人が、どういう理由で旅にでるのかなんて、
他の人にはなかなかわかるものじゃない。
でも、ミーちゃんの旅の日記を読んでいると、
「とにかく旅にでていることが好き」という感じが、
伝わってきますね。
なんか、きれいだなぁと感じたい、とか、
びっくりしたい、とか。
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3月26日(金)旅行中
チュニスのホテルから、3時間かけてブラレシアヘ着いた。
博物館で見る様なモザイク画が奇麗に残っていた。
ローマ時代の遺跡との事だが。
ドームの中や外で私も写真を撮ってもらった。
昼食はレストランで済ませ
世界遺産・ドウッガの遺跡を見学した。
ドウッガの遺跡
神殿と劇場がトテモ良く残って居て驚くばかりだった。
建物が(石の)はっきり形がわかるのもあった。
イギリスから来て写生をして居る
70才は過ぎている様な女性が、
一人で盛んにペンをはしらせていたのには
皆で驚いてしまった。
其の辺りは草や木も生えていて遠景も素晴らしかった。
夕食はホテルだった。
3月27日(土)旅行中
10時にホテルを出て
先ず首都なる「チュニス」の市街から見学。
広い道路で明るい「南の国」の首都らしかった。
グランド・モスクもさすがという感じ、
町なかで私は
「沢山の服」がぶらさがっている様なところを、バックに
写真を撮ってもらったりした。
お土産に買いたいが、とても荷物が有るので諦めた。
広い通りには、花屋等も出ていて
スペインにでも行った様な感じがした。
チュニス湖の所のレストランで昼食をして
「アフリカのルーブル美術館」とも言われる
「バルドー美術館」へ行き、
モザイク壁や人物像などに驚きと感動の連続だった。
少ない時間では見られない様だった。
ホテルに戻り、バスで
宮廷風の「元民家」だというレストランへ出かけた。
私は「ブルーに白い水玉模様のドレス」で
大きなウールのストールをかけて出かけた。
夕方に成り少し涼しくなって居たので。
あまり広くは無いが家の中は素晴らしかった。
現地の楽士の音楽で
女性が2人でベリーダンスを、踊りながら
テーブルの周りを廻った。
ずーっと前にエジプトでも
ベリーダンスを始めて見て驚いたが
又、今回も素晴らしい体を使って、
にこやかに踊る女性に感動した。
写真も撮れたので嬉しかった。
お別れパーテイに花を添えていた。
3月28日(日)旅行中
10時に出かけるので、
其の前に此のステキな
「チュニス・シェラトン・ホテル」の庭で、
写真を撮りたくて同室の人と,庭を廻った。
チュニスシェラトンホテル玄関前
2枚程シャッターを切ってもらった。
先ずバスで「カルタゴ」の町に行き
「ピエルサの丘」の遺跡と下の方の遠景を入れてパチリ。
「パレオ美術館」の横の石段下に
黄色い小さな花が敷き詰めた様に有ったので、
思わずパチリ。
此の辺にも露天の「土産屋」があり、
ゆっくりみて買って行きたいが
荷物に成るので其れは出来ないし、時間も無い。
子供の「お墓トフェ」。
軍港にしていた湾など見て、
ザグーアンの水道橋を利用して引いた水を使っていた
「共同浴場アントニウス」等、
驚く事ばかり。
此の辺りの遺跡は地中海の海岸なのだ。
チュニスのグランドモスクの中庭
漁船が沢山泊めてあったので、
舟をバックに一人でカメラに納めてもらった。
その後「繪を売る店」の近くで
「専用バス」の運転手さんのミルードさんと
初めからずーっとガイドをしてくれた
ロトフィさんが並んだところをパチリ。
(いつの日か本人に届きます様に、
ワールド航空の事務所へ送りたい)
今迄もホテルのドアーマン等の写真は
其の時のホテルに旅行社から送ってもらうと
「顔」で解るから届いていると思って私は満足して居る。
うふふ。大体、日本人程カメラは持っていないので、
ゼスチュアーで、撮ってもらいたいと、
ニコニコしながら訴える様にされる。
そうなると私もゼスチュアーでOKと、うなづいてくる。
人種は違い言葉は違っていても
気持は通じるので嬉しく成る。
昼食は海岸近くのレストランで、
午後は、シデイ・ブサイドの町を見て、
カフェ・デ・ナットで「松の実ティー」を飲んだりして
白い壁に、チュニジアブルーの窓や
ドアーなどの家の有る美しい街並みを見て感激した。
此処を最後にしてチュニス空港へ向かった。
想い出を胸にアフリカの大地を
18時40発AF1285機に乗り込んだ。
乗り換えのパリ迄約2時間半時差も有るが
パリ発23時25分AF278機で帰国の途に着いた。
3月29日(月)室温・湿度(旅行中)
昨日の夕方「チュニジア」のチュニスを
AF1285で発ちパリで乗り換えで
1時間ほどして現地時間の23時25分に
AF278で今日の夕方18時成田に着いた。
機内テレビ「成田近し」
時差が8時間も有るので可笑しく成ってしまう。
15人の人達は三々五々に家路に向かった。
私は紀子が「京都方面」に出かけていて留守なので
成田から直行バス「アザレア号」で
前橋駅南口へ23時過ぎに着き、
純子ちゃんの家に泊めて貰う事に成って居たので
タクシーで行き、懐かしい「炬燵」や、
「洗い場」の有る日本のお風呂に旅の疲れを流した。
相変わらず歓迎してもらった。
有り難いし、嬉しかった。
唯一の「前橋」の親戚なのだ。
憧れていた「チュニジアの旅」も
何事も無く全員が家路に着いた。
二階の暖かい部屋で寝る事に成り、
さぞ、よく眠れる事でしょうと、感謝しながら
ついに「旅」が、終わった。
3月30日(火)室温・湿度(見なかった)
今朝は二階の部屋でゆっくり眠り、朝御飯もいただいて
純子ちゃんにお弁当も貰ったりして
車で送ってもらった。
帰ったら工事の人も何人か居て未だ足場も架かっていた。
初美さんも出かけて居るので、
私宛の書き置き?(伝言)が2枚あり、
「ぼけている私の頭」は大丈夫かな?と、
ゆっくり落ち着いて考えましょう。
工事関係の人と賑やかに3時のお茶を飲んで、
やっとほっとした。
一人でベッドへ入ったのは10時過ぎていた。
いよいよ又、同じ生活が始まる。
3月31日(水)室温20℃ 湿度51%(なし)
今朝は目覚まし時計がならなかったので
7時過ぎて目が醒めた。
最高の良い天気。
昨夜しておいた洗濯物を
慌てて北と南の窓を開けて家の中に干した。
風も有るので気持よい。
10時半頃工務店の社長さんが迎えに来てくれて
銀行へ行き工事の残金を支払った。
紀子の伝言に、書いてあったので。 |