80's
ミーちゃんの縁側。
「80代からのインターネット入門」のその後。

新聞記者は足で書け、だとか、
営業は足で稼ぐんだよ、みたいな言い方がある。
どんな仕事でも、じっとしていてうまくやれることは、
あんまりないような気がする。
足が丈夫だということは、ほんとにありがたいことだ。
なんやかんや言って、ミーちゃんの足は、
ほんとによく活躍している。
これも元気の秘訣なんだろうな、と思いまして。

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8月11日(水)室温31℃ 湿度50%

昨夜は涼しかったらしく
一度も目が醒めないで良い時間に目が覚めた。
薄いグレ−だけだった東の空は
もう、むらむらと濃いグレーに成って来た。
木の葉一つ動かない気持悪い様な朝だ。
8月5日迄の「日記」を、
読み直して居る内に
東の空は黒い大きな雲が出て
おかしな天気に成り
時々風も有り南の方には青い空もちらちら見えている。
垣根越しに北向きに咲いている
「のうぜんかづら」の花が幾つも付いたのが
重たそうに揺れていた。
鮮やかな色で私に「お早う」と言ってる様に。
カメラを向けて見たが、
あまり鮮やかに出ないので止めた。
午前中はお仏壇の、丁寧なお掃除をしてやれやれと、
落ち着いた。
私より若くて20才くらい違うが、
同じところで勤めていた人が来て
午後は暑さを忘れていたが室温は昨日と同じだった。
5時頃になり「麻のれん」が揺れ出した。
風が出て来て西の空は遠くの屋根の上を
ピンクにぽーっと染めて来た。
玄関へ行って見たら上の方は
グレーの雲が落ちる様に下がっていた。

8月12日(木)室温32℃ 湿度48%

夜中の3時頃目が覚めて窓を開けて見たら
東の窓からは欅の南の上の方に
小さくて細い三日月が寝て居る様に出ていて
少し下には大きな星が輝いていた。
裏の窓を開けたら、
初美さんの部屋の窓が開いて居て電気がついていた。
「オリンピック放送」でも見て居るのか?
もう一度ベッドに横に成っていて
起きた頃には月も星も高いところで、
薄くぼんやり見えていた。
此のところ「月や星」は、あまり出なかったので、
何となくうれしかった。
今日は美容院へ9時の約束になっている。
早く朝の仕事は片付けよう。
御盆で千葉県に住んで居る姪が
長女の家族と純子ちゃんの家に
「墓詣り」を兼ねてお客に来るので楽しみに待っている。
今日は凄い暑さだったが、
お隣では石野さんと耀ちゃんが手伝って
厨房の片づけやお掃除をしていて、
私が美容院から帰ってから
しばらくして耀ちゃんが
「天壇に行くから」と誘いに来た。
何も手伝いもしない私迄申し訳なくて困ったが、
行ってしまった。
帰って来て「お昼寝タイム」を取り
紀子が出掛けているので
私が「氷屋」さんになり
パテオの木陰で4人でささやかに
「かき氷」を飲んで休憩した。
夕方、20年程前に私の家で「老婦人」ばかりの
「麻雀」を、週2回もしていた頃のお友達が
亡くなった知らせが来た。
そのグループの人から・・・。
「麻雀をして居た頃が一番楽しかった」と、
言って居たと娘さんがお母さんの話をして居たそうで
私も其の頃は「麻雀の日」は、
いそいそして、間のお茶の時、
つまめるように、
お豆を煮たり、きんぴらを作ったり、
楽しい時を過ごしたな−。と、懐かしく思い出している。


8月13日(金)室温32℃ 湿度45%

昨夜はだんだん涼しく成り
紀子が帰ったのも知らないで眠っていた。
起きた頃は薄いグレーの空だったが、
もう欅の南の下の方から赤い赤い太陽が
千代紙を貼った様にでてきた。
先程はガラス戸を開けると
冷たい空気がすーっと入って来たが
もう、そんな事は無い。
あちこち開けて来ましょう。
大きな太陽は思いっきり輝き出して
眩しくて見ていられない。暑い天気に成るでしょう。
御盆のお迎えに行くので
「山のお寺」からは「榛名山」が良く見えるかと
嬉しく成る。空は南の方は青く成りつつ有る。
ちらちらと木の葉も動いているので、
すーっと朝の風が入ってくる。とても気持がよい。
パソコン打っている私の黒く成った手を光らせて来た。
暑くなるぞーと言う様に。さー元気に立ち上がろう。
さっさっとかたずけて朝食を済ませた頃、
紀子が降りて来て早くお墓参りを済ませる事に成り
急いで用意して車で出掛けた。
山のお寺(昌福時)は朝の一番賑やかな時だった。
期待して居た「榛名山」は霞んでいて見えなかった。
やはり「秋の彼岸」が空も澄んで居るし
一番綺麗だ。
私だけ本堂へ上がって挨拶して
本尊様にお線香を上げて来た。
そのまま、町へ降りて「橋林寺」の、
親戚のお墓を回り帰って来た。10時になってしまった。
午後は今夜の「お通夜」に行く準備などして
過ぎてしまった。
4時半頃からシャワーを浴びて
出かける事に成っていて
5時半すぎて紀子に車で送ってもらって
会場に着いたら殆どいっぱいだった。
私は一番後ろにかけたのでお焼香は、終わりの方だった。
遺族席の長女は私がお焼香の時は、
顔を見ると直ぐに泣いていた。
亡くなったお母様は以前から私達と「麻雀」していた頃が
一番良かったと、話して居たそうなので、
ぐっときたらしい。
思えば私もあの頃は
得に変化の無い静かな生活だったので
「麻雀」が何より楽しかった。


