YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson122  17歳は2回来る

かなり乱暴だけど、
「人は2回17歳を迎える」と思う。

なんのことはない、
わたし自身が、「自分はなにものか?」
ゆらゆら、悩みまくった年があって、
いい大人になって、
何でこんなにゆらゆらするんだろう、
と数えたら、社会に出て、ちょうど17年目だった。

社会人の17歳。

大卒なら39歳前後、
高卒なら35歳前後、
(中卒、……。これは、びみょーだなあ、
だって中学生って、1回目の17歳もまだだもんなあ)
とにかく、そのくらいで社会人の「思春期」がくる。
かなり乱暴な説だけど、わたしはそう思ってる。

ふと、自分の存在が揺らぐのは、
何か成長の証なんだろうなあ。
なんかやって17年もすれば、
なにがしかの能力や経験がついてくる。
そしたら、ちょっとした陣痛は起きる。
自分なりのスケールで、その先に進むための陣痛。
でも、「その先」ってどこ? 見えない。

この状態、17歳の犯罪とかいって
悪い面ばかりがクローズアップされるけど、
揺ら揺らはいいものだ。それがなきゃ、固まっちゃう。

自分が揺らぐから、
周囲との関係も揺ら揺らしてくる。
その中で、また、必死に人を求め、自分を探す。
それまでの関係性が解体したり
新しい友人ができたり、出会いがあるのもこのときで、

もがきながら新しい関係性ができていくと、
その中で、自分の、
また次のステージが産声をあげる。

そんなふうに社会人寿命で数えていくと、
転職など、まったく新しい分野に首をつっこんだら、
そっから、また何かは、0歳ということになる。
トクなのか、損なのか。

独立したての自分は、いま2歳半というところだ。

実年齢の2歳半ころ、
自分は、どう感じて生きてたんだろう?

自分をとりまく世界、見るものすべて新鮮なころだ。
でも、圧倒的にその世界へのノウハウがない。
歩き方もおぼつかず、
わずかしか通じる言葉をもたない。
もどかしくて、いやになったりはしなかったのだろうか?

いま、わたしは、ときたま、
自分であきれるくらい、
アマチュアな部分を発見することがあるけど、
2歳半と考えれば、無理もない。
そんなときは、確実に、
それまで生きたことのない領域に足をつっこんでいる。
いいおとなになって、
赤子のように困り果てている自分をみるのは、
あとからけっこう、面白い。

このまえの講演会のときもそうだった。
(東海大学湘南公開セミナーのことだけど、
「湘南ライブ」とわたしだけ、呼んでいる)

当日の朝まで、講演の準備で必死で、
まったく頭に余裕がなかったのだ。
でも、行きの電車に向かったとき、
お腹に、妙な緊張が走った。

「お客さん、こなかったら、どうしよう?」

ぎゅーっと内臓がしめつけられるような
緊張が、おおきく重たくなっていく。

講演はもう、何十回もやったけれど、
大学や、高校や、企業だから、お客さんの
心配をしたことはなかった。

今回は、ポスターや、電車内の広告などみて、
1人ひとりが
足を運んでくださるかどうか、それだけが頼り。
その日のお天気で人の気分も変わる。
なんと、不確かな世界だろう。

その講演は、今回で255回の伝統ある講演会で、
ゴルバチョフさんや、黒柳徹子さん、
岡本太郎さんも登壇した。
最近では、曽野綾子さんが来て大盛況だったそうだ。

やはりテレビに出ている人は、動員数も高い。
なぜ、彼らがテレビにとりあげられたかというと、
それだけの仕事をし、それだけの器をもち、
それだけ人々に愛されてきたからだ。
ちゃんと理由がある。

あらためて、こういう人たちの器と、
生き方のすごさを想った。それは、
気が遠くなるほど、いまの自分からは遠く、まばゆく、
くらくらした。

それに比べ、自分は、まだほとんど名が知られてない。
テーマも「文章術」と地味だ。

わたしは、自分を卑下してはいない。
でも、企業で、数字のことは厳しく鍛えられたから、
客観的にも見られる。
どう楽観しても、これまでの講演なみに、
お客さんが足を運んでくれるとは思えなかった。

どうしてそういう私が講演者に選ばれたかというと、
若い人が生かしてくれたのだ。

この講演会は、
学生さんが主体に立って運営していることでも有名だ。
一人の学生さんが、わたしの本を推薦してくれ、
委員会全員で検討して、
前後のしがらみもなにもなく、本の内容だけで、
何人かの候補のなかから、わたしを選んでくれたそうだ。

