YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson118 傷つく言葉とつきあって


編集の「センパイ」のことです。
センパイは、ふだん穏やかで、
ユーモアがあって自由な感じの男性です。

ところが、先日、
センパイが急に興奮したかと思うと、
目の前の男子学生を、
ものすごく陰湿な言葉で攻撃しはじめたのです。

私は、ポカーン! とし、
目の前の事実に反応できない。
ふだんの、何があろうと穏やかなセンパイと、
目の前にいる陰険な人が、
とても同一人物とは、思えない。
だいいち、その「学生くん」は、
何も悪いことはしておらず、はたから観て、
全然、怒るような場面ではなかったのです。

あっけ。

私の口は、ずーーっと
あきっぱなしだったと思います。
センパイが、およそ、
そのキャラからは想像できない、
学歴コンプレックスをもっていたことを、
後から聞きました。
学生くんの高学歴を振りかざす態度が
鼻についたらしい。もちろん学生くんの態度は、
まわりからは、まったく、そんなことはなかった。

自分のコンプレックスをそんなふうに言えるセンパイは
やはり強いと思います。
そんな強い人が、立派に自立してなお、
学歴なんかに、なぜこだわるのか?

なんで、活躍し、いつも自由で輝いているセンパイが、
はたから観ればつまらないコンプレックスを
いつまでも解消できずにいるのか?

思うに、コンプレックスは、それ自体の大小ではなくて、
自分自身との「貸し借り関係」だと思います。

センパイが学生くんに怒ったのは、筋違いです。
センパイと学生くんの間に
「貸し借り関係」はないからです。
学生くんは、センパイに、何も負担をかけてないし、
センパイから何も奪ってはいない。

たぶんセンパイ自身が、
「学歴がないために損失したもの」を恨んで、
センパイ自身に訴えているのです。
「返せ、戻せ!」と。

「俺は、学歴が欲しかった。
 学歴があったら、こんなこともしたかった。
 学歴がないために、あんな思いもさせられた。
 どうしてくれる。俺の人生、返せ、戻せ」と。

だから、たぶん、センパイは、
その声をまず、聞いてやらなくてはなりません。
それが、どんな不当な要求であったとしても。

そもそも、「学歴がないために損失したもの」なんて
あったのか? なかったのか?
これについては、どんなに私がはたから、
「ない、ない、そんなもの」(私はほんとにそう思う)
と言ってもセンパイを納得させることはできません。
あくまでも、主観的な損失だからです。

これを調べるための問いとして、
「学歴があったらどうしたかったの?どうしたいの?」
と聞いてみる。

そこで、答えが出てこなかったり、
「学歴という記号をひけらかしたい」というような、
抽象的な答えしかでてこなければ、
高学歴という記号にとらわれているだけで、
もともと、損失はなかった、ということになる。

もし、答えが、
「適職について、何より自分が面白く、
 社会的にも認められ、高収入を得る」
というようなことだったとしたら、
すでに、センパイは、そうなっている。
損失は、すでに清算できていた、ということになる。
あとは、それを自覚させるだけ、ということになります。

もし、答えが、
「具体的にあの大学であれを研究したかった」
というようなものだった場合、
センパイは決めなければならないと思います。

いまから、その借りを返すのか?
借りを別のもので返すのか?

いまから、借りを返すとは、もちろん、
その大学を受験しなおす、ということです。
または、その大学でなくとも、いま、社会人にも
広く与えられている機会を利用して、学問をはじめる。

借りを別のもので返す、とは、
高学歴に執着するのをやめ、
それと同等以上の価値を自分に支払う、
ということになります。

これを調べるための問いとして、
「学歴に頼らなかったから
 何ができたのか?できるのか?」
と聞いてみる。

すでにこれまでの人生で、出会えた人、
やってきた仕事を洗い出してみて、
それが、自分が高学歴に期待したものと、
同等以上の価値がある、
と自分で思えたなら、
やはり、すでに精算はできていたことになる。

もし、洗い出して、
今までの人生に不満があるようなら、
あせることはないのであって、
これからの人生を充実させていくことで
自分に対するツケを
少しずつ自分に返済していけばよいのです。
なにしろ、借りているのは自分ですから、
返済期限は、自分でなんとでもなる。

その損失が、どうにも後から返済不能な、
永遠の喪失であったとしても、
人には、諦める力も、忘れる力もある。

このように、自分との「貸し借り関係」が自覚できれば、
返済を、筋違いの人に要求し、
人を攻撃しなくても済むと思います。

ここまで、読んで、「めんどくさーい」
「そうまでして考えるのいや」、という人は、
あなたにとって、それだけのもの、
つまり、気にするような
コンプレックスではないということです。

………………………………………………………………………

コンプレックスの暴走、みたいなものを、
まのあたりにする機会があり、ショックを受けて、
以上のようなことが、一気に頭に浮かんだ。

じゃあ、私はどうなんだ?
自分のことだったら、そんなに理路整然といくだろうか?
と考えてみた。
私自身、小さいころからコンプレックスのかたまりで、
もちろん、いまも、ある。
「例えば……」と口に出して言ってみた。
確かに抵抗はあるけれど、口に出して言ってみると、
言う側から陳腐化する、というか、
これ、もしかして、はたから観たら、
どうでもいいことではないかと思えてくる。

口に出して言えるコンプレックスは、
ある程度、自分との
「貸し借り」がついているのかもな、と思う。
問題は、口に登らない、
もう少し、水面下にあるものかもしれない。

たとえば、
「最近、どうも、人の文章のアラが目につくな」
というようなときは、
何か、自分自身が書くものに対して、
漠然とした不安や不満を抱えている場合がある。
そこを自覚できないから、
自分ではない、他人の書くものに、
無意識の返済要求をしているのかもしれない。

そういうコンプレックス予備軍が、
無自覚なまま育ってしまって、
ある日、人への攻撃となって出てきたら
いやだなあ、みにくいなあ。
と思っていたら、

「傷つく言葉」というのは、
コンプレックス予備軍の発見に
けっこう使えるかも、と発見した。

自分自身も人も、どっからみても美人で
自信に満ちた人に、いくら
「ブス」と言っても傷つけようがない。
だから傷つく言葉は、
本当にそうであるから傷ついているか、
本当はそうではないのに、
人が無理解だから傷ついているか、
ということを考えさせてくれる。

傷つく言葉を言われたら、
なぜ、自分は、その言葉を気にするのか? 
次の手順で考えてみる。

まず、相手の言うことはあたっているか?

事実ではないことを相手が言っているなら、
自分自身は、胸をはっていればいい。
痛みは、理解されないということに
対してのみということだ。

相手の言うことがあたっていて、つらいなら、
言ってくれたことに感謝して、改善に向かうのみだ。

この中間で、部分的に何かあたっている。
それが何かわからないようなとき、むしゃくしゃする。
その「何か」を発見することが、
コンプレックス予備軍の発見につながる。

なぜそうまでして、発見するのかというと、
たぶん自分の半径数メートルの、
小さな平和のためではないだろうか?


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2002-10-16-WED

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