YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson199 理解のブレス


とんでもなく、「聞き取り能力」の高い人に会った。

電話での長い話も、ややこしい話も、
とにかく、一発で聞き取ってくれる。

その人を、ここでは仮に、
「キクゾウさん」と呼んでおこう。

キクゾウさんは、
20代男性、地方で大学の職員をしている。
この春、私が、地方に講義に行ったとき、
複数の会場との打ち合わせを、
東京からの遠距離電話、
一発で、決めなければならなかった。

面識のないもの同士の、
電話でのやりとりは、ただでさえ、タイヘンだ。
打ち合わせ1件終わると、クタクタになった。
そして、また1件…。

しっかり念を押したつもりでも、
当日、会場に行ってみると、
準備がモレている場合もあった。

ところが、キクゾウさんだけは、
頼んだことは、一切のヌケモレなく、
パーフェクトにやってくださっていた。

それ以前に、キクゾウさんとの電話のやりとりには、
まったくストレスがなかったのだ。
こんな電話のスキルの高い人は、
はじめて見たような気がする。

電話のやりとりといえば、妙に緊張する相手もいる。
ここでは、その人をマモルさんと呼んでおこう。

マモルさんは、キクゾウさんと同じく20代で、会社員だ。
私は、その日、
「まず、マモルさんの仕事への共感を伝える。
 → そして、頼みごとをする。」
という流れで電話をしようとした。

ところが、こんな感じに、話がすれちがっていく。

わたし: マモルさん、
     電子工学科とおっしゃってたでしょう、
     さすが、あの…
マモル: ちがいます。
わたし: え? ……。
マモル: 「電子情報工学科」です。
わたし: あ、すいません。……あ、あの、その……、

私は、「さすが、理系の発想が活きていて…」と、
マモルさんの仕事への共感を伝えるつもりだった。
ところが、でばなをくじかれ、しどろもどろになった。
さらに、

わたし: あ、マモルさん担当のあの企画、
     無くなって残念で、
     私は、あの企画の…
マモル: 確かにカタチとしては、
     無くなってはいるんですけどね、
     Bというサービスの中に活きてはいるんですよ。
     それが、わかってもらえてないとは……
     ま、いいんですけどね。
わたし: いえ、あの…

私は、そのあと、
いかにあの企画を素晴らしいと思っているか、
言おうとしていた。
Bというサービスの中に企画の趣旨が活きているのも、
もちろん承知で、そのあと言おうとしていたのだった。

でも、そんな感じで、言葉がどんどんすれちがっていき、
どうしてか、私は、次第にのどがつまったように
言いたいことが言えない感じになってしまった。

それでも、どうにか、自分で本に書いた、
「誤解をどう解くか」を思い出し、

「私は、常日ごろ、マモルさんが
 本当にいい仕事をされていると思っているんです!
 だから、ぜひ、力をおかりしたいんです!」と、
ふんばって、自分の根本思想を、前面に押し出してみた。

最終的に、気持ちは通じ、
お互い、いい気持ちで電話を切れた。
そこで、私は、考えた。

マモルさんとのやりとりは、
なぜ、緊張してしまうんだろう?

もちろん、出身学科名を正確に言えなかったり、
まわりくどかったり、私が悪いのだ。
でも、そんな私でも、
キクゾウさんは、いっぺんで話を聞き取ってくれる。

キクゾウさんとのやりとりは、
なぜ、ストレス・フリーなのか?

2人の確実に違う点は、
「理解の息」の長さだと、まず、思った。

水泳で、ひとかきしては、「息つぎ」、
また、ひとかきしては、すぐ、息つぎ、というように、
「息の短い」人もいれば、
何回もストロークした後、
やっと息つぎをする「息の長い」人や、
プールの端までノーブレスで泳ぎきれる人もいる。

同様に、文章を書いたり、話したり、にも、
「論理の息」が長い人と、そうではない人がいる。

「論理の息が長い人」、とは、ひとつのことを言うために、
大きな論理構造を組みたてて、話ができる人のことだ。

ただ、だらだらと、長く話すのとは、まったく違う。
例えば、「問題提起があって、具体例があって、
分析があって、別の見方への対応があって、
最終的に私が言いたいのはこれだ」と、

一貫した問題意識のもとに、
「スケールの大きな脈絡をもって、話ができる人」
のことだ。

反対に、問題意識が浅かったり、
論理構成力が足りなかったり、
知的な粘りがない人の場合、
どうしても「論理が息ぎれ」して、長い話はもたない。

こういう人に無理やり長い話をしてもらうと、
一つの話題を取り上げては、すぐ結論が出てしまい、
それはそれとして、また別の話題にうつり…と、
単に話題が変わっていくだけの、
ポキン、ポキンと途切れた脈絡のない話をしてしまう。

同様に、人の話を理解するときにも、
「理解の息」が長い人と、短い人がいるように思う。

マモルさんは、電話で私の話を聞くとき、
5秒から長くても15秒(30〜100字)で、
いったんさえぎって、
相づちを打ったり、自分の意見を言ったりする。

私が、少しでも、まちがったことを言うと、
1文が終わるのも待たず、間髪入れず、訂正をいれる。

ところが、キクゾウさんは、相手の話を聞くとき、
ほとんど口をはさまないで、長く通して聞いている。
あいづちさえも打たず、
1分以上(字数にして400字)は、
余裕で相手の話を通して聞いている。

電話の1分は長い。

私のほうの、「論理の息」が、切れて、
「ふっー」と頭が息つぎをする、そこに、
キクゾウさんは、すっとリアクションをする。

電話のマナーでは、
「電話では、相手が不安になるので、
テンポよく、あいづちを打つ」
と教えられた人は多いかもしれない。
だから、
キクゾウさんは、マナー違反と言う人もいるだろう。