「とくに、これから就職する学生たちに
 自分の想いで社会と関わることの、
 意欲と、技術をつたえてください。」

うちあわせのとき、主催の学生さんがそう言ってくださった。

どういう講演がいい講演だったといえるか、
私がたずねたとき、
「やっぱり、人がたくさんきてくれた回ですかね」
と言っていたのを思い出した。

お客さんこないと、やっぱりだめだろうなあ。

私は何とか、動員数が少なくても成功と言える
イメージを描こうとした。
でも、客を呼べるかどうかも含めて実力であり、
そこは、どうしても言い逃れできない部分だとわかった。
そのとき、生まれてはじめて、自分のバリューの不足を、
ほんとに心から申しわけない、と想った。

「自分の一枚看板で仕事をするって、
 こういうことなんだな……。」

体がちぢこまって固く、
輪郭がしょぼしょぼしてきた。
頬骨から下の筋肉がこわばっている。
みぞおちから下がずーんと重い。

恐い、心細い、それでも、これは、
だれとも、どんなふうにも分け合えない。

電車に乗り込む人の流れの中で、自分だけが
重い荷物を持ってるような気がした。

会社をやめるとき「かけがえのない」ということを
ねがっていたように思う。
自分にしかできない、
ほかのだれかと「とっかえ」のきかない仕事をしたいと。

たしかに、今日、わたしがそこにいかなければ、
ほかのだれかとは絶対「とっかえ」はできない。
でも、いま、その重みに、
おしつぶされそうになっている。

会場で準備をしていても、うわのそらだった。
人が来る気がしない。
「お客さん、こなかったらごめんなさい」と
主催者に言おうとしたけど、言ったら言霊で、
ほんとになりそうで、恐くてなかなかいえなかった。

お客さんがすくなかったら、
主催者のひとたちも、みんな、しょんぼりするだろう。
わたしも家に帰って、すごく落ち込むだろう。
こんなことでダメになったりはしないけれど、それでも、
立ち直るのに、日数がかかるだろうなあ。
でも、どんなに人が少なくても、
ちゃんとした講演をしよう。
決意して、わたしは、壇上にあがった。

結果……。
大盛況!!!
だった。

あとで、主催の学生さんたちも、
心からほんとうにうれしそうにしていた。
「この講演会、ほんとうにぼくたちがやりたかったんです。
 だから、たくさんきてくれてよかった」と。

この「予想をうわまわる」というのは、
この前ラジオで文章術をやったとき、
ディレクターさんも言われていたことで、
わたしが認識しているよりずっと
「文章術」へのニーズは強い。
うらがえせば、時代の中で、言葉で自己表現することが
強くもとめられているのに、
教育の方が追いついてない、ということだ。
心配したり、
こわがったりする前に、
わたしがやることはまだある、と思った。

それから、ほぼ日を読んで来てくださった方も、
あとからアンケートをみると少なからずいた。
会社のお休みをとってきてくださった方もいた。
ほんとうにありがとう。一緒に時間を過ごせてよかった。

それにしても、
よろこべたのは、翌日で、
その日は、準備と、緊張で、
へとへとのボロボロの燃えカスになっていた。
友人と行った、内藤陳さんの店で、
なんども、「暗い」と内藤さんに怒られたが、
笑う気力さえなく、何日かは使いものにならなかった。

自分を資本にして仕事をするっていうことは、
こういうことなのだなあ。
どうあがいても、
この肉の皮でかこまれた身ひとつ以上のことはできない。
一生にできる仕事の量も、
思っていたより、ずっと少ないだろう。
講演の原稿書きで、ずーんと痛む背中を伸ばしながら、
わたしは、つくづくそれを感じた。

よく、表現者の光と闇とか、
光が強くあたるようになれば、
闇も濃くなる、というけれど、
あの日、壇上の大きなお花より、
スポットライトより、
もっと強く、わたしの心に焼きついたのは、
行きの電車の中の、
なんとも言えない「恐い」という感覚だった。

ずっと表現する側でやってきた人には、
そんなもん、屁みたいな闇だけど、
2歳半で、はじめてのぞくことができた闇だ。
だいじにだいじに、アルバムに貼っておこうと思う。

表現する方と、編集者、
サラリーマンと、自営、
2歳半の私と、ベテランの私、
それらが、私の中で、ぎったんばったん
ひしめいている。

進む道はまだ見えない。
将来、表現する側に立つのか、
スタッフとしてやっていくのか、
自分の一枚看板でやっていくのか、
チームに所属するのか。

こういう悩みがぶっ飛ぶほど、
強いテーマを、教育の中に見つけられたらと思う。

それでも、2歳半のわたしは、
場数の分だけ、確実にたくましく育っており、
自分の中では、もっとも楽しみな存在だ。
これが、どう育つか?

しまった…。
そうか、私の場合、17歳は、3回くる。
3回目の思春期を迎えるころ、
わたしはいくつになってんだ?

たぶん、50代。
次の思春期は、
場数も知恵もついてる分、
解体も、荒れも、すごそー!で、たのしみだ。


あなたは今、
どの年齢で、何歳を迎えてますか?




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-11-13-WED

YAMADA
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