YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson147  知りたかった答え

2000年5月17日にスタートした、
この「おとなの小論文教室。」は、
今週で、まる3年を迎え、来週から4年目に突入する。

ぜーんぶ、私の努力だと言ってみたかった。
けど、自分でやるとこまでやったら、
「もう、どうしようにも、こっから人の助けがいる!」
ってとこへ、何回もぶつかったから、
本当にわかる。

ありがとう。

読んでくれる、あなたがいなかったら、
私は、続けられなかった。

ほんとに、ありがとう。

ああ、もう! 涙腺、よわっ! かっこわる!

では、今日もはりきって一つの「問い」を
なげかけたいと思います。

「もしも、自分の行く末を
 100%見通せる人がいたとして、
 あなたは、その人に見てもらいたいですか?」


先週ラストのなげかけに、
読者の方から、こんなメールをいただいた。

……………………………………………………………………
結末のわかったドラマを生きる私たち

人間本当に最後の結果だけは
100%分かっているよね。と思いました。

そう、死んじゃうのです。最後はね。

結末の分かったドラマみたいなものです。
それでも別に失望することもなく、
まるで結末を知らないかのごとく日々を送っているのです。

と考えると、100%行く末を見通せる人に聞いてみても
実はあまり意味が無いのではないかと思います。
では、聞くのか?
いや、多分、私も聞きません。
それは、自分が体験したことしかリアルなこととして
捕らえられないし、納得は出来ないから……かな。

だから死んじゃうという明白な事実があっても、
それはリアルなことでは無いのかもしれません。

ともあれ、結果、全員死んじゃうとしても、
それまでに何をするのかだけは自分で決められます。

(Oguroさんからのメール)

……………………………………………………………………

そうか!結果が知りたいわけじゃないんだ。

占いに群がる人も、実はそうなのかもな、とわたしは思った。
だって、ほんとうに結果がほしいだけなら、
調査会社に行くとか、医者にいくとか、
もっと確実な手段がある。
結果を聞きにいっているようで、結果が聞きたいわけではない。

じゃあ、何を求めていくのだろう?

読者のお一人から、こんなメールをいただいた。

…………………………………………………………………
知りたかった答え

あたしは、生まれて初めて、
人の携帯をこっそり覗き見しました。
最近の彼の動向がおかしい原因が見つかるかもしれない、
という思いと、
それは気のせいだろう、と信じたい両方の思いで、
メールを見ました。

結果は、残念でした。
メールの相手は女性で、
書くのも恥かしいような内容の文章や画像と、
いくつもありました。
実際のところはわかりませんが、
会う約束もしていたようでした。
あたしと同居してからもずっと続いていたこともわかりました。

がっかりした想いと、
裏切られたような気持ちと、
勝手に覗き見た罪悪感で、
あたしの頭は真っ白になりました。
真っ白のままで終わることができず、
そのくせ彼に、携帯を見たけど、なんなの?!
とも言えず、なんとも言えない気持ちで泣けてきました。

どんどん自分が嫌な女になっていくのがわかるのに、
信用できない想いと、
不安な気持ちと、
若さに負けたようなみじめな感覚などで、
ますます真実を知りたいと思い始めました。

破滅へ向かっているような感じがしました。

相手を信用できなくなって、
疑うことが日常となったら、
もう一緒には暮せない。
ましてや、互いに仕事で離れる時期があった日には、
もう、不安で気が狂うに違いない、
そう思いました。

>もしも、私の先行きを
>100%正確に見通せる人がいたとしても、
>私はその人に見てもらわないだろうと。

あたしもそうだな〜と思いました。
そう強く思ったのは、
もしかしたら今の心境だったからかもしれません。

あたしにとって「見通せる人」は、
例えば、携帯の請求書を発行している
会社だったりするのかもしれないな〜と思いました。
携帯電話自体かもしれないし、
彼のPCのメールかもしれない。
そこに真実があり、ある種、
あたしの行き先を占うことになりかねない。
嫉妬と疑惑のパワーを
「見通せる」ものに向けた時、
それは恐ろしいことになる。

(Nさんからのメール)

……………………………………………………………………

携帯を見たけれど、
ますます不安にかられ、
ますます先が見えなくなっているということは、
携帯の中にNさんのほしい答えはなかったということだ。

そこに、自分の知りたかった答えはない。

私もやたら、答えがほしかったことがある。
ここにコラムを書いて3年、
つい最近、人の評価を気にせず、
自分の書きたいものにまっすぐ向かえるようになった。

しかしそれまで、特に最初の2年は見苦しかった。

人に伝わるものが書けたときは、
ほうっておいても、いろんな人が反響をよせてくださり、
手ごたえを感じ、次の方向も見え、励まされ、と、
いいスパイラルになっていく。

