80's
ミーちゃんの縁側。
「80代からのインターネット入門」のその後。

「サイモン&ガーファンクル」の曲にもあったけれど、
テレビやラジオのニュースを読む
アナウンサーの声というのは、
不思議なある感覚を呼び覚ますように思う。
特に、冬の雪のことを報じる声などは、
詩の一節のような響きがある。
この週のミーちゃんの日記にも、
そんな音の聞こえる一日がありました。

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12月16日(火)室温19℃ 湿度52%(ストーブあり)

今朝は「湯たんぽ」を胸の辺りまで持って来たらしく
暖かくて6時過ぎまで目が醒め無かった。
いつもなら、
マックちゃんと完全にさよならする頃なので
空は下の方がピンクでぼかしに成っていた。
新聞で曜日等確かめるので玄関へ出たら
西の家々の壁が真っ赤に成っていた。
あれー優しい朝焼けなのに
なんでこんなに赤くなって居るのかなーと思ったが
照らしている太陽の位置を確かめる余裕もなく
残念な気持で戻って来た。
うふふ。
ミーちゃん「我慢の子」の一幕でした。

その内空は益々青く成り
明るい明るい素晴らしい天気に成って来た。
起きる前には雨が降っていた様で外はぬれてたが‥‥。
お仏壇に挨拶してお願いもして
「お花は後で替えますから」
とぶつぶつ言って勘弁してもらい
直ぐ食事にした。

急いでお掃除やお花の事も済ませ
南から外側の硝子拭きを始め、
ふと、玄関の土間の「鉢植」と部屋の物と
取り替える事にして
物差で高さ等計ってOKだったので
紀子になんて言われるかと思いながら
さっさと鉢等奇麗にして取り替えた。
どちらも1メートル30センチも高さが有る
大きな長い葉の物なので
部屋のカーテンの開け閉めにふれるので
倒れそうになり困っていたが、今度の方が安定している。
朝食後のお掃除なので
慌てて紀子の腰掛ける辺りから先に床を拭いたりして
順不同の変な気分でやった。
冬のセーター等が未だ出ていないので
納戸に入り、高い棚の冬物の抽き出しに夏物を入れて
下の方に冬のセーター等にして大変だった。
相変わらず何か捨てようと思いながら
捨てられないでしまった。
やっと終わったのでこんな良い天気に
外の仕事をしないわけにはいられないので
玄関辺りの大きな硝子を拭いたり
洗面所やお風呂場の硝子の内側等拭いて止めた。
「おもと」も活けたいが、出来なかった。

夜に成り紀子が年賀葉書の染めただけで
糊落としのして無いのを持って来てくれたので
ストーブの前で糊を落としたりした。
紀子は忙しくて私のまで作れない様だったが、
どうにか作ってくれた。
その他にも足りなそうなので
出来上ったのも持って来てくれた。

12月17日(水)室温16℃ 湿度53%(ストーブあり)

冷たい空気の朝だがとても静かだ。
東南の空には小さな三日月が出ていて
星も幾つか見えて居た。
後ろから
「北海道では氷点下20度にもなりました」
とテレビが天気予報で言っている。
私にはそんな寒さは解らないなーと思いながら
日記を打っている。
今朝も一発チョロンで「受信」は終わった。
東の空は欅の下から赤くなり
その上には太く白い帯の様に横になった雲になっていて、

と此処まで打っていたら
私が横向いて見たら、
何と下から其の白い雲より上まで素晴らしい赤になり
見る見る内に更に上は紫になってきた。
立ち上がって東の空を見に行ったら
上の方には細かいちぎれ雲までピンクに染まっていて
奇麗と言うか不思議な感じがした。
まだまだ替わっているが、大変、大変。
遅く成ってしまった。
床のワイパー掛け等走る様に済ませ
お花も「さざんか」を少し切って来て
取り替えて間に合わせた。
「おもと」の実が真っ赤に成って
庭で待っているが落ち着いた日で無いと少し茎が短いので
相当苦労しなければ活けられないので
金曜日に活ける事にした。
明日はお仕事の日なので。
今年は暖かすぎるので水仙はとても延びて長く成ったが
花が小さく貧弱で
お正月には「松」などに負けてしまうでしょう。

午前中に斉藤医院へ今年最後の診察に行き
「別に異常なし」だった。
帰りに丁度ちいちゃんが車で帰ったところに家の前で、
ばったり会ってお互いに忙しいので
「又ね」と、さよならした。
家に着いたら直ぐ「宅急便」で、
「寿産業」から注文の品物が、届いた。
今日はイスラエルの亨子さんが日本へ着く日なので、
電話が来るかと待っていたが、
先程「受信」を開いたら
「下書き」の処が青く成っていたので開いてみたら
イスラエルの亨子さんに「返信」したのだった。
私は「下書き」ではなく
何時も「いますぐ」で送っているのに・・・。
今更イスラエルに打っても、もう日本に着いているし、
お電話を待つきり無い。
午後は又、あまり静かで暖かいので北の方の窓の
外側等硝子拭きをしたり、
「年賀葉書」の「糊落とし」などした。
此処まで打って洗濯物が出て居る事に気付き
真っ暗の中で取り込んで来た。たたんで炬燵の下に入れた。
今日も忙しくて夕焼けは殆ど見なかった。

