YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson145  恐い・コワイ・怖い

会社にいたころのこと。

上司とミーティングをしたあと、
席に戻ったわたしは、
その上司にメールを書こうとしていた。

ちょっと失礼な物言いをしてしまったので、
こわくなってきたのだ。
上司が気分を害していたらどうしよう……。

それで、「おせじ」というか、
「さっき上司が言われた、あの発言が心に触れ、
さすが! と思いました。
肝に銘じたいと思います。」
と、上司をもちあげるメールを書きはじめた。
次の瞬間、まてよ……と思った。

これって、「恐れ」を行動動機とすることじゃん。

本当にこんなこと思っているのか?
あの発言は、
ほんとうに心に触れたのか?肝に刻むのか? 
ほんとに?

思ってもないことを、
なんで書こうとしているのかと問えば、
コワイからだ。
上司にきらわれるのがコワイ、
それで企画が通りにくくなるのがコワイ、
そして保身のためだけにものを書く。

書きかけたメールを全部消して思った。
「私は、こういうものを書いてはいけない。」
そして、このとき、かたく心に誓った。

「恐れを動機として、決してものを書くまい。」

吹けば飛ぶような日常のひとコマで観た、
自分の「小心」と「勇気」。
でも、これに気づくまで、
表現の根っこに動機があると、知ることからはじまって、
それに気づく方法とか、
文章技術をコツコツ積み上げて10年たっていた。

わたしは、ひと一倍臆病だ。

会社で、一度だけ倒れたことがある。
救急車が呼ばれ、連絡を聞いた母が故郷からかけつけた。
診察の結果、どこも悪くないことがわかっての帰り道、
わたしは、思わず弱音をもらした。

次の日は、私が行かなければどうにもならない、
体力的に、かなりヘビィなイベントがひかえていたのだ。

「明日、また、たおれたらどうしよう……。
 延期してもらおうか。」

会社で、みんなの見ている前で倒れた恥かしさ。
倒れる瞬間の、あの暗く、血が下がっていく気分の悪さ。
そして何より、すぐれない体調に
私の何かが縮こまっていた。

母は、そんな私を心配し、いたわり、優しくしてくれる。
かと思ったら、次の言葉に、私は蹴っ飛ばされた。

「今日たおれたら、明日はたおれりゃあせん!
そんなに毎日、毎日、たおれりゃあせん!」

人前で倒れたのがトラウマにならなかったのは、
このひと言のおかげだった。
「すべての心の傷がトラウマになるわけではない」、
心理学の人が言っていたのをなにかで聞いた。
次の日、わたしはりっぱに勤めを果たした。

「恐れ」を感じたときに、引っ込むか、進むか。

ひっこむとき、「悪いことはつづく」と考えがちだ。
でも、それは客観的に根拠のあることだろうか?
そのとき私は25歳、25年間ではじめて倒れたのだから、
次の日はもう倒れない、
当分ないと考える方が確率だって高い。

何より母は、「……たらどうしよう」と、
恐れにとらわれ、
縮こまってしまう私の小心を蹴っ飛ばしたかったのだろう。
ほんの小さな「恐れ」でも、
それを動機にした一つの行動が、
次の連鎖を生み、
やがて、「恐れ」に硬く支配されてしまう。
戦中・戦後を生き抜いてきた母は、それを体で知っていた。

今日悪いことがあったら明日はない。そんなに毎日ない。

たんに勇気がでないだけなら、
勇気は出したほうがいい。
心底コワイのは、それをしたいからだ。

ふたたび、上司とミーティングをしたあとの会社の席で。
上司にお世辞のメールを書く時間が
ひどくもったいないと思った私は、
パソコンをパタンと閉じて、企画書を出した。

「……たらどうしよう」で何かする暇があったら、
「面白い、力がつく小論文の教材をつくってやろう」で
企画を立てよう。

しっかりとした企画が立てられれば、
上司が通そうが通すまいが恐くないような気がした。
自分の気分を害されただけで、
企画を通さないような、そんな上司なら、恐くない。

企画を落とすなら、落とせ!

そう思った瞬間に、
上司は、もともとそんな人ではなかったではないか、
という現実に気づいた。
気分屋のところはあっても、だれから見てもいい企画を、
これぐらいのことで落とすような、
そんな小さな人間ではない。

では、あのお世辞メールを書きはじめたとき、
現実にはいない、
なぜ、上司はあんな小さな人間に見えてしまったのか?

恐れが投影してみせたイリュージョン、
そのときの、私の姿だったのかもしれない。



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

2003-04-30-WED

YAMADA
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