確かに、「電話は、手短かに、要件のみで済ますもの」
という前提ではそうだろう。
だが、メールが登場してから、
メールではできない込み入った話に電話をつかったり。
物理的にどうしても会って話せないため、
電話で、打ち合わせをしたり、

実際には、電話でも、もっと突っ込んだ意思疎通が、
求められる場合がある。

突っ込んだことを言うためには、その分、字数も長くなる。
そして、ここが、肝心なのだが、
長い話は「脈絡をもっている」ということだ。

人は、何か意味のあることを言おうとするとき、
人それぞれの脈絡、手続きで伝えようとする。

たとえば、何かをほめるとき、
どうしても、
「いったん、それをけなして、その後もちあげる」
という手続きをしないと、人をほめられない人がいる。
例えば、こんな感じだ。

「あなたの文章、最初に読んだときは、
 ふざけてるのかと思って。
 それで、当分読む気がしなかったんですよ。
 でも、なぜか印象に残ってしまって、
 2回、3回と読み返すうちに、
 やっとその奥深さがわかったんです。
 これは、いままでに読んだことのない新鮮な発想だと。」

こういう
「後善し(あとよし)構造」で話そうとする人の場合、
聞く方は、最後まで
一息に話を聞き取ってあげないといけない。
いくら長くても、途中でさえぎったり、
口をはさむと、ややこしくなる。

相手 : あなたの文章、最初に読んだときは、
     ふざけてるのかと思って。……
自分 : え! ふざけてなんかないですよ、ひどいなあ、
     超、まじめに書いてますって。
相手 : いや、そうじゃなくて、最後まで聞いてよ……

こういう場合、話す方も、「一発頭出し」で、
「あなたの文章は、かつてない新鮮な発想だった」
という結論から切り出せばいいのだが、
実際、それができる人は、少ない。

テレビを観ていると、
コメンテーターにしても、タレントにしても、
「いちばん言いたいこと」を、
要領よく、「一発頭出し」で、短く言える人ばかりだ。
見ていると自分でもできるような幻想がつのるが、
あれは、恐るべき才能だと、私は思う。

私たち普通の人は、実際は、カツゼツも悪いし、
いくつかの、人から見れば無駄な手続きを経なければ、
言いたいことが出てこなかったり、
考えながら話し、
最後にやっと言いたいことが出てくる時もある。
それを聞き取るのは、わずらわしいし、根気のいる作業だ。

でも、キクゾウさんは、その作業を楽しんでいる節がある。

キクゾウさんは、「理解の息」が長いと言ったが、
相手の話をできるだけ長く通して聞こうと、
決めてかかっているわけではない。

事実、こちらが、論理の息の短い話をしているときは、
「はい」、「はい」、
と短い息で聞き取って、リアクションをする。

キクゾウさんが、集中しているのは、一点。
相手のひとまとまりの話の中で、
「この人が、いちばん言いたいことは何か」だ。

相手が何か言おうとしているとき、
どんなにまわりくどくても、言葉が足りなくても、
ひとまとまりに、必ず、煎じ詰めれば、たったひとつの、
「言いたいこと」がある。

それを相手から聞き取らなければ、忙しくても、
そこから先に、話を前に進めても意味がないし、
そもそも電話する意味もなくなるということを、
キクゾウさんはよくわかっているように思える。

だから、「この人が、いちばん言いたいことは何か」
が自分なりにつかめるまで、ぶっ通しで話を聞いている。
それ以外は、瑣末なことだから、多少の齟齬があっても、
反応をかえさずに、聴きつづける。
息の長さは、相手が言いたいことを言い終わるまでの長さ、
結果、こちらが一回言えば済むので、
キクゾウさんとの電話時間は、
ゆったりしているのに、早く済む。

電話のストレスが多いときは、
お互い、相手の話への「理解の息」は、短くなっている。
言いあいになると、相手が、1文も言い終わらないうちに、
話をさえぎったり、言い返したりしあうようになる。

息があまり短いと、
おたがいが、おたがいの文脈を持っていて、
その中で発言しているのに、
その文脈をつかむことこそ大事なのに、
話を、断片・断片の情報としてしか、
聞き取れなくなってしまう。
当然、誤解の幅は広くなる。

そういうときは、
「理解の息」を長くとることも考えたい。
相手の意見を5秒と聞かず、
ポンポン言い返しているようなら、
単純に、相手の話を聞く時間を、
せめて10秒にしてみる。

できれば15秒、30秒、60秒…と
通して相手の話を聞いてみる。
これだけでも、あとの展開はずいぶんちがう。
言葉の背景にある「文脈」が見えてくるからだ。

「ここでの、相手のいちばん言いたいことは何か?」

に集中し、それがつかめてから、
リアクションを返すようにする。
口論になっているとき、「聞く側」にまわるのは、
不利に思う人もいるかもしれない。

でも、たかだか1分やそこら、
相手の話をじっと聞いてみて、そこから、
相手の本当に言おうとしていることもつかめない状態では、
自分の意見を言ってみても、ほんとうは、意味がないのだ。

このところ、私は、
「理解の息」を少し長くすることを考えている。

私も、たった1回嫌なことをされたら、
もう、相手を嫌なやつだ決めつけたいような時もあるが、
少なくとも、
もう2〜3回話してから、決めつけるか? とか、
2〜3ヶ月は相手の様子を見てみるか? とか、
2年ぐらいの長い息でこの人を見ていこうか?
とか思っている。

せめて相手の言葉の背景にある、文脈が少し見えるまで。

あなたは、人と話すとき、
相手の話を、
どれくらいの息の長さで聞き取っているだろうか?



『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2004-05-26-WED

YAMADA
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