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Lesson207 枠に挑む ――勉強?それとも仕事?(5) このシリーズがはじまってから、 「自分自身、仕事というものがわかっていない」 と悩む若い人のメールが多く寄せられている。 どうしてか、私は、そういう人こそ、 仕事というものをつかみにきている、と 健康な感じがしてならない。 職場で、経験の浅い人が、 あがいたり、もがいたりしている。 むしろそれは、 自分の意のままにならない「外」を感じとり、 「外」となんとか つながろうとしている証拠ではないだろうか? ほんとうに「外」がない人は、 もっとつるつるして、この議論、まったく ひっかかっていないのではないか、と思う。 ずいぶん前だけど、 仕事中に、自分の愚痴や、 職場への自分の不満ばかり話す人がいた。 最初は、この人は、「僕は…」「僕は…」と どうして、「僕の話」ばかりするんだろう? と思っていたが、いっこうにつくりたいものの イメージが出てこない。 データも用意せず、腹案も用意せず、 市場にも、お客さんの気持ちにも まったく目がいっていない。 一言で言って、その人の話には、 「ベクトル」がない、のだ。 未来を考えたときどうしていたいのか? いや、そんな、たいそうな未来ではない。 たった3ヶ月先、仕事上で、どこをひとつ変えたいか? 今日、この会議のゴールは何か? 最低限、何を大事にしたものづくりをしたいか? そういう、ほんっとに、どんな小さくてもいい、 「ベクトル」がないのだ。 機会を見て私は、 「仕事をするとはどういうことか」 勉強との違いから話をしてみた。 すると、彼はこう言ったのだ。 「山田さん、そんなに 深刻に勉強と仕事を分けて悩む必要ないっすよ。 ま、僕は、勉強も仕事も大事! かな、なんてね(笑)。」 この、あまりにもつるつるしたひっかかりのなさに、 私は思った。 どんな小さくてもいい、ベクトルをもち、 自分を「外」に押し広げようと、 あがき、もがいている人としか、 自分はつながれない。 もがいても、もがいても、壁を突破できず、 ぺしゃんこになりながら、 それでも挑みつづける人間だけが、 「普遍」の域に一歩根をなした 多くの人の心をとらえる仕事に たどりつけるのではないだろうか。 でも、そんな、自分の考えを 揺るがすようなメールが、先週届いた。 長いけれど、私も、編集担当の木村さんも、 素晴らしいと打たれたメールなので、 ぜひ、読んでみてほしい。 <枠に挑む> 私は今、東京の出版社に勤務しています。 社員数は、社長も入れて総勢24名。 勤続16年目。 現在は営業部(5名)の統括責任者を担当しています。 この2月のことでした。 同じ部署の22歳のスタッフが、会社を辞めました。 ビジネス系の専門学校を卒業し、 入社して3年目の男性です。 年明け早々に相談を受け、話しを聞いてみると、 会社を辞めたい理由は2つ。 1) 取引先担当者の言っていることがわからない。 2) わからない話に対して、自分は適当な相槌しかうてない。 こんないい加減なことで済まされるとは思えない。 彼の場合、当初は営業部の商品管理担当として 採用されており、 急場の人事で、昨年の4月から 営業担当を突然任されたことも大きな理由に なっていたのかもしれません。 外部の人間を直に相手にする仕事に対して、 異動前から、不安を抱えていたことも、 聞いていました。 そもそも彼が、自分の苦境を初めて訴えてきたのは、 昨年の秋口のことでした。 彼曰く。 「仕事に力が入らない」 「不安で夜中に目がさめる」 「自分は新聞も本もほとんど読まないし、 テレビのニュースも見ない方だ。 常識的な知識が不足している。 外部の人間とちゃんと話しができているとは思えない。 会社に迷惑をかけているのではないか?」 確かに彼は、取引先の担当者の方々と、 器用に商談しながら、 仕事をさくさくとこなしていくタイプの 営業マンではありませんでした。 こういう言い方が適当かどうかわかりせんが、 風貌も、しゃべり方も、 コンビニの入り口でたむろしている、 高校生たちに混ざっていた方が しっくりくるような、「男の子」でした。 それでも彼は、異動が決まると、 営業初日に備えて髪を整え、 清潔なスーツとワイシャツとネクタイと、 ピカピカの革靴を用意し、 取引先に飛び出していきました。 不器用ながらも、彼なりに工夫をしながら、 よくやっていたと思います。 実際のところ、 彼は、他の営業担当と比べて 極端に成績が悪いわけではなく、 取引先の方とコミュニケーションが取れていない ということもなかったのです。 そんな彼の口から、堰を切ったように、 苦境を訴える言葉があふれてくる。 ただ、奇妙なことに、彼の発言には、 「それで、自分はどうしたいのか?」 という部分が完全に欠けている。 本人と向き合ってみると、 それほど憔悴した感じも深刻な感じも 伝わってこない。 仕事に力が入らないのは、なぜなのか? 苦しいから仕事を休みたいのか? 外部の人間との 交渉ごとのない部署にかえて欲しいのか? それとも会社を辞めたいのか? 