YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson245 哀しいうそ

人の「うそ」に、とても敏感に
なってしまったような気がする。

どうしてか、「この人は、うそを言っているな」
というのが、すぐ、わかってしまうときがある。

いま、仕事の依頼を受けて、
じつにさまざまな人とお会いするが、

「うそ」を言っている人は、会った瞬間にわかる。

すると、たった1時間、
向かい合って、話をするのが、
苦痛で、苦痛で、苦痛で、しかたがない。

ほんとうは、そういう人は、
依頼文を見たときに、わかる。

でも、そうは思いたくない。

会って、話もしないで、
人を見切るようなことは、私はもっと、嫌いだ。

だから、「予想よ、はずれてくれ」と願い、
必ず、会って、ちゃんと話をする。
これからも、きっとそうする。
でも、その予想がはずれたことはない。

「人のうそがわかる」という、もの言いは、
自分でも、傲慢できらいだ。

でも、考えたら、表現の教育は、
文章のうそを見破り、
その人のほんとうの想いと、
言葉を一致させていくような作業だ。

積極的に、事実と違うことを書こうとする人は、
ほとんどいない。
でも、ほんとうのことを書かない人は多い。

ごまかしたり、受け売りですましたり、
とにかく、実感のない、自分の命のはいってない、
言葉で、字数を埋めようとする。

表現は、うそか、ほんとうか、しかない。

ほんとうの言葉だけが、
伝えるスタートラインにたてる。

うそで、うまく切り抜けたとおもっても、
ふりかえれば、空洞、
すべてが虚しく、
結局、ふりだしにもどらされ、
正直な言葉をいわなければ、一歩も進めなくなる。

そんな、表現の教育をつきつめてきた自分が、
うそに敏感になるのは、しかたがないのかもしれない。

独立してからの5年間。
「うそをつかない」というのが、
わたしの唯一のルールだった。

会社を辞めたときに、
いままで、会社の中では、
真実だと想っていたルールが、
よそで通用しない、というのをまのあたりにした。
すべてのルールは、相対的なものなのか。

じゃあ、自分は何をルールに行動したらいいんだ?

そのときに、「うそだけはつかない」と決めた。
一人で仕事をすることが多い日々のなかで、
自分にだけは、あいそをつかされないように。
自分は自分のことを信じて、好きでいられるように。
おかげで、5年たったいまも、仕事をつづけていられる。

ものづくりの現場には、正直な人が多い。
うその表現が、人の心をつかむことができないことを、
みな失敗と、苦い経験を通して知っている。

正直が正直を呼ぶ、
そんな人のネットワークの中で、
自分の正直の度合いも、鍛えられてきたような気がする。

だから、想いと言葉が一致しない、
ごまかしで時間をうめていく人とは、
1時間でも、話すのが、苦痛でしかたがない。

なぜ、ほんとうのことを言わないのだろうか?

3階のマンションの2階に暮らしていたときのことだ。

あさ、1階の奥さんが、2階の私のドアをたたいて、
ドア越しに、
「2階のベランダから水が落ちてきた」と言う。

私は、水など使っていなかった。
ベランダをみても異常はない。

寝起きだったので、ドアもあけず、
「水はつかっていません、うちではありません」
といって、その場は済んだ。

夕方。

気になって、3階の奥さんにきいてみたら、
水を落としたのは3階だった。

原因がわかったので、
1階の奥さんに知らせに行った。

1階のドアをたたき、
出てきた奥さんと目が会い、ろくに話もしないうちに、
「この人はウソをついている」と思った。

それから、
1階、3階の奥さんと私の、3人で話をはじめた。

話は、とても単純で、
ふつうなら、
「水をつかっていたのは、3階でした」
「あらそうでしたか、疑ってごめんなさい」「いえいえ」
「水を落としてごめんなさい」「いえいえ」
「これから気をつけます」
と、話は3分で済むはずだ。

ところが、その場は、ものすごく妙だった。

はなせばはなすほど、
モヤモヤ、モヤモヤ、モヤモヤしていく。
体の中に、煙がたまっていくような感じだ。

私が、ひと言いえば、1階の奥さんは、
ちゃんと説明する。
その説明は、実に、すらすら、つじつまがあっている。
1階の奥さんは、笑顔で話しているし、腰もひくい。

でも、なんだろう。
1階の奥さんが、話せば、話すほど、
どんどん、モヤモヤ、モヤモヤする。

これは、私が、へんな先入観を持っているからなのか?
そう思って、もう一人の3階の奥さんの顔をみると、
やっぱり、もやもやをつのらせている。

なんだろう、理屈はすべてあっているのに、
この釈然としない感じは???