ところが調子わるいと、さっぱりだ。

つまんないから、だれも、なにも言ってくれない。
引き潮のように周囲が引くのがわかる。
しーんと地球から取り残されたような闇の中で、不安になる。

いまでこそ、できの悪い原稿ほど、書き手としてはかわいい
なんてことも思えるのだが、
そのころはもう、人の評価をまっすぐ受け取って、
まっすぐ自己否定して、不安の闇にまっ逆さまにはまっていった。
そんなときは、人から自分がどう見えるか、やたら気になった。
闇の中で、わたしは助けを呼んでいた。

「よくないなら、どこがよくないのか? 
ひと言でいいから聞かせてくれ!」

でもそのとき、もし、ネットコラムの鉄人みたいな人がいたとして、
100%正しい診断、助言をしてくれたとする。
「山田さんのコラムは、ここが問題です。
次から、このように書くようにしてごらんなさい。」
そのとおーりにやって、大成功したとする。

意味ねぇー! そんなの!!!

ぜんぜん、かっこつけて言ってるのではなく、
そんな助言、わたしにとって、まったくリアルではない!
それどころか、逆効果だ。自信喪失ルートへ一直線だ!
客観的で、相対的で、100%正しい助言であればあるほど、

絶対、そんなの欲しくねぇーー!!!

と、3年たった今はわかる。
当時だったら、おいすがったかもな。

例えば、ちっちゃいことだけど、
連載当初、このコラムのボリュームは、
A4に換算して、7か8ページあった。
前回までの数回、気づけば3ページで書いていたことに
ちょっとした感慨があった。

はじめは、縮めて、縮めても、
どーーしても、自分の力量では、言いたいことを言うために
7.8ページかかったのだ。

やがて、これが5ページで言えるようになって、
3ページで言えるようになった。
そこまでに、3年経っている。

昔のをみると、
自分でも「なげぇよ!」と突っ込みたくなるが、
その間、編集者の木村さんも、糸井さんも、読者も、
「もっと短くかいてみたら」
とだれも、一度も言わなかった。

そのことに、今、とても感謝している。

鉄人から見れば、無駄が多いのは一発でわかり、
どういう表現を削ったらいいか? 
短くするにはどういう手法があるか、と助言できたろう。

しかし、どえらい字数で書いてみる、ということは
私がどうしても経なければならないプロセスだったし、
短く書くのに3年、というのも
私にとって必要な時間だった。

この途中でアドバイスを受けても、
本来の成長にはならなかったし、
自分自身の感覚として何かをつかむには至らなかったろう。

結果、同じことだったとしても、
自分の感覚でつかめたという納得感、自信、
3年の間に培われた習慣性、手ごたえ、
そのひとつひとつが私にとっての「リアル」だ。

鉄人にあって、3年を1年に短縮できたとしても、
身に刻まれた習性は浅く、
それは自分で編み出した感覚ではないから、
あとで、
「あのとき鉄人に逢えなかったらどうなっていたか?」
と結局、人をあてにし、
その先も人をあてにすることになる。

そこにはもう、失敗をする自由さえない。

リアルと言えば、私にとって、
読者の方からいただいたメールに返事を書いている
時間も、とてもリアルだ。

マスにむかってだけど、
ひとり「あなた」に届けと願ってコラムを書く。
すると、
ほんとうに個人の言葉になってメールが返ってくる。
私の言葉が、ひとりの人に、どう響いて、
それで、こんなメールが来ているのだな、と実感する。

それに私がまた、返事を書いていく過程で、じわっと、
通じあってるな、と想う。

このコラムがいつ終わるとか、
このコラムをがんばって書いていけば、
こんないいことがありますよとか、
そんな予言を100%の的中率でできる人がいても
私にとって、そんなのぜんぜんリアルじゃないのだ。

コラムを書いて、その先どうしよう、こうしよう、
なんてことでは、全然ないからだ。
これを書くことはなんかの手段じゃない。
書いている行為自体が目的だし、
いただいたメールに返事を書いている時間にこそ、
わたしにとってのリアルがある。

そして、連載当初の不安の中で
私が本当に知りたかった答えは、
3年間を通じて、
いま、この身に刻まれているような気がして
しょうがないのだ。

答えを探し、実際確かめてみたら、
なんか自分が求めていたものと違っていた、
という経験、あなたは、ありませんか?

そのとき、あなたが本当に知りたかった答えは、
何だったんだろう?

あなたにとって、なにがリアルだろうか?





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

2003-05-14-WED

YAMADA
戻る