YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson135 1人称がいない(5)


こんにちは、ズーニーです。
今回もまず、「教える現場」のこんな声からお聞きください。


<忘れもの>
2年間ほどインテリアデザインの講師をしていました。
生徒は18、19才。

忘れ物をした生徒がいました。

ぼーーーとしているので、
聞いたら教科書忘れたっていうんです。

「となりの子に見せてもらい。すぐ作業するし」
「ううん……。先生の、コピーさして……」
「……。(驚)」
「なあみんな、教科書わすれたから
 コピーしてくるって……。ほかにいるの?」

18人手をあげました。

他にも私の意見を
そのままコンセプトにする子やいろいろいて
切りはありませんでした。

最近、久々に卒業生の一人から、
突然携帯メールが来ました。
私が少しだけ雑誌にのったので見た、という内容でした。
その2ヶ月後、その子からまた携帯にメールが来ました。
有名なインテリア事務所を紹介してほしい、
という内容だけ……。
3年間会ってもいないし、電話もしていません。
少し怒り気味に
「今のあなたの実力も知らないのに紹介できない」
と返しましたが、
何も返事は言ってきませんでした。

わたしは I-modeかっ?
かなしかったです

(読者 Iさんからのメール)


<口コミでやってくる生徒たち>

わたしも、若い子たちに教えることが多い立場にいます。
「あそこに行くと、いいことが起きるらしい」という、
口コミで人が集まるところで、
人生がどうやったら楽しくなるのか、
わたしの人生経験をふまえて教える仕事をしています。
でも、伝わらないときは悔しい。
例のオーディション番組は見てないので、
よくわかりませんが。
文章から、先生たちの悔しさは、とても伝わってきました。

「なんで、自分から来ているのに、つかもうとしないの?」

よく恋愛相談に今の人たちはやってきます。
そんな子たちに言うのは、愛されたい、と言っても、
愛されるにも、つかむことが必要なんだ、ということ。
つまり、自分の手を自分でのばさなければ、
どんなに相手が何かを差し出しても、
受け取れないんだよ、ということ。

これさえも、教えられなければ
わからなくなってしまっている。

(読者 あねちゃんからのメール)

………………………………………………………………………

2つ、先生側の声を紹介しました。
あとひとつだけ、こんどは、生徒の声をお聞きください。


<お前は宇宙人か?>

今、大学卒業後、大学の再受験をしています。

大学では、
教官の方々にかわいがっていただいたこともあり、
いろいろと論文などの指導を受けてきました。

その中で、「問い」をたてるのと同程度に、
「論拠」の確かさについて、しつこいほど求められました。

教授の方々は「常識を疑う」のが仕事です。
ニュースひとつ見ても、
その「裏の意味」を読もうとします。
彼らに対して、ニュースやワイドショーのような、
「問い」と「答え」が
1対1のものを持ち出して書こうものなら、
ひどく怒られます。
かくいう私も、何度も怒られました。

「お前は宇宙人か? どこから声出してんだ?
 分からないなら、分からないなりに書いてこい。
 いいか、分からないってのは大事なんだぞ。
 それをきちんと把握することによって、
 お前独自の視点ができてくるわけだ。
 研究ってのは、
 分からない溝を埋めるためにあるんだろ?」

今も深く心に残っています。

また、一般の科学論文を見る限りでも、
審査を通ったものでさえも、
「わからない」と言っても許されています。
ただ、それらの論文には、
何が、どうわからないのか、とても明瞭に書かれています。
また、それが次の「問いの方向」にきちんとなっています。

そのような教官が、小論文の問いを作り、審査するのです。
私にはどうしても、
宇宙人のような、どこか他人事の小論文が
受験に通るとは思えないのです。

(読者 一人さんからのメール)

………………………………………………………………………

この、1人称がいないシリーズを考えていくうち、
早い段階から、私の中に、
わきあがってきた「問い」があります。
それは、2番目のメールにもあった、

「なぜ、つかみにいかない!?」

です。例えば、自分から強く望んで受けたオーディションで、
最終選考に残る、というような場面です。

何千、何万という人の頂点に立った。
もう、客観的にみて、可能性があるかないかとか、
自信があるとか、ないとか悩むような段階ではありません。

可能性があるからこそ、その場に立てた。

すべてのお膳立てはそろった。
あとは、自分で手を出してつかむだけ。

この先何十年生きても、
2度とこないかもしれないような人生一度のチャンスです。

そういう状況がわかっていて、
わざと自分の不利になるようにふるまう
人などいるでしょうか?

あの、「モーニング娘。」
最終審査前のレッスン1日目、
女の子たちは、「つかみに行かなかった」
のではなく、「つかみに行けなかった」、
と考える方が自然です。

それは、
自分をとりまく関係性が見えていなかったからです。

では、なぜ、ダンスや唄の先生、
私をはじめ、見ている人の多くは、ジリジリ気を
揉んだのでしょうか?

