YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson128
考える方法をならったことがありますか?
――(4)自分の「問い」を発見する


暗記学力でなく、

マスコミや、人の受け売りでもなく、
エイヤーでも、占いに頼るのでもなく、
気分や、感覚で決めるのでもなく、

「これだけは、自分の頭でちゃんと考えたい!」

そう思ったとき、どうしてますか?
考えても、どうにもならないことが多い人生にも、
自分の頭で考えなきゃならないときがある。
その「いざ!」というとき、

「あれ? どうするんだっけ?!」

と迷った人、特に高校生の人に、
今日のコラムを踏み台にしてもらえたら、と思います。

だいじな決めごとをする、
論文やレポートを書く、企画を立案する、そんなとき、

考えるスタートは、「問い」の発見です。

そもそも、自分が考えたい、向かうべき「問い」は何か?
それをはっきりさせることです。(問題発見力)

どうやって発見するか?

まずは、問題となっていることを紙に書き、
答えではなく、それに関する「問い」の方を
できれば100個、書き出してみることです。

問題が、「自分の進路」なら、
「いまの時点で、進路の候補は何であるか?」
「進路について、知らないために損している情報はないか?」
「興味ある方面で、社会の状況はどうなっているか?」

というように、一つ、また一つと書く。
数出すことで、受け身だった頭も、
しだいに「問い」が立つ頭になり、
視点も増えます。

まわりにいる人たちが、
結論を急いでいても、
さもわかったように、かっこいい意見を言う人がいても、
あなたは、焦る必要なんかありません。
淡々と、「問い」を洗い出していってください。

いつ? どこ? だれ? 何? なぜ? どんな?
という、学校で習った5W1Hも使い、
歴史軸、世界軸、自分軸を基軸に、
多方面から問いを立ててみる。

と、ここまでやりました(詳しくは前回をごらんください)。

さて、ここから、たった1つ「問い」を選び、
残り99を捨てます。

「なぜ、1つに絞らなきゃいけないんだ?
1つに絞ったら、思考が限定される、
ぼくは、幅ひろく考えたいんだ」
という人がいるかもしれません。
でも、幅ひろく考えるために、1つに絞るんです。

そもそも「幅ひろく考える」って、何ですか?

より意味のある、より解決につながる、
自分の答えを打ち出すために、
1つの問題を、いろんな角度から観ることです。

「問い」を決めないで考えはじめると、
あっちから、こっちと、どんどん話がうつっていきます。
一見、考えが広がっているような、自由な感じに錯覚します。
ところが、実は、こっちの「問い」から、
あっちの「問い」と、引っ越しをくりかえしているだけ。
結局は、抱え込む「問い」の数を増やしているだけです。

「問い」の数が多くなるとどうなるか?

問いの数だけ、原因などの分析が必要になります。
問いの数だけ、根拠が必要になります。
問いと問いの関係づけも複雑になります。
単純に、問いを10個かかえれば、
問い1つの人の、10倍以上の作業になります。

大変すぎて、何をどう考えたらいいかわからなくなり、
「正解のない、難しい問題であった。
これからも、考え続けていかなければならない。」
と、放り出すか、
あるいは、結論を出しても、
当然一つ一つの「問い」の考察はうすく、根拠も薄くなります。

残念ながら、高校生の論文を読むと、
非常に多くの人がこの図式です。

「問い」は1つに絞り込む。
問いは途中で修正してもいいのです。
仮でもいいからはっきりさせましょう。

数ある「問い」のうち、どうやって1つを選ぶのか?

いちばん大事なのは、
あなたが心から、本当に考えたい問いを選ぶことです。

自分が、心底面白いと思う問い、
どうしても解きたい謎、
切実で、考えずにはいられない問題、

つまり、「動機」がしっかりした問いを選ぶということです。

高校生に、自分でテーマを決めてもらうと、
「テロ」や「クローン」など、
大半の人が、そうそうたるテーマを選んでくる。

なのに、その多くが、
知識など、なにも調べようとせず、
ただ思ったことを書いていって、
途中で本人が飽きてしまっています。

はたしてそれは、本当に、心から考えたいことだったのか?

わざわざ自分から遠い壮大なテーマを探さなくても、
本当に考えたいテーマはもっと身近にあったのではないか?
ささやかでも、いまの自分にしか考えられない問いを
なぜ考えなかったのか、惜しくてしょうがありません。

テロやクローンをテーマにするのが悪いのではありません。
考える動機があやふやな問いを、わざわざ選ぶな、
ということです。
テロを扱っても、
それを本気で考えたいと思った生徒も、少ないけれどいます。
そういう人は、
情報を集め、歴史を調べ、難しめの本にも挑戦して、
最後までねばり強く考え抜いています。

考えるということは、
とても面倒くさい作業です。
場合によっては、調べごとをたくさんしなければなりません。
無駄な作業をしてしまうこともあります。
ふと「いま考えていることは意味があるんだろうか?」という
不安に襲われることもあります。

好き、とか、何か動機がないと、
とうてい最後までもちません。

一方、自分が面白くてたまらないと思った問いや、
いま自分を直撃している切実な問いを採り上げた人は、
考える気迫が、まるで違います。

問いを選ぶ第2の基準は、
制限の中で、自分の力で立ち向かえる問いか?
ということです。

あなたが、いま、考えること、
その締めきりはいつですか?
考えることに、何時間かけられますか?

