YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson124 想う気持ち


盗まれた自転車が、誕生日に帰ってきた。

9月に盗まれて、ひと月は、
出てくるんではと待っていた。
見つからないかと、きょろきょろ探していた。

でも、気持ちをきりかえて前に進もう!
と一大発起して、
新しい自転車を買い、
なじんできた矢先だったから、
複雑な心境だった。

女房が蒸発、新しいかみさんをもらって
しばらくしたら、
ひょっこり、もとの女房が帰ってきたような、
みょーな感じ。

なんのことはない、
わたしが新しい自転車を買ったちょうどそのころ、
もとの自転車は、再び犯人に乗り捨てられ、
撤去場におくられていたのだった。

撤去場で寒そうにまってた、もと自転車は、
しばらくみないあいだに、
「どうしたん」と声をかけたいほど、老いていた。
カゴのまだらのさびと、全身打撲。

あたらしい自転車がピッカピカだから、
よけい思うのか。

「おせわになりました」
撤去場のやさしいおじさんに頭をさげて、
こぎだしたら、がくっとくるほど、
ペダルが重かった。

くたびれたカゴのあたりを見てると、
もう、名前で呼べそうな、味を出している。
独特の乗り心地に、からだの記憶がよみがえってくる。
こいつとは、3年以上の想い出がある。

「おかえり、誕生日を祝いにかえってくれたのか。」

これからも、新しい自転車ともども、
だいじに乗ってやるからな。

午後、ふたたび出かけようとポストを見たら、
1まいのカードが、
野に咲く花のようにあった。

楷書でていねいに書かれた字をみて、
「あ、伊藤さんだ」とおもったら、
こらえきれず、ぽろぽろ涙が出てきた。

「伊藤さん」は、わたしが企業につとめていたころ、
編集派遣としてきて、
退社まで6年か、ずっとそばで仕事を支えてくれた人だ。
企業にはどちらかというと、
自我の強い女性がおおかったけれど、

伊藤さんはおとなしく、
でも芯がしっかりしていて、
あらゆるしわ寄せがおしよせても、
じっとちいさな身体にひきうけて、
いつも静かに、きちんとした仕事をしてくれた。

そんな伊藤さんが、一度だけ、
感情をあらわにしたことがあった。
わたしが、「来春から、ここにはいないのだ」と
告げたときだ。

伊藤さんは、何も言わずうつむいて、
ハンカチを顔にあてて、しずかに泣いた。

朝いちばんに告げて、
伊藤さんのすすり泣く声は、ずっと、
午前いっぱい、となりの席で続いた。

おとなしい伊藤さんの、
せいいっぱいの気持ちが伝わってきた。

人に居場所とか、
そういうものがあるとしたら、
あれからはぐれ、
わたしは、3回目の秋を迎えた。

居場所がない感じ、というのは、
連続性がない、ということだ。
昨日いた人は、今日ここにいない。
今日出会う人は、明日はいない。
ひとつ仕事が終われば、また散っていく。

その中で、ふと、
昨日の私は、今日の私ではない、
今日の私は、明日につながらない、
と、途切れた感じにとらわれることがある。

そんなとき、
かつて縁があってともにいて、離れた人が、
いまも自分を想っていてくれるのは、
なんと心強いことだろう。

それだけで、過去の自分といまの自分は、
連続性をとり戻し、やすらかに明日を紡ぎだせる。

人が人を想う。
想う気持ちは、常に「いま」だ。過去の感傷などではない。
どんなに離れても、どんなに時がたっていても、
想う気持ちは、あざやかに、「いま」あふれだす。

いま、大切だからだ。
その人や、その人と生きた日々が、いまの自分にとって。
ここにいない人を想うとき、
その人と生きた日々の自分と、いまの自分は対話している。
未来に何かつなげようとしている。
だから、想う存在とは、いつかきっとまた出逢う。

人もモノも、最後はその価値を一番わかる人のもとへ行く。
誕生日、わたしの自転車が帰ってきた。





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-11-27-WED

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