YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson212  内に向く関心
       ――勉強?それとも仕事?(9)


この春、やたらと「勉強」がしたかった。

大学で、90分×3コマ×14週の約束で
講義をやることになった直後のころだ。

ふたをあけてみると、
いまの若い人は、
インプットに対して非常に目が肥えている。

小手先でない、本当に面白い素材文、
若い人を本気にする題材を求め、
毎週、駆け回っていた。

自分に読書量が足りないこと、
自分に知識が足りないことばかり、
やたら気になった。

その気持ちは、強烈に、
「勉強したい」欲を生んだ。

大学とか、大学院とか行って、
自分に思い切り、教養をチャージして出直したい!
思い切り、本を読みたい!

こういう気持ちになったとき、
人は、いったん仕事を辞めて、
復学とか留学とかするんだろう、と、
つくづくわかった。

でも、勉強に専念するとしたら、その間、
おとろえる「仕事感覚」は、どうすればいいのだろう?

再び、仕事に戻ったとき、
「現場感覚」は、すぐ、取り戻せるものなのだろうか?
他の人は、このあたり、どう考えているのだろう?

働きながら勉強、は理想だ。
だが当時、完徹、週2のペースでやっていた私には、
リアルに響かなかった。

講義の設計と、ワークシートづくりにあけくれる、
私の仕事場のドアを、家族がひらき、入ろうとすると、
どどどど〜っ、と本が崩れ落ちた。

次から次へと買い込んだ本が、
いつのまにか、うず高く、積み上げられていく。
反比例して、読む時間は、なくなる。
アウトプットだけの日々。

勉強したいよー!

学生が、講義を面白いとおもったかどうかは、
終わったあと、学生がまわりに集まってくるからわかる。

前の週の講義が面白いと、
「次は、ズーニー先生が
 どんな面白いことをしてくれるか」と
目を輝かせて待っている。

そういうときに限って、
意図した域まで結果が出せない。

そういうときは、自分が許せず、
2時間半の帰り道、いつまでもくよくよと落ち込んだ。

教育系の編集をずっとやってきた私は、
その方面には、それこそ目が肥え、
自分へのダメ出しが、容赦ない。
ときどき、自分に出した、ダメ出しのキツさに、
自分でつぶれそうになった。

読書量が足りない。
知識が足りない。
と、自分にダメを出しては、へこみ、
へこんでは、どっかへいって勉強がしたい!
とばかり考えていた。

そんな私の問題関心が、大きく変わった瞬間があった。

帰りのスクールバスの中、
その日、私は、
意図した域まで到達できなかった今日の講義の
部分、部分について、
自分にキツーいダメ出しをしていた。

そこに、文章クラスの学生が乗ってきた。

私は、へこんでいたので、気もソゾロに、
「ねえ、大学の講義の中で、何が面白い?」
と学生に尋ねた。

たずねた瞬間、自分の中から、ぐぁーん!と、
いやーな感じがこみ上げてきた。

なんだろうこの感じは?

で、考えて、わかった。

「ちがう! いま、私は、本当に、この学生の
 興味を聞きたかったんじゃない。
 不安なんだ。
 だから、自分の講義が、学生にどううつっているか、
 他とくらべてどうか、をうかがってたんだ!」

だったら堂々と、学生に、
私の講義の感想を聞けばいい。
なのに、こんな遠まわしなきき方を! 

なんで?

私は、自信がゆらぎ、
腰がひけていた自分に気づいた。
不安になったっていい、落ち込んだっていい、
でも、それを学生に向けるな!
二度と、こんなぶざまな姿を学生には見せないと誓った。
そして、そのとき、

「自分の関心が内向きになってしまっていること」に、

はっきり気づいた。
講義の不備や、自分の欠点にとらわれるあまり、
目の前にいる学生の気持ちを見ていない。

私の意識は、自分へ自分へと向かっていた。

できもしない「完璧な自分」を想い描き、
思った成果が出ないと、「自分の非」をあげつらい、
「自分が、自分が」と落ち込んでいる。

自分の器が小さいなどと、
謙虚なように見せかけていて、
実は、とんだ、ナルちゃんになりかけていた。

それよりも、目をむけるのは、学生だろう。
関心を、もっと、外へ、外へ。

ひらけ!

