80's
ミーちゃんの縁側。
「80代からのインターネット入門」のその後。

クイズにもなりそうだな。
さて、ミーちゃんのクリスマス、
どんな食事メニューだったでしょうか。

1.「お刺身」「ほうれんそうの胡麻和え」
「味噌汁」「白菜の漬け物」
「とても美味しいお米の御飯」

2.「鴨のロースト」「朝摘みのいちご」
「ブロッコリーソースのスパゲティ」
「蓮の実のはいった中華まんじゅう」

3.「手作りのピザを3種類」「ローストチキン」
「自作のコーラもどき」「冬野菜大盛りのサラダ」
「本場のピータン豆腐」

正解は、読んでいくうちにわかるでしょう。

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12月21日(日)室温15℃ 湿度56%(あり)

昨日は御葬式に参列して帰る頃は
吹雪に成り大変な日だった。
大分、私は疲れている様だ。
外は一面の雪景色で西の広い駐車場が、
真っ白で我が家の小さい庭も
丸い躑躅(つつじ)には
白い帽子を冠った様に雪が積り
他の木の葉も朝日を受けて綺麗だったので
慌ててデジカメで撮ってみた。
昨夜は「吹雪き」の様な降り方だったので
玄関のポーチの奥まで雪が入り
綺麗に咲いている花にも雪がかかっていたので
直ぐに家の中に入れてやった。

今日は私は「休養日」にするつもりで
早くも起きずに、朝の食事をして
寒い内は炬燵で新聞でも讀む事にした。
少し讀み始めたら
紀子が、箱屋から出来たばかりの箱を持って来て
「上にお店のシールを貼っておいてね」と言って
お店へ戻った。
ほかの事をしない内に作業してしまってから
豆炭を「小出し」の缶に出したり、
ストーブの灯油を入れたり、
裏口の土間のあたりを雑巾がけをしたり、
こまこました用事を済ませ、
日記を打ちたいが「休養日」にしたのでやめて、
「豆炭炬燵」で新聞の拾い讀み等始めたら
「ご飯ですよー」で、昼御飯に成り、
すんだら洗濯物を外に出したり入れたりして、
ハッキリ乾かないのでたたんで炬燵で乾かしたり、
結局「休養日」にはならなかった。

夜に成って昨日からの日記をやっと打って
10時半頃カーテンを開けて空を見たら星が沢山出て居た。
月は出ていないのかしらと、
ついに外へ出て見たら見渡す限り
星ばかり大きいのや小さいのなど
限りなく沢山だった。
未だお隣の店では4人で働いている様だった。


12月22日(月)室温17℃ 湿度60%(あり)

寝るのが昨夜は遅かったので
丁度良い頃目が醒めたので、直ぐさっさと着替えて起きた。
空は暗いだけで何も見えないので
メガネをかけていないのではないかと慌ててかけてみたが
何も無かった。うふふ。

「受信」は一発でチョロンだった。
今日は臨時でお仕事に成ったので、
ぼやぼやして居ないで始めましょう。
薄暗いだけで何も無いので「実況放送」も無し。
早めにマックちゃんとさよならして
簡単にお掃除したりして
お仕事の準備をした。八千代さんはわりに早かった。
さっさと袋詰めは出来てゆき気持よかった。

お隣の予約のケ−キ等受け取りに来る人が多いらしく、
お昼御飯は3時近くなったりした。
Kさんが午後はお休みなので、
お隣にケーキ等取りに来て私の処に寄り、
丁度仕事の切れ目だったのでお茶にして
「豆炭炬燵」にあたって話し込んで行った。
帰る時に玄関まで送って出たら、
亜弥ちゃんのお母さんがお店から出て来て
車で帰るところだった。
たびたびお店には買い物に来る様だ。
今度は寄ってもらいましょう。
イスラエルの亨子さんからは電話がないが、
日本へは着いて北海道のお友達の処には行ったのかしら?
此の雪でさぞ寒くて驚いて居るでしょう。


12月23日(火)(天皇誕生日)
室温20℃ 湿度57%(あり)

窓の障子を開けたら
すっかり硝子が曇って居て何も見えない。
南の空が、障子を開けたら少し曇ってはいたが
よーく覗いたら大きな星が
前のマンションの直ぐ上に一つだけ見えて居た。
とても静かな朝だ。

今日もお仕事なのでさっさと洗濯を絞って
吊るしたり始めよう。では、又ね。
マックちゃんはおとなしくうなずいた???
「受信」はチョロンだった。

今日もクッキー詰めるお仕事等
いろいろ有って八千代さんと元気で楽しく頑張った。
夕方、紀子が送って行く頃は西の空は赤くなっていて
雲は全然無く穏やかな夕焼けで、
浅間山が黒く浮き出て居た。
私は「自慢そうに」八千代さんに
「綺麗でしょう?」なんて同意を求めたりした。
仕事の後片づけして新聞を見たら、
「翼の夢・ライト兄弟100年」とあった。
すごいなーと、
自分の事だけ考えても
「海外旅行」出来るのもこういう人が
居たからだと感謝した。
天皇陛下のお誕生日と言うと
「待ちに待った」お生まれで歌まで出来て
日本中で此の歌を歌ってお喜びしたことが
70年も前だったのかと驚いた。