新聞や本やテレビのニュースにも、 今後はまめに触れるようにして、 販促トークや世間話に使えるような 常識的な知識を身に付けていくつもりなのか? なにを訊いても、こちらからの質問にまっすぐ 答えがかえってきません。 私の目の前で、彼はとても熱心に話をしている。 けれども、彼の口から出てきた言葉の重みを 私のほうではどうにも量り切れない。 聞きようによっては、ストレス発散の目的で、 友達相手に愚痴と言い訳を繰り返しているだけの ようにも思える。 自分のことなのに、どこかで苦しんでいる 誰か他の人のことを話しているような、 抱えている問題と自分の非力の間で板ばさみになり、 押しつぶされそうになっているというよりも、 問題と向かい合うことそのものを、 頑なに避けているような、 そんな印象をうけました。 正直に申し上げます。 その時の彼の態度に、私はひどく戸惑い、 腹が立ちました。 彼は、この場に身を置き切っていない。 片足を状況の外に出しておいて、 いつでも逃げられるように退路を確保している。 そう感じました。 取引先で相手の言っていることがわからない。 それが問題なら、誰でもいいから社内の人間を 掴まえて、言葉の意味を確認して欲しい。 仮に、今の時点で実力がないとしても、 それは最大の問題ではない。 最初から、きちんと仕事ができる人間なんていない。 自分自身の枠と勝負をして、枠を押し広げようとする 気構えさえ失わずに仕事を続けられれば、 力は自ずとついてくる。 肝心なのは、この構えを維持できるかどうか。 少なくとも私は、要領が良いだけの人間よりも、 自分の枠と戦い続ける人間と仕事をしていきたい。 今は、あなたの中の限界点のようなものを疑いながら、 頭の中を整理して、もう一度問題を明確にして欲しい。 私たちのような規模の会社にとって、 一人の人間のマンパワーが、 全社的に占める割合は大きい。 各々のスタッフが、仕事の中でどんどん壁にぶつかって、 それを突破する粘り強さを持たなければ、 遅かれ早かれ会社そのものが消えてしまう。 今は苦しくても、地力をつけるいい機会だから、 ぜひ頑張ってみて欲しい。 怒鳴りつけこそしませんでしたが、 感情的になっていたのかもしれません。 私もこんな趣旨のアドバイスしかできない状態でした。 * * * 年が明けて、彼から辞めたいという話しを聞いたとき、 私はあらためて彼にたずねました。 「取引先の方の言っていることで、 わからないことはないか、 こちらから確認したこともあったよね? 大丈夫って言ってたじゃないか。 **君の方から、質問を受けたこともないし。 言っていることがわからないって、どういうこと?」 「言葉の意味がわからないんです」と彼。 「どんな言葉がわからなかったのか?」という問いに 対しては、「よくおぼえていない」との返事。 私は三つのことを、彼に伝えました。 1)仕事の場面でわからない言葉があったなら、 自分の頭でわかるまで確認すること。 2)自分にとっての問題の所在をはっきりさせ、 その上で自分がどうしたいのか、 何を必要としているのか、はっきり伝えて欲しい。 3)このままの状態で、会社を辞めたいと言われても、 自分には判断できない。 少し時間を使って (1) の点を徹底し (2) の点を明らかにして欲しい。 昨年の秋にした話の、ほとんど繰り返しです。 * * * 翌日からニ週間。 わからない言葉があったら、 必ずメモしてくるよう指示した上で、 他のスタッフと一緒に取引先に訪問をしてもらい、 その後で同行者の意見を聞いたり、 一人で訪問してもらい本人の話しを聞いたりと、 いろいろとやってみました。 結局「わからない言葉」がメモされることもなく、 同行者のコメントを聞いても新しい発見はなく、 本人の話しは同じところをぐるぐると回るばかりで、 最後まで、問題は不明確なままでした。 私は、最終的にこう言いました。 「どうしても辞めたいのならしかたがない。 しかし、俺には、おまえが辞める理由がわからない。 その理由は、実はおまえ自身にもわかっていない。 どうか、そのことを憶えておいて欲しい」 彼は、会社を辞め 「勉強しなおしてから」次の仕事を探したい、 と言い残して去っていきました。 * * * 山田さんの文章を読み、 彼があの時のままで、いくら「勉強」をしても、 仕事の上では、 決して「わからない言葉」はなくならないのだろうと思い、 暗澹たる気持ちになりました。 たぶん彼は、取引先の方の言葉の意味が わからなかったのではなく、 仕事の現場で、 よそよそしい他人が発した言葉に、 ある役割を期待された当事者として 自分をつないでいくことが、 できなかったのではないかと思います。 あるいは、とても悲しいことですが、 彼にとっては、 「ちょっと面倒くさかった」だけなのかもしれない。 彼の中では、 よそよそしい他人との仕事の上でのやりとりが、 面倒くさい、で済んでしまうほどの、 重要性しか持っていなかったのかもしれない。 もしも、そうだったとするなら、 彼が仕事の場面に身を置ききっていないという私の印象は、 それほど見当違いなものだったとは言えないと思います。 