私は、落ち込むなら帰って落ち込め!
と自分の気持ちを切り換え、
学生のことばに耳を傾けた。

中国からきているその学生は、
日本についたときの春の寒さに、
暖房具がなく、ふるえて過ごした話をした。
ともだちがいない毎日が、どんなに悲しいものか、
後日、文章に書いていた。

自分の弱点に内向していたら、
このときの学生の気持ちを見過ごすところだった。

その日から、私は、はっきりと、関心を外に向けた。
意識して向けないと、つい内向するので、
顔をしっかりあげ、目をかっとひらいて、
学生の顔をひとりひとり見た。

講義の感想がききたいところは、
はっきりと問いを設定して、感想を書いてもらった。
足りないところはじかに聞いた。

学生は、本音をずばずば言ってくれる。
面白かったときは、笑顔でかけよってきてくれるし、
面白くないと、椅子をけってくれる。
だから、とても、助かった。

帰り、2時間半の道も、
以前は、
「自分の器がどうたら、教養がどうたら」
ぐじぐじ、内向きだった関心が、
学生の気持ちを考えるようになった。

「Aくんは、今日、自分の想いを語る面白さをつかんだな」
「Bくんは、未来の夢の中に、他者が立ち上がっている」
「Cくんは、今日の添削の意図を理解しただろうか?」

うずたかく積んだ本はわきにやり、それよりも、
140人の学生の答案や、ワークシートを読み込んだ。
私のやるべきことは、その中にあった。

不思議だが、「自分が、自分が」と
自分へのダメ出しも含めて内向するよりも、
顔をあげて、学生を見るほうが、「エイ!」
と何倍も勇気がいった。

そして、
「学生の理解度はどうか、学生は伸びているか」と
関心を外に向ければ向けるほど、
逆に、自分のことがよく見えた。

自分がやってきた、ものを考え、書き、
コミュニケーションするメソッドは、
体系的で、本当に頼りになるものだった。
予想外の事態がおきても、その基礎が、
しっかり機能している。
自信が内から戻ってきた。

また、自分が編集者であることを、
つくづくありがたいと思った。
いろんなものがさっと、編集できる。
講義構成の編集、
ワークシート、サブテキストの編集。
学生のグループ分けをする際、人々の関係の編集。

学者ではない、編集者だからこそ、できることがある。

考えたら、いま持てる自分のベストを尽くせば、
目の前の学生1人の、表現力を生かし、伸ばすのに、
できること、やるべきことは、たくさんあった。

なのに、はじめのころ、なぜ、わたしは、
「読書や知識の不足」といった、
自分の欠点ばかりにとらわれていたのだろう?

なぜ?

ふと、仕事部屋のドアの前に、
うずたかく積まれた本のことを思った。

あれが、要塞に思えた。

本を高く積みあげて、
自分の身を守りたかったのか?

だとしたら、何から自分を守りたかったんだろう?
何に侵入されたくなかったのだろう?

結果的に、私は、自分で要塞をやぶり、
多くの侵入を許すことで、多くを失ったと思う。

そして、失ったからこそ、
学生から、かけがえのない、多くのものを得た。

半期、42回の講義が終わり、
学生が、心からの送別会と、
ひまわりの花束と、
新幹線のホームでバンザイをして見送ってくれた。

いま、ふりかえって。

内向しがちだった自分の関心を、あのとき、
ぐっと、外にふり向けたことが、
今回、最後まで、私を助けた。

あそこから、やるべきことがわかり、
自分の過去と現在がつながり、自信も戻ってきた。

自分も含め、関心が、内に内に向いてしまう人が
どうしてか、いま、とても多くなっていると思う。

学生に「他者」に向けた文章を書いてもらおうとすると、
「だれに対して、どのような結果を目指して書くのか」
の欄に、必ず、「自分に対して」と書く人がいる。

それも、かなりの割合でいる。

「自分に」「自分に」「自分に」
とつづく答案を見ていると、
いいようのない息苦しい感じになる。

自分に手紙を書きたいという若い人の心理は、
自己中でもない、ナルシストでもない、当然だと思う。

日ごろ、自分と自分の貸し借り関係が精算できない、
自分のツケを自分に払えてない、というべきか。
そもそも自分との対話が少ない。

自分と対話する、
これがまさに「考える」という行為だからだ。

自分との話し合いがついてないと、
目が外に向かない。

関心は、自分へ、自分へと、内向する。

皮肉なことに、他者に目を向けなければ、
自分は見えてこない、自分が見えないから知りたくて、
よけい関心は自分へ、内へ内へと向いてしまう。
悪循環。

いまの人に、「自己肯定感」が育たない、というが、
それも、そのはずだと思う。
外に目が行かないとなると、
様々な不安や憤りも行き場を失い、
結局は、「自分」以外に責めるものは、なくなるからだ。

このシリーズのはじめに、
自分の成長のためにだけ働き、
他者への貢献に目が行かない人のこと書いた。

同じような人が多くいることに驚かされたが、
そのことも、この、
「関心が内向き」であることに
深く関係していると思う。

外に目が向かないなら、自分が手をかけ、努力し、
育む対象も、また、「自分」以外にないからだ。

自分を見るにも、外を見るにも「問い」がいる。

問いを立て、考えることが、
必ず、問題を突破する力になると私は信じる。

さて、勉強と仕事シリーズにたくさんのメールを
ありがとうございました。

いったんこのシリーズを終え、
いただいた、みなさんの経験からくる課題は、
この先のコラムに生かしてしていきたいと思います!

おそくなった返信も、
これから徐々にさしあげたいと思います。

           感謝をこめて 山田ズーニー




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
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2004-08-25-WED

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