12月24日(水)室温16℃ 湿度66%(なし)

静かな朝だ。窓の硝子が結露してなくて空が直ぐ見えた。
只薄暗く南の方に一つだけ大きな星が見えた。
「受信」も一発で出てミーちゃん御機嫌。
沖縄最南端の波照間島の人。


=
ミーちゃんの日記では
季節の事や空の事の観察の言葉は私の心に、
じーんときます。

なんて南の島からの嬉しいメールと、
時々下さる大阪の人。

=
「ミーちゃんの日記」が
新しいのがなかなか出ないな−と思っていたら
立て続きに新しく成り沢山読めて嬉しいです。
23日の祭日にクリスマス気分を堪能した事等
楽しそうなお話だった。楽しい話は何時も歓迎です。

おほほ。
今朝はお仏壇に御挨拶していてマッチや、
お線香が何時の間にか減っていて
「月日」の過ぎてゆく事の早いのに
寂しさを感じてしまった。
昨夜のバスで初美・紀子と石野さんの3人は
「おせち」の買い出しに「京都」へ出かけた。
つい夕方まで洋菓子の製作をしていたが、
今度は「おせち」の予約で大騒ぎに成る。
昨年は「新潟」に 八千代さんと私と
(二人のパートさんは慰安旅行なのだが)行き、
あの時の事が楽しく思い出される。

今夜は紀子が留守に成るので
私は夕方から純子ちゃんの家に預けられる。うふふ。
まるで、小さな子供の様だ。
お風呂場で「倒れて」2日も、
そのまま居たなんてことがないように。との事らしい。
私はお客に行くので楽しみだ。おほほ。

さー空は薄いピンクで下の方から少し明るく成って来た。
派手な朝焼けでは無いが
テレビでは良い天気に成る様に言っている。
さー夕方までに「年賀状」を
45枚ほど書かなくてはならないので
マックちゃんと、さよならしよう。
新しく「ほぼ日」に載った日記を見たいので
「ほぼ日」を開けたが
さっぱり出ないので後にしょう。
今日はお泊まりなので
お掃除もお花の事もしないつもりだったが
結局してしまった。
午前中にパンを買って来て
自分の好きな物ばかりのお昼を食べて満腹に成った。

紀子が一生懸命に和紙に形染めにした
「年賀葉書」なので筆で書いたら
9枚程で疲れて止めてしまった。
お泊まりなのでおみやげや自分の物が沢山有って
やっと用意ができた。
3時の約束なので純子ちゃんから3時頃電話があった。
「豆炭炬燵」は地震でも有ると大変なので
今朝は新しいのを入れないで
殆ど燃え切っているのばかりだが
流しの中へ置く事にした。

迎えに来てくれた純子ちゃんに
確かめてもらって出かけた。
暖かくなった部屋で話がはずみ暫くして
純子ちゃんはお料理を始め、
私は待っていただけだった。
此の夫婦と3人だったが乾杯等して
洋食の美味しいのとは対抗出来ないからと
「お刺身」や私の好きな「ほうれんそうの胡麻和え」
「味噌汁」「白菜の漬け物」に
とても美味しいお米の御飯などでした。
未だ何かあったかな?
3人だが楽しいクリスマスだった。
ケーキはお隣の純子ちゃんの
大好きな「オランジェン」を持って行ったので
此れだけにした。
雪のないクリスマスだったが
独りぼっちで無くて楽しかった。
果物もいろいろ有って、炬燵へ来てからも
食べて居た。
「東京」に居る次女の部屋を借りる事に成った。
「日記」が長く成り過ぎた。
クリスマスイブの日なのでよろしく。


12月25日(木)室温22℃ 湿度55%(あり)

部屋の中頃の「温度・湿度計」まで
日射しが届いて居てストーブにはお湯がわいている。
今度出た「ほぼ日」を見て、
先日(12月9日)の日記の室温は16℃なのに
26℃となっていて、
驚いて日記を見たら26℃に成って居た。
まるで「夏」の様なので
皆さんも間違いに気づいて勘弁してくれたと思っている。
今朝は車で送ってもらって家には9時頃帰った。
何事も無かった。

西の空き地に工事の関係のトラックがとまっていた。
素晴らしいお天気で、
したい事がいっぱい有るが思うだけではかどらない。
暖かい内にパン屋へ行って来ましょう。
私の寒がりが家にいる時のままで
何も着ないでとびだした。
今朝聞いたテレビでは
クリスマス頃の天気としては
40年振りの暖かさだと言って居た。
午後は年賀状を慌てて書いている。

4時過ぎて玄関の方があまり明るいので
行って見たら真っ赤な太陽が目を射る様に光っていて
西の方の駐車場に有る車を赤く光らせて居た。
5・6分したら、もう家の蔭に落ちていて
上の方の空を真っ赤に染めて見えなく成って居た。
「実況放送」は忙しい。うふふ。

ミーちゃんへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミーちゃんへ」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

2004-01-21-WED

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