整理するのに、けっこう時間もかかったようです。
ミーちゃんのチュニジアでの日記が、揃いました。
たくさん撮った写真を記憶の糸口にして、
ちょっとずつ整理しながら書いていったらしい。
そのあたりの編集の苦労については、
またいずれ、日記に書かれますよ。
___________________________
3月21日(日) 旅行中
バスでホテルを出て地平線迄続く様な「牧草地」を
象が沢山向うを向いて歩いて行くかと思うと、
高速道路の道端には
紫の可愛い花や、
パイナップルの大きい様な花が咲いていた。
初めて見る花だ。
午前中に観光列車「レザー・ルージュ」で
セルジャ渓谷のパノラマを楽しむので
始発駅へ着いた。
そこでグループの人を何人か?パチリ。
列車の中はとても綺麗で
カーブの天井の木製の細い飾りが気に入った。
その内、駅舎の白い壁と青い戸の
此の国らしい所が見えた。
[METLAOUI]と書いてあった。駅名らしい。
大きな岩の谷間には下の方に川が流れていた。
岩山のトンネルに右カーブで列車が入るところ等もパチリ。
列車を降りて歩き始めると
直ぐ内山さんが、私の「手提げ」
(「ほぼ日」の茶色の)を持ってくれた。
後ろからパチリ。
その後四輪駆動車で砂丘とオアシスの椰子の林、
遥か後ろに白い家「夢を見ている様な景色」!!!
その後、岩山が三つ有る中ごろで、
私が帽子をかむって黄色いコートで立っている姿を
記念の証拠写真に撮ってもらった。うふふ。・・・。
露店で「陶器」「絨毯」「小物の土産品」等有り
横目で見ながら過ぎて
昼食は「タメルザ・パレス」の
モザイク壁の中で落ち着いた。
此の中でグループの人の写真を撮ったりした。
昼食後ベルベルの村や「オアシスの町」の、
映画にも出る様な「日干レンガ」の村・ミデスや、
「タメルザの滝」
最後に1969年の洪水で廃虚となってしまった山岳の村
シェビカを訪れ、
夜はトズールの民家で静かな気分で夕食を戴いた。
ホテルは「アブ・ナワス・トズール」。
チュニジアブルーの駅舎
3月22日(月)旅行中
朝8時から簡単にトズールの町を見て
四輪駆動車で出発し、
塩湖「ショット・ェル・ジェリド湖」の
地平線迄続く塩の乾いた様な砂漠をまっすぐに走り
2本の車道のみで何も無い。
トズ−ル街の風景
その内「蜃気楼」等も出たりして
「塩湖」の途中の露天の店には
「人骨」や、「出土品」など売って居る。
他の露天の店の前で記念に私も写真を撮った。
その後地平線から上には細かい雲が沢山出て居たので
車の中から写して置いた。
こんなに長い鱗雲は日本で見られないので。
その後車を降りて
「馬車に乗る人」と「一人でラクダに乗る人」にわかれた。
私はラクダは降りる時が恐いので
馬車に乗せてもらった。
ラクダの人を写真に撮ろうとしたが、
すぐに離れて遠くになり駄目だった。
穴の中のレストランで昼食をした。
その後ベルベル人のお宅を訪問し
伝統的な「穴居生活」を見学した。
クサール・ギレンのパンシーホテルへ。
此処はテントホテルで
グレーのテントの中に大きなベッドが二つ有り
ベッドの頭の方が壁に成っていて
其の裏側には洗面所と、シャワー室が有り、
暖房もテントの中全体に有る。
殆どテントである事も忘れてしまう様だった。
夕陽を見に出かけた人も有り
帰ってから大きなテント二つで
「キャンプファイヤーディナー」になった。
空には星も輝いていた。
3月23日(火)旅行中
今日はマトマタ・ダヘル山脈周辺の観光。
又、四輪駆動車でトウジェーンや、
隊商都市として栄えたタタウインの町へ。
伝統的家屋が、立ち並ぶクサールハダダ、
山の斜面に家が立ち並ぶシェニニ等へ。
昼食は穴のレストランで。
白壁で青い椅子やテーブル。
砂漠の様な所ばかりで、道端には小さい草も有る。
穴の家があり中に3人居て外には子供も居た。
低い砂丘、日本で見る様な
黄色いデージーの様な花も見えたりする。
クサールで360度囲まれたメドニンの市場を見た。
夕方ガベスのホテルに着く。(シェムズ・ホテル)
3月24日(水)旅行中
朝焼けが良いので希望者は早く出かけた。
私の部屋からもポーっと見えるが
直ぐ前に大きな石が有り
左には建築中の鉄筋が有って良く見えなかった。
今朝は専用バスで9時に出た。
「サハラ砂漠の真珠」と言われるスースの町へ。
少し草も有る砂漠で白い家や塔等ある遠景もあり、
オリーブ畠のまっすぐに果てしなく並んだところ等
日本で見られない様な景色だった。
何日か、前にも見たが。・・・。
オリーブ畠
途中スファクスの町で簡単に市内観光し
それに、コロセウムの円形闘技場の中をゆっくり周り
写真等撮ってホテル「マルハマパインペリアル」に、
夕方着いた。
エルジエムの円形闘技場
大分疲れて来て
写真を撮るくらいでぼんやりしてきた。
ホテルで夕食。
3月25日(木)旅行中
バスでスースの、考古学博物館を見学して
昔の物に感激し、町へ出て
金物の「打ち出し職人」や、
レースのドレスを造る人形店等見て
小さなデパートにも寄り
暮れかかった街角で
同じ団体の男性が二三人居たので
「たそがれの男達」と、題してパチリ。
チュニスへ向かう途中では
ボン岬の先端の世界遺産の町ケルクアン遺跡の、
岸壁や、紫の花が一面に咲いて居たり、
サボテンが列に成っていたり、
小さな舟が海岸に有ったり、
ここが「地中海」なのだ。と、思わせる様な所だった。
ケルクアンより地中海を臨む
町の中心部は大きな「壷」の素晴らしいのが有り、
馬車なども走っていた。
夜の食事はホテルですませた。
「チュニスシェラトン」に私達のバスが、
着くのと同時に「大統領のお車」が御着きに成り
4〜5人のお供の人とドアーからお入りに成る後から
私達の団体15人が続いて入ると、
空港の荷物検査の探知機と、人が通る方のが有り、
大変な警戒態勢で
廊下には窓際の椅子に二人私服の監視の人が
一日中腰掛けていた。
夕食はホテルの広いところだった。
|