チュニジアから帰って、最初の日記です。
つまり、チュニジア旅行のことが書いてある日記です。
旅慣れた人たちは、ほんとに気軽に、
ひょいひょいと海外にでかけるのかと思ったら、
そういうものでもないんですね。
けっこう、いつもとちがう緊張感のある日々を感じます。
それにしても、無事で帰ってきたことを知っていて、
これを読むわけですから、ま、のんびりしたものです。
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3月16日(火)室温19℃ 湿度53%(なし)
今日の日記は全然書かないで過ぎてしまった。
翌日の17日になって、慌てて始めた。
紀子はちいちゃんと「歌舞伎」を見に午前中に出かけた。
夜の部なので昼は別行動らしい。
昨日の予定で「お仏壇」のお掃除が出来なかったので
午前中に丁寧にした。とても気持良い。
一昨日から家の外壁の塗り替えで
大きな鉄棒の「足場」を架けてあるので
お花を切りに行くのが大変だ。
此の家を建てた知り合いの工務店なので気楽に話もできる。
弟さんが来たので気楽に私は
「今度チュニジュアに行くが、もしもの時は迎えに来てね」
と言ったら「行きますよ」と言ってくれた。
(この人は「近畿ツーリスト」の添乗員をしていたが、
お父さんが工務店に引っ張ってしまって
今では大事な存在なのだ。)
未だ手持ちの荷物やハンドバックに、
入れるもの等、厳選して居るので
夜になってから「ほぼ日」へ
3/11日〜3/15日の日記を送った。
今日は「受信」が4本も出て居たが
皆嬉しい事だが疲れて居るので
此処に感想を述べられないで、ごめんなさい。
私の「走り書きノート」にはメールは転記してあります。
3月17日(水)室温20℃ 湿度55%(なし)
今朝は予定の時間に目がさめた。夜中には起きないで。
暖かな夜だった様だ。空は只、暗いだけ。
昨日の日記を先ず打ってから今日のに成った。
あれこれして居る内に
東の空は、ぽーっとピンク一色になり
雲一つ無く黒い欅等の影絵になって来た。
こんなに、何も無い朝焼けは無い様な気がするので、
立って行って東から南と空を見たが
只薄く成っているだけだった。御苦労様・・・。
いよいよ明日は出かける日。
可南子さんにお電話したら
「只今、留守にして居ります」だった。
「ほぼ日」にも電話したが、
重里は外出して留守との事だった。
別に何も用事が、有る訳でも無いので其れで良いのだった。
何となく落ち着かないで、うろちょろしてばかりしていた。
今回は保険の事でランクを下げられたので
此のところすっかり、自信が無くなって居る。
斉藤先生だけが
力強く「大丈夫」を言ってくれているが・・・。
私は「記憶力」が無く只心配で
マイナス思考に成るのが困ってしまう。
純子ちゃんがお隣へ「お皿」等返しに来て寄った。
私が旅から帰る日に紀子が出かけていて留守に成るので
私の前橋着24時頃、寒い家に帰るのが嫌か?
と紀子が心配して居たので、
「託老所」の話をしたら簡単に引き受けてくれた。
お世事かも知れないが私が来ると
賑やかで楽しいと、言ってくれた。
夜になって、
ちいちゃんが、美味しい「苺」等持って来てくれた。
「私が帰る日」に留守居番に来てくれたり
駅まで迎えにも行けると言ってくれたが、
「託老所」が決まったので有り難くお断りして置いた。
ちいちゃんの家族は親戚の様に頼りに成り、
本当に有り難い。
又、長く成ってしまった。
此の日の日記は翌日打って居るので、
昼食後「山のお寺」の先祖様の
「お墓詣り」に行って来た事を忘れていた。
今日はぼやーとしたお天気だったので、
眺望の綺麗なのが見えなかった。
可南子さんからお電話が来た。
相変わらず優しい声で
「元気で行っていらっしゃい」と言って居たので
私は「又、『保険がパー』でしょう」といったら
「其の方が良いですよ」と、笑っていた。
3月18日(木)室温16℃ 湿度56%(なし)
今日は「お仕事の日」だが、止める事に成り
八千代さんも来ないとの事。暖かい朝だ。
東の空には黒い雲がむらむらしていた。
さー、朝のお仕事しましょう。
お仏壇には特に丁寧に御挨拶して
お花も綺麗に取り替えて
暫く留守に成るのでよろしくお願いした。
アゼリア号で前橋駅南口へ
私はバスで簡単に行くつもりで昼食もして居たが
突然細かい雨が降って来た。
紀子も急に変な天気に成ったので
「頼まれなければ送らない事」に成って居たのに
我慢出来ないで今までの主義を突然替えて
「こんなに降って来たから車で送って行くよ」
と、なった。
私の頑固にお願いしない主義に負けずに、
ちょっぴり送る気になり
私も、内心嬉しく成って車で送ってもらった。
予定通り出発して成田には私が一番に集合場所に着き
ワールド航空の人は二階の「会議室」で待つ様に
と言ってくれて、其の部屋でお茶をいただき、
自己紹介に成った。
私は最高齢で恐る恐る
「元気ですが、頭の方がぼけて居るのでどうぞよろしく」
と、不安な気持を話しておいた。
(此の時は、恥ずかしくて皆様に申し訳なく思っていた。)
AF277の改札前にF44の席で
初めて会う人達の写真を撮った。
21時55分発に乗り込みフランスのパリへ。
3月19日(金)晴れ(旅行中)
翌朝無事パリヘ着き、AF1984機に乗り換え
チュニジアの首都チュニスへ11時少し過ぎについた。
専用バスでザグーアンに有る
「世界最長」の「水道橋」近くで降りて、
いよいよ初めてチュニジアのすばらしく大きな
「水道橋」の破損してきれぎれの建造物をカメラに納め
青い空に堂々と立っている大きな物に感激した。
その辺の道端には紫と黄色い草花が
可愛らしく咲いていた。
私は何年か前に「南フランス」から「パリ」の旅をしたとき
「ポンジュガール」という水道橋を見たが、
保存状態は良かったがもっと規模が小さかった様に思う。
造られた時代も違うと思うが・・・。
昼食は、少し遅く成ったがホテルですませた。
夕食もホテルで。
初めての同室の人と静かにベッドに入った。
水道橋
3月20日(土)春分の日(祭日)(旅行中)
ホテルの部屋は、すっきりした綺麗な部屋だった。
窓際にはアベックで静に語り合うに相応しい様な
椅子とテーブルがすっきりと置かれ
部屋は濃い茶系統の木で
白い壁と一面はアフリカらしいモザイク調で飾られていた。
写真を撮ったりしてみた。
午前は聖地カイラワンの市内観光で、
聖地カイラワン
露天の市場には野菜を筵の上にごろごろ置いて
テントの下で3人も男性が居たり、
さんまや鰺の様な魚を沢山積み上げて居たり
日用品等、板の上に並べたり吊るしたり、
洋裁材料などの露店商も有った。
露天
モザイクタイルの壁の家の外廊下の様な所に
テーブルと椅子があり
「CAFE」と書いた店も有った。
4人程お客も居た。
その後、シテイ・サハブ霊廟や
グランドモスクの壁のモザイク貼りがステキだった。
モスクの外廊下 モザイク壁
見学を終わり昼食はレストランで済ませ、
オアシスの町トズールヘ。
四輪駆動車で夕刻砂漠の広がる
オング・エル・ジャメルで、夕陽を見て・・・。
夕食はホテルだった。
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