たとえば、一週間後にレポート提出、自分なら、
1日2時間×5日=10時間
プラス、土・日曜5時間ずつで20時間
というように計算してみてください。

あなたが選ぼうとしている問いは、
20時間以内に、あなたの力で扱いきれますか?

考えごとには、ほとんどの場合、
締めきりがあります。
進路決定にも、事業方針を打ち出すにも。
死ぬまでにわかればいいやという「問い」だって、
それだって期限があるのです。

2時間で考えなければならないときと、
20時間あるときと、
200時間かけられるときで、
選ぶ「問い」はちがってきます。

20時間あれば、遅い人でも本一冊は読んで考えられます。
200時間かけられれば、人に会って取材することも、
簡単な実験や調査をすることも、
フィールドワークのようなこともできます。

2時間しかかけられないときは、
手持ちの知識や経験であつかえる「問い」に
絞られてきます。

ところが、高校生が、90分、600字で、
「環境問題に対するあなたの考えを自由に」
というような小論文を書く場合、

環境問題はどうすれば解決するか?

というような壮大な問いを据えてくる人がいます。
その日までに、よほどその問題を考えてきた人なら別ですが、
世界中の学者や政治家が、
よってたかって、いまだ解決できない難問を、
わずか90分、600字で、
高校生に解決させようなんて
出題する方だって求めてはいません。

それがよくわかっている子は、たとえば、
「自分が地域でやってきた環境への取り組みから、
何が言えるか?」
「大学に行ったら、専攻で環境問題にどうアプローチしたいか?」
というような、等身大の「問い」を設定して書きます。

私は、無難な「問い」を選べ、と言いたいのではありません。
ときには難しい問いにも、勇気を持って
立ち向かわなければいけません。

しかし、それは、あくまで、
制限時間、字数、自分の力にみあった、
冒険であるべきです。

冒険家は、死ぬために山には決して登りません。
生きて還るという制限の中で、ぎりぎりの冒険をします。

自分の頭で考える、と決めたら、
必ず生きて還ってきてください、というか、つまり、
制限内に、あなたなりの発見を何かひとつでも
持って還ってください。
そのために「問い」は大きすぎても、簡単すぎてもいけません。

問いを選ぶ第3の基準は、
要求に叶った「問い」か?
ということです。

いくら自分が面白く、
自分で立ち向かえそうな問いでも、
要求にはずれた「問い」では
意味をなしません。

たとえば、会社の給料が満足に出ない、
このままでは半年後の会社の存続もあぶない、というときに、
社長さんが選んだ問いが、
「わが社の10年後の夢はなにか?」
では、意味をなしません。

選んだ「問い」は、問題解決に有効か?
完全解決にいたらなくても、
解決に向けて、確実な足がかりになるでしょうか?
自分や、関係者にとって、
考える価値のある問いでしょうか?

論文やレポートなら、
出題者のねらいに叶ったものでしょうか?

以上3つの基準から、
最終的にあなたが選び取った、たった1つ「問い」、
これが、「マイ・テーマ」です。
はっきりした疑問文の形になっています。

考えるとは、この、自分の選んだ1つの「問い」に対して、
自分の「答え」を打ち出す手続きです。
自分でまいた種を刈り取るように、
自分の意見を収穫します。

志がある、等身大の、要求に叶った問いなら、
収穫にも期待がもてます。

論文の場合は、マイ・テーマが「論点」、
つまり、文章全体を貫く問題意識になります。
「答え」が結論です。

考えるには、自分が選んだ「問い」について、さらに、
小さな問いを洗い出し、
自問→自答→自問→自答→自問→
→わからない→調べる→自答……、
これを答えが出るまで、メモを取りながら繰り返します。

あらかじめ、「答え」を見つける作戦を立てておくといいです。
たとえばこんな風に。

(マイ・テーマ)
練習場の使い方をバスケ部と、どう調節すればいいか?

          ↓
 いま、ダンス部側で困っているのは何か?(状況把握)
          ↓
 バスケ部側が困っているのは何か?(主将に取材)
          ↓
 両方の要求が衝突する点は何か?(問題把握)
          ↓
 なぜ、衝突が起きるのか?(原因の究明)
          ↓
 解決には、何を大事に考えたらいいか?(解決の要件)
          ↓
 具体的な解決方法にはどんなものがあるか?(解決策)
          ↓     
自分なりの答え(GOAL!)

このように、答えにいたる道筋を、
すべて「問い」でつくってみます。
これらの問いは、今度は比較的スムースに出るはずです。
なにしろ問いの100本出しをやった後ですから。
ここで、捨てた99の問いのいくつかに再会することもあります。

問いと問いを、問題解決につながるよう、
方向付けて配列していきましょう。

たとえば、現状の問題点→原因→解決の方法、
過去→現在→未来、
相手の要求→自分の要求→両者の差異→差異の解決策、
というように順序だてて、
答えを見つける道筋を組んでみてください。

問いと問いを、解決に向け、筋道立てて配列する力を、
論理的思考力と言います。

自分で立てた作戦をたよりに、
見たり、聞いたり、調べたり、
自分の経験にてらしたりしながら考えていくと、
小さな発見があります。

発見が1つ、2つ、3つ……とつながっていって、やがて、
「そうか!」と自分の中からわきあがってくるもの、

それがまぎれもない、あなた自身の「意見」です!





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
bk1http://www.bk1.co.jp/
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2002-12-25-WED

YAMADA
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