YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson227 テーマとゴール、時間、人数。

先日、ある会議に呼んでいただいたとき、
大変失礼なもの言いで、申しわけないのだが、
はじまってすぐ、

「この会議は、うまくいかないのでは」

気づいてしまい、こまってしまった。
なぜかと言うと、その会議は、

テーマとゴール、時間、人数のバランスが
ひどく悪かったのだ。

まず、壮大すぎるテーマ、
それにしては短い、2時間という設定、
20人を越す人数、
不透明なゴール。

単純に計算しても、120分÷20数人
1人5分。
初対面の人同士がほとんど、
説明にも、場の共有にも時間がかかる。
すでに厳しい設定だ。

しかも自己紹介からはじめるという。
ひととおり説明と自己紹介が済んで、
「テーマについて自由に議論を」
と言われた段階で、
残り時間は、もう、30分なかった。

30分÷20数人、
全員が切れ目なく発言したとしても、
1人1分半、文字数にして約600字で最大。

全員に発言させようとすれば、
ひろく浅い話になってしまうし、

ひとつの発言についてちょっとでも深めようとすれば、
発言できない人が出てしまうのは必至だ。

この設定では、
たとえどんなス―パーな人々が集まったとしても、
何らかの達成感のある会にするのは
難しいのではないだろうか?

やはり、成果や達成感がもてないまま、
もやもやした感じで、その場は済んでしまった。

後半になると、
大学教授だけがしゃべっていたのも気になった。

はじめは、
民間の人の経験にもとづく発言もあったのだが、
大学の先生の体系的な知識から、「それはこうだよ」
と言われて、しだいに、腰が引けて口をつぐんでいった。

テーマやゴールがはっきりしない場では、
知識の多いもの、声の大きいものに発言が集中し、
いわゆる「強いものが勝つ」ような構造になってしまう。
メンバーの背景の違いが生かされない。もったいない。

私は、どこをどうすれば、
この会議、よくなるのか、と考えずにはおられなかった。

まず、会のはじめに「本日のゴールを明確にする」こと。

本日2時間なら2時間の会議の出口で、
だれがどうなったらいいのか? 

どんな知的生産をするのか?

たとえば、何かの結論を出すのか?
何かの仮説をつくるのか?
問題点を洗い出すのか?
アイデアを出すのか? 共有だけでいいのか?

そして、それは、どのレベルまでいったらいいのか?

アウトプット物をあげるのなら、
その具体的な見本をつくって配ると、一目瞭然だ。

極端な話、単なる顔あわせで、
意味の薄い会だったとしても、あらかじめ、
「本日は、単なる顔合わせです。ゴールとして、
我々メンバーの相互理解とモチベーションが高まれば、
本日は、それでよいと考えます。」
と、あらかじめ言ってもらったほうが、まだましだ。

次に、「時間と人数」。

人数が多いのなら、
もう少し長めの時間設定が必要だ。
これは人数あたりの発言時間を出してみると目安になる。

2時間という設定が動かせないのなら、人数を絞る。
または、20数人の人数が絞れないのなら、
案を出す人、それを検討する人、
など役割を明確にするか、
グループに分けてもいい。

そして、「テーマから絞り込んだ問い」を用意すること。

人数の多さ、少なさ、
時間の長さ、短さ、に関係なく、
時間と人数にふさわしい「良い問い」があれば、
アウトプットはできるし、達成感は持てる。

時間が長ければ、それなりの「大きな問い」を用意し、
時間が少なければ、「小さな問い」に落とし込む。

たとえば、「若者の就職問題について」
がテーマだと仮定して、
このまま話し合っても、
テーマがバクゼンとしすぎていて
話が散ってしまう。

「若者の3年以内の離職率が高いのはなぜか?」
とすれば、問いは、より絞られる。たとえばそのように、

時間が短いので、問いを小さくしようと思ったら、

マクロ ⇒ よりミクロな問いへ
抽象  ⇒ より具体的な問いへ
難しい ⇒ より易しい問いへ

という基準で、絞り込んでいくといい。

そんなふうに、あの会議は、
どうすればもっとよくなったのか、
「時間が…」「人数が…」「問いが…」と、
パズルのように考えていたのだが、
どうもしっくりしない。
たとえば、「時間を長めに」とか
「問いを明確に」とか部分的な提案をしても、
刷新されそうにない。

どうも問題は、
「テーマとゴール、時間、人数」を決める、
その「バランス感覚そのもの」にあるような気がした。

いったいどうして、
あのようなアンバランスな設定が出てくるのか?

問題は、そこにありそうだ。

私自身は、企業で編集をしている際は、
自分で会議をひらくことが多く、
いまは、逆に、呼んでいただくことが多い。
実にさまざまな団体・企業・担当者の考え方の違いを、
目の当たりにしている。

そこで、
「テーマとゴール、時間、人数」のアンバランスを
ときどき感じることがある。

「1時間だけ」という約束で取材を頼まれることがある。
行ってみると、たくさんスタッフの方がいて、
次々と名刺を渡し、趣旨の説明からはいって
初対面が顔をあわせて、なじむまでの時間があり、
本題にはいったかと思うと、もう撮影になり、
時間どうりにきっちり終わってくださっても、
話したりない、聞き足りない、という不消化感が残る。

こうした実感は、やっぱり仕事のしあがりに響き、
あとで、しあがりを
手直しして却って時間がかかることがある。

働く人は皆忙しいので、
どうしても、
「時間の切り売り」のような発想になりやすい。
「時間を短くした方が相手に負担をかけないだろう。」
「時間を短くした方が頼みやすいだろう。」そういう、
遠慮や配慮から、つい時間の設定がきつめになるのだろう。

しかし、実際に頼まれる側にまわり、
アウトプットの質のみで判断されるようになると、
「時間より達成感」だ。

その日のゴールに到達できず、不消化で終わるものは、
たとえ1時間でも惜しい。
結局時間のツケがあとで割増になってはねかえってくる。
達成感、発見のある、または、
面白い会やミーティングは、長時間でも、苦にならない。

私が、プロだな、と思う人たちは、やっぱりこの
「テーマとゴール、時間、人数」の采配がすばらしい。

難しいテーマには、無理をせず、4時間、5時間という
それなりの時間と、要員をもって、臨んでこられるし。
忙しくて1時間しかとれないミーティングでは、
それなりに絞り込んだテーマで、
必ず達成感を持たせてくださる。
「おわび(信頼回復)」
「信頼構築」
「依頼を承諾させる」
といった高いゴールには、
時間を充分とり、万全の策で臨んでおられる。

その伸縮が自由自在で、バランスそのものが美しい。

そのようなプロに共通するのが、
「ゴール」が非常に鮮明に描けていることと、
それに対して、腹がくくれていることだ。

「テーマとゴール、時間、人数」
それを自分でしきるときには、
まず「本日のゴール」から決め、あとの要素を
必要十分にしていくといいのではないだろうか。


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2004-12-08-WED
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