けれども、彼の状態をそんなふうに分析しただけで、 ことが済むとも思えない。 彼から相談を受けたとき、 私は「自分の枠」の問題に、言及していた。 間違いなく、ポイントはそこにあった。 でも私の言い方には、なにかが足りなかった。 少なくとも、彼の根っ子のところに、 私の言葉は届かなかった。 もしかすると、彼と対面しながら、 状況から片足を外に出していたのは、 私の方ではなかったか? 面倒くさがっていたのは、私の方ではなかったか? * * * ●どのようにして経験値をあげていくか? ●どうしたら、仕事をとりまく他人、 まずは、1人の他人の気持ちがわかるのか? ●どうしたら、自分の考えを 1人の他人に正確に伝えられるのか? ●どうしたら、好き嫌いをこえ、 自分は他者と通じ合うことができるのだろうか? 山田さんが提出された、これらの問いは、 「勉強」ではなく、 《仕事における学び》とでも呼ぶべきものを 深めるために、 欠くことのできない、大切なものだと、私は思います。 この問いの立て方は、 《仕事における学びを深めたい》という意志を 大前提にしています。 では、この意志を持たない者と、 山田さんが提出されたような問いを共有していく ためには、どうすればいいか? 「面倒くさがらせないことを面倒くさがらない」ためには、 いったいどうすればいいのか? 営業統括担当者として、約半年前を振り返り 今の私に言えることは、 私自身が、 スタッフにとって、 ただのよそよそしい他人になるだけでなく、 《無視することのできないよそよそしい他人》に ならなくてはいけないのではないか、 ということです。 たぶん「このままではいけない」と、どこかで感じながら、 自分の中のもやもやに、形を与えることができずに、 辞めてしまった彼は、それでも一年近く頑張った。 私は、彼の頑張りに対して、 無視することのできないよそよそしい他人として、 報いることができたのか? 「何を面倒くさがっているんだ! ぼんやりしてると、早晩行き倒れるぞ!」 というメッセージを、 私は彼に対して有効な形で発信していただろうか? はなはだ、自信がありません。 ある意味で、今でも彼は私の胸倉を掴んでいます。 この感触を忘れずに、仕事を続けていくことが、 彼に対するせめてもの礼儀だと思っています。 いつかどこかで、逃げようのない、よそよそしい他人が、 彼の前にも現れることを、心から祈ります。 (読者 セイスケさん・37歳) >では、この意志を持たない者と、 >山田さんが提出されたような問いを共有していく >ためには、どうすればいいか? この文章を読んで、 胸痛く、気づきのように受け取ったメッセージがある。 それは、 「枠に挑んでいるか? 私」 だった。 「枠を広げようともがく人間にしか、 私の言葉は通じない」という自分こそ、 その先にいる人間とのつながりを断ってしまっている。 そんないまの自分の言葉が彼らに届こうはずもない。 私にとって、「外がない」としか思えない人に、 私にとって、「ベクトルがない」としか見えない人に、 プロ意識を逆なでし、私をイラつかせる人に、 出逢ってしまったその「1人」に対して、 私自身が、どれだけ自分の枠をひろげ、変われるか、 ぎりぎりの挑戦をしていくべきだ、と思った。 大事なのは、その1人にどうわからせるか、でなく、 その1人を変えられるかどうか、でもない。 私自身が枠に挑んでいるか? 自分がやって、その背中を見せることでしか、 まずは、その1人と通じ合うスタートラインにも 立てないんじゃないだろうか? セイスケさんの辞めた部下が、 どうしても、期待された役割として 自分をつないでいくことができなかった、 「よそよそしい他人」とは、 自分にとってだれだろうか? 私が、その使命の中に身を置ききって、 つなぎきらなければならない、 無視できない他人とは、だれだろうか? 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』 筑摩書房1400円 『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田ズーニー著 PHP新書660円 内容紹介(PHP新書リードより) お願い、お詫び、議事録、志望理由など、 私たちは日々、文章を書いている。 どんな小さなメモにも、 読み手がいて、目指す結果がある。 どうしたら誤解されずに想いを伝え、 読み手の気持ちを動かすことができるのだろう? 自分の頭で考え、他者と関わることの 痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。 (書き下ろし236ページ) |
山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
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2004-07-21-WED
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