12月18日(木)室温16℃ 湿度62%(ストーブあり)

起きて直ぐテレビをつけたら
綺麗な富士山が出て続いて「日の丸の旗」が出た。
時間がばれるかな?
窓の障子を開けたらガラス戸に私が写ったので
部屋の中の電燈を消してみたら
綺麗な三日月が可愛らしく輝いて居て
其の下の方に星が元気に光って居た。
良い天気に成りそうだ。
今日はパートの日で頑張る事にして
「受信」もチョロンだったので
マックちゃんと一先ずお別れましょう。
今日は順序を替えて先に朝食を済ませてしまい
それから簡単にお掃除を済ませ
お花は水を取り替えただけ。
パートの仕事の準備等して庭の鉢物にはお水をやり
お花は切って来なかった。
その内八千代さんが
「お早うございます」
と静かに裏口から入って来たので、
二人で熱い「蕎麦茶」を飲んで暖かく成り、
届いて居た「クッキー」を詰め始めた。
相変わらず此の仕事はおしゃべりしながら
さっさと出来て次に来るのを待つくらいだった。
良い天気に成り気持よくはかどり
午後は予定どおリ終わった。
昼間も「かぜ雲」の様なのは出ていたが
ずーっと静かで風も無かった。
夕焼けは見なかったが、静かに暮れて行った様だった。
イスラエルの亨子さんから何も連絡が無いので今、
「送信」を開けて見たら
「下書き」に残って居たものの他に
正しく「送信」出来たのが有って
(11/25のAM6:35に)
私の電話番号も知らせてあった。
やっと胸をなで下ろした。
電話番号を知らせてお電話下さい
と打った様な気がして居たが。
・・・。
「北海道」のお友達のところからお電話が来るかな?
とたのしみに待っていましょう。

12月19日(金)室温(見なかった)

今朝は早めに目が醒めたので
ベッドで寝たまま戴いた本をよんでいた。
久し振りで大々的に家の中のお掃除をしようとおもうので
朝食の後でする事にした。
2人とも済むのは9時頃になるかな?
先ず「豆炭炬燵」で手紙を書いたりしてから
私は食事にしよう。
此処までで日記は止めておいて。
あっ、桐生の友の会の陽子さんから
「ほぼ日」経由でメールが来ていた。
とても感激したので後でゆっくり私の感想をと思っている。
本の内容があまりに感動的なので
自分に当てはめてみたりして、
これは末久さんに入院中のゆっくりしている時に
讀んでもらいたい。
私は末久さんに申し訳ない事をしたと思っているので
せめてのお詫びに「本」を送りたい。
此の事で手紙を書いていたら
興奮して字が書けない様に成ってやっと書いた。
そのうち、お隣の人から「隣組」の家のおじいさんが
昨日亡くなった知らせがあった。
明日の午後一時から「アモート若宮」で葬儀とのこと。
垣根の「さざんか」の蕾の良い所を明日に使うので
切って洗面器に入れて置いた。
初美さんや紀子はクリスマス前で夜まで働いているので
御葬式には2軒の代表で私が行く事に成り
喪服を高い所から出すのが大変なので
他の服にしようと、いろいろ着てみたりして大変だった。

12月20日(金)室温・湿度(見なかった)

今朝は思った通りとても冷たい朝だ。
ちょっと温度を見て来たら部屋の中なのに2℃だった。
此の冬初めてだ。
朝の温度はつけていないが。・・・。
何年か前に「旅友達」から戴いた
表がウールで裏に厚い毛皮の様な物が付いている
袖無しの上衣を着た。とても暖かい。
横にはストーブが赤く燃えていて、
いよいよ本格的な「冬」らしくなって来た。
今朝もマックちゃんは一発で「ほぼ日」経由のメールを
2本出してくれた。
さーしんしんと寒く成って来た。
此処から見える窓の景色も薄明るいが
上の方は黒い雲が大きく横たわっている。
起きた頃は細い三日月がしょんぼり出ていたが・・・。
後ろからテレビでは
「群馬の山沿いでは雪が降ってます」
と言っている。
その後「交通情報」では「前橋インター」では
50Kの渋滞です。と山の方に相当雪が降っている様だ。
昨日出して置いた服を着てみて
此れで良い事にして簡単に昼食を済ませて
近くの奥様に車で送ってもらった。
葬儀が終わらない内に
細かい雪がじゃんじゃん降って来た。
丁度知り合いの人と会場を出る前に久し振りで
お会いして車で送っていただいたので無事に帰れた。
その後も降っていて夜八時すぎて西の方を見たら
広い駐車場は真っ白になり
庭の木の葉にも白く積もって綺麗だった。

ミーちゃんへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミーちゃんへ」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

2004-01-18-SUN

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