おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson242 自分の声が出せない あすは、初めてテレビに出る日だ。 不安でしょうがない。 というのも、明日の放送分は、 とくに、私のしゃべりがひどいからだ。 たのしみにしてくださった読者の方、 先にあやまっておきます。 ごめんなさい。 でも、4週に渡って放送されるのだけど。 後半、まきかえしたから、 最後の週まで見ていただけたら、うれしいです。 第1週は、 どうにも「自分」になることができず、 「自分」として声を発することができないまま 終わってしまう。 第2週、 「まき」と「おし」というテレビ用語を 私が、完全にとりちがえてしまったために。 放送に2分アキができてしまう。 それで、このアクシデントの2分だけ、 台本なしで、しゃべることになった。 この2分で、初めて「自分」として声が出た。 この2分を見ていた、 山根アナウンサーが、すかさず、 ズーニーさんには、段取りをガチッと決めないで もっと自由にしゃべらせてあげて、 と提案してくださる。 1、 2週の収録を終えて、落ち込む。 昨年からずっと、 この番組にかけてきた。 書店置きのテキストもたおれるまで書いた。 なのに、自分は、何をしてるんだろう? 期待が大きかっただけに、 チャンスをつかみきれなかったことに、 あとからあとから、後悔が押し寄せる。 一人の部屋で、思い返してはのたうちまわる。 人から見ればささいなことかもしれないが、 この5年間、塗ったことのない化粧をして 画面に出ていることにも、なぜか、へこんでいる。 シミだらけで駆け回ってきた、 それが自分ではないか? 細部を思い返しては、 「あそこだって、あそこだって、 いつもの講義では、 もっとわかりやすく伝えられたのに」 と悔やまれてしかたがない。 自分が本来の姿ではないカタチで メディアに出て行くことにたいして、 飲み込めず、 どうにも自分の中で、折り合いがつかず、苦しむ。 ふと、テレビに、ミュージシャンが出ていた。 以前、ロックのミュージシャンが、 テレビに出るとチャラチャラしてみられる。 と言っていたことを思い出した。 ライブで、 骨のあるロックをやっているグループでも、 テレビでタモリさんと しゃべっている姿だけを見る人には、 チャラチャラしてみられる。 想う自分と、見られる自分。 たくさんの人がこのギャップに傷を負って生きている。 そう思ったら、少し元気が出てくる。 落ち込んではいられない。 泣いても笑っても、収録はあと2回、 できることは全部しよう! その番組の出演者としては異例だが、 作る現場に極力立ち合わせてもらう。 「スキット」と言われる寸劇の部分に、 プロの役者さんたちがきて、 一日がかりで撮影する。 朝から、プロの役者さんたちが集まってくる。 私が控え室のとなりにいると知らないので、 役者さんたちが、 とても想いを入れて、 役づくりをしている声がもれきこえてくる。 その登場人物は、もともと、この世にはいなかった。 私の中にだけ、あったものだ。 それが、書くことを通して、活字になり、 いまこうして、役者さんたちを通して 命を与えられ、動き出す。 それがなんとも不思議で 励まされる瞬間だった。 「本番」の声がかかると、 あれだけ、練習でうまかったプロの役者さんも、 緊張してまちがうことを、何度も目の当たりにする。 それを見ながら、 生でこそないが、本番一発取りの番組に、 初めてで臨んで、 思うようにしゃべれなかった自分を ようやく、許そうという気になってくる。 最後の収録前、読者のリエさんからメールが届く。 リエさんは、ジャズのライブに向けて、 スパートをかけていた。 彼女はボーカル、バンドの「真ん中」だ。 リエさんは、こう言う。 >>私はそこで、バンドのみんなの思いを汲み、 バランスを取り、上手にまとまりをもたせる円滑油 のような役割を演じた。 それはそれでうまくいったのだが、 仲良しバンドはできても、 やりたいことを実現させる船としての バンドの力は無いに等しい。 バンドの色をつけるボーカルが無色では、 方向性がないまま沈没船である。 このバンド活動を通してやりたいことというのは、 バンド仲間と仲良くやることではなく、 歌を通して表現することであった。 人からどう見られているかという 視線を抹消しなければ、 自分の表現などは 出てくるはずがないし、伝わらないだろう。 彼らの気に入ることが目標ではない。 彼らは私の思いを実現するための道具である。 (リエさんからのメール) 誤解を承知で、 バンドのメンバーを道具と言い切った リエさんの表現者としての勇気に、 私は、自分の腰が引けていたことに気づいた。 スタッフの人は、 私の教育的メッセージを生かすために がんばっている。 リエさんはさらにこうも言った。 >ステージに立つ前は これから自殺するくらいに思ってました。 人前に立ち、何かを出すことは、 その自分が死ぬことなんだと思います。 それまで自分のものでしかなかった思いを、 人前に出して問うことは、その思いの死です。 自分と別の場所に投げ出されて、誰がどう思おうが 関与できないということはある意味、死だと思います。 自分のものだったことが、 出した瞬間に自分から離れて、 誰かのものになる。 出したら最後、どんな風に扱われても、 自分はもう委ねるしかない。 こうやって書くと、 表現ってすごく怖いものみたいに思えますが。 でも、ためていくと死なないから、 腐っていくだけかもしれません。 それは大変体に悪いですよね。(リエさんからのメール) 私が、1回目の放送で、 なぜ、思うようにしゃべれなかったかと言えば、 テレビが初めてだったからだろう。 そのことに、いまさらのように気がついた。 生まれて初めての環境には、 そこ、独特の文脈や、作法(=プロトコル)があり、 その中に入って、新人は苦しむ。 新人にできることは、そこで後にまわらず、 打って出て、失敗して、 その痛さでプロトコルを 体でつかみとっていくことだけだ。 3回目の収録、今度は化粧をしてくださる方に、 できるだけ自然にと言えた。 鏡を見たら今度は自分の顔だった。 今度は、話に専念しよう! 今度は伝えるんだ! と思えた。 本番。「自分」の声が出てきた。 なぜ、自分の声が出てきたかと言えば、 一度テレビに出たからだ、そこで失敗したからだろう。 「後にまわるな、打って出て、つかまえろ!」 私は、新人の自分にそう言い聞かせていた。 NHK教育『日本語なるほど塾』 放送予定 (想いが通じるコミュニケーションレッスン) 7日(木)夜10時25分から 14日(木)夜10時25分 21日(木)夜10時25分 28日(木)夜10時25分 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』 筑摩書房1400円 『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田ズーニー著 PHP新書660円 内容紹介(PHP新書リードより) お願い、お詫び、議事録、志望理由など、 私たちは日々、文章を書いている。 どんな小さなメモにも、 読み手がいて、目指す結果がある。 どうしたら誤解されずに想いを伝え、 読み手の気持ちを動かすことができるのだろう? 自分の頭で考え、他者と関わることの 痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。 (書き下ろし236ページ) |
山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。
2005-04-06-WED
戻る |