彼女たちをとりまく、
関係性がはっきり見えていたからです。

岡目八目、ただでさえ、当事者は状況が見えにくく、
はたで見ているほうが、前後や人物の関係がとらえやすい。
とくにテレビでは、視聴者は、時系列を追って整理され、
人物関係も、字幕とナレーションで、
わかりやすく説明されたものを見ているから、
彼女たちをとりまく関係性、
彼女たちが最優先でやるべきことが、
一発でわかるのです。

関係性がわかった人から観ると、
とんでもないことが起きようとしている。
可能性ある若者が、1度きりのチャンスを
みすみすドブに捨てるかもしれないのです。
そこで、多くの視聴者は思いました。

「なぜ、つかみにいかない!?」

では、私はどうか、と考えました。
私は、自分が置かれた状況を、ちゃんとわかっているか?
私は、日々、
訪れては消えるチャンスを生かしきれているのか?
そう考えると、実にもったいないことをしています。

もし、自分のこれまでの人生と、
いま置かれている状況を、整理・編集して
ドキュメンタリーにして放映されたなら、
見ていて苛立つ人は、いっぱいいると思います。

「山田さん、どうしてそこでつかみにいかないの?!」
「山田さん、大事にするのは、その人じゃない、こっち!」
「そんなとこで、そんなことしてる場合じゃないでしょ!」

つかみにいかないのではなく、
自分の置かれた状況がつかめていないために、
自分の前に横たわっているチャンスも、
そこで生かせる自分の可能性も、見過ごしてしまい、
それゆえに「つかみにいけない」、のだと私は、思います。

わたしたちは、
自分をとりまく関係性を、
思い出し、つかむことが必要です。
人によって、いろいろな方法で考えていいのですが、
ただひとつ言えるのは、
決して「空気を読む」というような漠然とした作業では、
ない、ということです。

わたしは、まわりが見えなくなったとき、
ときどき、こうやります。
状況把握は、自分をとりまく人物との関係の把握、
だと思っています。

自分に関わっている主な人物を、
1人1人、思い出し、
「自分に何をしてくれたか?」頭を使って考えるのです。

例えば、クライアントは、何をしてくれたか?
編集者は、何をしてくれたか?
家族は、何をしてくれたか?

このときのコツは、形容詞など、
いっさいの修飾語を省いて考えることです。
修飾語に頼ると、どうしても事実関係が甘くなるからです。
例えば、ある会社員の女性が、自分のまわりの
人を、このように洗い出したとします。

父は、うざい。
母は、うるさい。
部長は、えらそうだ。
カレシは、優しい。
先生は恐い。

これでは、すべて主観で、事実関係がわかりません。
修飾語禁止で、
「いつ? だれが? 何を? どうした?」
で考えてみると……、

父は、4年間、大学の学費を出してくれた。
父は、アパートの保証人欄にハンコを押してくれた。
母は、今日、洗面所のタオルを取り替えてくれた。
母は、昨日、頼んだテレビ番組を録画してくれた。
部長は、今期、希望のポストに異動させてくれた。
部長は、昨日から、
うちの課のバイトを1人増やしてくれた。
カレシは、1年前から、私に、金を借りている(?)
カレシは、私の誕生日に、私に、金を借りている(?)
先生は、この6年で、私にピアノを教えてくれた。
先生は、進路に悩んだとき、私に、大学を紹介してくれた。

修飾語を取ることで、好き、きらい、感じがいい、悪い、
ではなく、事実をキーにした関係が見えてきます。

さらに、これに、
「なぜ?」をくわえてもいいと思います。
部長は、なぜ、今期、
希望のポストに異動させてくれたのか?
というように。

こうして、1人1人と、自分の関係を見ていくと、
次第に、自分に与えられている、大小さまざまな機会、
自分に求められていることなど、
自分をとりまく、周囲の事実関係が見えてきます。
直接、何が求められ、何が期待されているのか、
相手に聞いてみるのもいいと思います。

1人1人との間の
事実確認を別個にしていくと、
不思議なことに、頭の中の整理では、終わらず、
「気持ち」に落ちてきます。
周囲の事実関係が、あるまとまりを持ったときに、
何らかの気持ちがわきあがってくるのです。

さきに紹介した一人さんのメールでは、教官の
「お前は宇宙人か? どこから声出してんだ?
 分からないなら、分からないなりに書いてこい。
 いいか、分からないってのは大事なんだぞ。
 それをきちんと把握することによって、
 お前独自の視点ができてくるわけだ。
 研究ってのは、
 分からない溝を埋めるためにあるんだろ?」
という言葉が、頭ではなく、
今も一人さんの「心に」、深く残っているとあります。

小論文の読者は、大学教授です。
その読者から、直接、「宇宙人!」と怒鳴られるほど、
関係性が読めない状態からスタートし、
長い論文指導のはてに、
一人さんと、読者、そしてものを書くことの関係が、
まとまりを持って、心に落ちた瞬間だったと思います。

自分の本当の考えを言ったら、点数は低く、
社会に、打たれるのではないか、と恐れる人は大勢います。
しかし、自分をとりまく人物一人一人を把握していったとき、
自己表現を阻むモンスターなど、どこにいるのでしょうか?
問題は、別のところにあるのではないか、
まわりはきっとこう思っています。

「なぜ、つかみにいかない!」

 




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2003-02-19-WED

YAMADA
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