8月14日(土)室温32℃ 湿度50%

大分目覚めが遅かったので
東の空は濃淡のグレーの横段の雲が
二、三段浮かんでいたが、
すぐに赤い太陽が下から出て来て見る見る内に
眩しく大きく昇り始めた。
後ろでテレビがアテネのオリンピックの
「開会式」を流している。
見たいと思いながら打っておかないと直ぐ忘れるので
「日記」を優先した。
いづれテレビで「オリンピック特集」等で
見られると思いながら・・・。
今日は東京方面から純子ちゃんの姉や、
孫達迄お客に来るので皆で「焼き肉」で、
御馳走に成る事に成っていた。
午後に成って重里の家から
「3人で此れから前橋へお墓詣りにゆくので寄りたいが
 家に居るか」
と電話で聞いて来たので
7時半の約束で私が帰ったら、
今着いたところだと車の中に居た。
可南子さんは
犬が工合悪くて来られなく成ったとの事で、
娘と二人で沢山お土産を持って来て、
麦茶を、一杯飲んで、忙しそうに帰って行った。
今日は身内の者に沢山会えて夢の様に楽しい日に成った。
加山雄三より「幸せだな−」という感じで
「御盆」の一日に感謝してお休みにします。
「元気で生きている事」に感謝しましょう。そ
して私を取り巻く沢山の人にも・・・。

8月15日(日)室温24℃ 65%

今朝は起きたら寒い風が吹いていて
ベッドの西の小窓のブラインドカ−テンが揺れていた。
冷たい空気が入ってきた。
私の部屋のガラス戸も2枚開いたままだった。
寝る時、未だ紀子がオリンピックのテレビを見ていたので
暑いかと思い開けたままにして置いたのが
閉めて無かったらしい。
いつもなら目が醒めると、
慌てて開けて歩くのに閉めて廻った。
東の窓からは黒い雲と薄黒い雲がむらむらしていて
欅が「獅子舞」の様に揺れている。
その内、東の空の黒い雲は消えて
空は一面に薄黒くなってきた。
今日は「前橋の花火大会」なのに
此れでは出来ないでしょう。
帰郷して楽しみにしていた人も有るでしょうが残念だ。
純子ちゃんの家に来ているお客さんが
今日は、私の家に来る事に成っているので
丁寧にお掃除してさっぱりした。
昨日はいつも一人で家に居る様な生活なのに
子供も居て賑やかだったので幾らか疲れた様だ。
朝食が済んでから
クッキー等を三軒分に分けたりしていたら
眠くて堪らなくなったので
寒いからベッドで寝たら、すぐに眠れて
ドドドーンと「開催」を知らせる花火の音がして
目が醒めた。
12時だったかな?
空は幾らか雲が切れて来た様だ。
このまま晴れて来ると良いんだけれど。
ぼけ−ッとしている内に、昼食に成り
お隣のお店がお休みで使って居ないので
レストランの様な感じで
パテオの気楽な食事と違い少し気取って・・・。
久し振りに3人だった。 
午後に成ってから
昨日来た純子ちゃんの家のお客さんが
小さい子供を連れて来たので賑やかだった。
初美さんが一緒に遊んでくれたので
子供達が大喜びしていた。
私は何もしないで・・・。
旅行好きの桂子ちゃん夫妻に
ギリシャやパキスタンや南米のマチュピチュ等の話をして
楽しく過ごした。
夕方、早い内に名残惜しそうに帰って行った。
その内、西の空はピンクに成り
黒い雲も有ったが静かな夜に成った。
スターマイン等盛んに揚がっていた。
初美さんと紀子はサイクリングを兼ねて
花火見物に廻るとお客様が帰ると直ぐ出掛けた。
一人で夕食を済ませ今日の日記を打っている。
この後で昨日の日記の続きを打つので
「出来るかな?」と、心配になる。うふふ・・・。

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2004-09-05-SUN
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