説明でごめんなさい。
東の窓が、ミカン色になって来て雲一つないようで
太陽だけがギラギラ光って来ました。
とても良い天気になりそうだ。
これから車で西へ西へと走り信州の山を目指してゆきます。
残雪の八ヶ岳、考えただけでも嬉しくなる。
おおーワンダフル。うふふ。
にやにやしながらパソコンを打っているミーちゃんなんて、
「お幾つですか???」と、聞きたくなる様だ。
それとも、馬鹿じゃないかな?
此処迄は本当に「28日朝書く」となる。うふふ。
家を出たのが9時半少し前だった。
石野さんに、お店の事は引き継ぎして
初美さんと紀子が交替で運転して行くわけで
八千代さんを金井家で迎えて4人になり高速道路を走った。
思ったより車も少なく順調に小諸に入った。
小諸は私が思って居たより大きい都市だった。
小海線沿いと思われる道を気持ちよく走り
雪を冠った八ヶ岳の素晴らしい姿に四人は歓声をあげた。
空は青く風も無く行楽日和だった。
「清里」は、相変わらず若者向きの店が並び
明るい街で殆ど若い人だった。
途中で、紀子達が前から知っていたらしいお店で
「おそば」を食べて満足して大泉村の林の中に有る
八ヶ岳ロイヤルホテルに無事着いた。
八千代さんと私は初めてなので林の中に
突然見えたホテルがあまり大きいので吃驚した。
殆ど満員で、
出展する初美さんと紀子の部屋は取ってあったが
私と八千代さんの部屋はやっと取れて
泊まれる様になった。
6階の二人部屋の広いゆったりした気持よい部屋で
ベッドも、大きくソフアー等も大きいのが入っていて
ヨーロッパのホテルよりずっと良かった。
紀子と初美さんは一階の玄関を入った脇のロビーで、
紀子は「草木染め」や、「藍染め」の製品を並べ、
初美さんはシュガークラフトの、小物や大きいものも飾り、
初美さんは実演して次々と小物を作っていた。
時々宿泊客等もいろいろ尋ねていた。
大浴場へ八千代さんと行き
大きな綺麗な温泉でゆっくりと疲れを休めた。
紀子達は9時頃迄お店を出しているので
こちらの老人達は和食の「風林火山」と言う所で
「ちらし寿司」と私は「杏仁豆腐」も食べた。
ふふふ。
又、誰かさんに呆れられるかな?
終る頃紀子がのぞきに来た。
「美味しそうですね」なんて笑っていった。

3月29日(土)室温・湿度(旅行中)

朝の3時頃、目が醒めて、
その後うとうとしながら何か星の名前等考えていた。
それは夢の中だったらしい。
その内、ドアーをノックして初美さんと紀子の声がして
私達はとび起きた。
食事の誘いだった。
慌てて支度して紀子達の部屋へ行き、
皆揃ってバイキングの広い食堂で
ゆっくり朝のお食事をした。
大きな窓からは林の向こうに
残雪の有る山々が見えていて
今日も良い天気になった事を喜んだ。
食後は、今夜は前からの予約で満員なので
八千代さんと私達は近くのペンションに
一晩だけ移る事になっていたので
私達の部屋は空けるので荷物をまとめて紀子の部屋へ移し、
4人は車で「清泉寮」という
林の中のレストランで昼食を済ませて戻り
ホテルの売店を見ておみやげの下見等した。
午後初美さんがペンションまで車で送ってくれた。
林の中の静かな所で
私達の二人部屋は屋根の傾斜に添って
ベッドの真上に二つのガラスの天窓が有り、
部屋を暗くするとベッドに寝たまま星が見える。
今夜は良く晴れていたのではっきり見えた。
天窓の分厚いズックのカ−テンを閉めて、
二人は「お伽の国」の王女様の様な気持で、
眠りに着いた。

3月30日(日)室温・湿度(旅行中)

5時に目が醒めて鏡に写った顔が
目のあたりがむくんでいたので、びっくりした。
肩がはっているので「貼り薬」を探したが見つからず
肩の体操等した。
6時頃八千代さんも起きたので、
天窓のカーテンを開けたら、
朝の明るい空と林の枯れ木立が、
直ぐ目の上に見えて気持よかった。
8時に朝食と昨夜聞いていたので
階下の、食堂へ行き他の家族連れと一緒に済ませた。
荷物をまとめて下へ降りていたら
初美さんが迎えに来てくれた。
又、八ヶ岳ロイヤルホテルに戻って出直して
「伝べえ」というお蕎麦屋で昼食して
他のレストランで
デザートに、甘いもの等食べてホテルに戻った。
戻って「お土産」を買って明日の出発に供えた。
其の後大浴場でゆっくり入浴した。
今夜は紀子達の部屋が広くて畳の所も有るので
そこで一夜を過ごす事になった。
夕食は「桃源」という中華の定食で満腹になった。
このホテルは従業員が、皆親切で感じが良くて
安心してゆっくりした。

3月31日(月)室温・湿度(旅行中)

朝7時頃紀子達はお茶を飲んで出店の準備で出かけた。
今朝も良い天気で抜ける様な青い空に
雪を、まだらに残している山が林の向うに、
くっきりと出ていて、
私達は「うわー良いお天気ねー」と歓声をあげた。
午後には此処を引き上げて
初美、紀子組は仕事抜きの慰安に入り
4人は他の温泉へ行く事にした。
私は珍しくお土産も沢山買えたので
嬉しくて元気だ。
午前中にお店を片ずけて製品を箱に入れて車に積んで
私達の荷物もなんとか積めて
昼前に親切な従業員に、感謝してホテルを後にした。
次の宿は決めないまま。
雪渓の見える八ヶ岳の、素晴らしい景色を
カメラに納めたりしながら枯れ木立の林の続く道を走った。
その内、「八ヶ岳倶楽部」という
俳優の柳生博さんが経営する店??に着いた。
紀子達は前に来て知っていた。
先ず昼食を済ませ中を回る事にした。
NHKの「趣味の園芸」に息子さんが出ているので
皆、知っている所だった。
裏の方には今、「常滑」の「鉢職人」(通称文さん)の
作品展が始まっていたので紀子と私は植木鉢を買った。
初美さんも買った様だった。
其の後此処でデザートを済ませて、
北へ北へと林の続く道を走った。
何となく皆は「別所」温泉と思っていたが
「鹿教湯」の街へ入ったら山の小高い所に
「かんぽの宿」と看板の有る建物が見えて
何となく吸い込まれるように坂を登っていた。
「受付」の人はとても感じが良く親切に案内をしてくれた。
此処が叉、思い掛けない程「老人」に優しく出来た宿で
清潔で親切な構造になっていた。
4人部屋にはベッド4台並び次ぎの間が八畳の座敷で
此のお部屋にあがるには段が体の幅くらいのが一段有り
右の壁には掴まる様な棒も付いている。
トイレの壁には万一の時の「呼び出し」のスイッチも有る。
広い風呂場兼洗面所にはプラチックの椅子も有る。
湯舟の壁から洗い場にかけて2本の「手すり」もあった。
付き添いの人も充分動ける様な広さになっていた。   
夕方には雨が降るように曇って来た。
夕食もいろいろ気を使っている様なもので
美味しかった。
大きな部屋で子供連れの人達と一緒で
みんな楽しそうだった。
今回の旅ではこんな時代の中で
日本は、平和で、まだまだ優しい人達の居る事を
有り難く感じた

2003-04-13-SUN
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