私は、なんとか、
1階の奥さんにほんとうのことを言ってもらおうとした。
「私に他に、なにか言いたいことがあるのではないか」
いろいろ、引き出す質問をしたり、
自分のことを話して、相手に、話しやすくしたり。

でも、
1階の奥さんはにこやかに、同じ説明をするだけだった。

まさか、「あなたはうそを言っている」とはいえない。
根拠がないし、自信もない。
はずれれば、人間に対して、こんな失礼なことはない。
家族も、ここに居づらくなる。

しかし、どうにも釈然としない。
時間はたつ。私はとうとう、
「奥さん、口ではなんとでも言えます。
 でも、うそはわかる。
 ほんとうのことを言ったら、すっきりします。」
というような意味のことを、言ってしまった。

言いながら、自分は、なんてことを言ってしまったんだと
オロオロした。

「実は……、」

1階の奥さんが、口をひらいた。
それは、あまりに意外な言葉だった。

「実は、ついさっき、関西の親戚から電話があって、
 身内が亡くなったんです。
 これから、急いで、したくして、夫とこどもをつれて
 行かなければならないんです。」

一瞬で、すーーーーっと、霧が晴れた。
わたしだけでなく、3階の奥さんも、ご本人も、
3人の間の空気が、一気にすっきり澄んだ。

と、同時に、おくやみの気持ちに変わった。
私たち3人は、急いで、散った。
ろくに言葉もかわさないのに、なぜか気持ちが通じていた。

家に帰ってからも、
衝撃がおさまらず、ずっと、そのことを考えていた。

3人で、あの、つじつまのあった話をしているとき、
なぜ、心は、まったく、晴れなかったんだろう?

うそをついているとおもったんなら、
ご親戚の話だって、ウソの可能性があるはずだ。
なのに、どうして、ご親戚の話は、
一発で、ほんとうだとわかったんだろう?

ほんとうのことは、なぜ伝わるんだろう?

前後の話と、まったく脈絡のない事実だったのに、
ほんとうのことは、
なぜ、あんなにも、スッキリと人の心を晴らすんだろう?

それよりも、
なによりも、

なぜ、奥さんは、ほんとうのことを言わなかったんだろう?

私が呼びにいったときに、なぜ、
「ごめんなさい。
いま親戚がなくなって……」
と言わなかったんだろう?

それが生々しい、あるいは、
他人に心配をかけたくないのであれば、
「ごめんなさい。どうしても、
いそぎでやらなければいけないことがあって……」
と言わなかったんだろう?

そのとき、奥さんがついたうそは、
人をだますためのものではない。
言っても、自分にとって、まったく、なんの得にもならない。
あまりにも、ちいさな、ちいさな、うそであった。

そのちいささが、どうしても、哀しかった。

ほんとうのことを言えないのか? 
言わないのか?

この話をときたま友人にすると、
ウソというほどの、うそでない、
ちいさなウソをついてしまうことが、習慣になっている人が
けっこういることを知らされる。

たとえば、女の人が妊娠、出産などの都合で、
仕事先に、スケジュールの変更をお願いしなければ
ならないような時に、正直にそれを言わず、
「印刷会社さんの都合で……」と言うとか。

ほんとうのこと、というのは、
人から見て、なんていうことではなくても、
言おうとすると勇気がいる。

なんとなく、ここでほんとのことは言えない。
なんとなく、ここでは、ほんとのことを言わない方がいい。
なんとなく、こわい。
なんとなく、言わずにおこう。

それは、0、5歩くらいの、つみのない、ちいさな引きだ。
それでも、ふりつもっていくことで、
なにか、空気を淀ませていく。

私たちは、うそともいえない、
やさしい、つみのないうその霧の中で、
今日も少しだけ、活気を奪われていく。

あの、奥さんは、なぜ、うそをついたんだろう?

途中のお話で、私が表現の教育をやっているといったら、
「私も、想っていることが言いたくても言えないのだ。
 ここにきて、まわりに知っている人も少ないのだ」
といっていた。

私をお茶に呼んで、いろいろ話をしたいと思っていた
とも言っていた。
そのときの目は、うそではなかった。
どうしてか、私も、ともだちになりたかった。

あの、奥さんは、いま、
思っていることが、出せるようになっただろうか?

表現には、うそか、ほんとうか、しかない。

ここで、うそを言うか?
ほんとう、を言うか?

勇気がいる方を、私は選んでいきたいと思う。



NHK教育『日本語なるほど塾』 放送予定
(想いが通じるコミュニケーションレッスン)

7日(木)夜10時25分から
14日(木)夜10時25分
21日(木)夜10時25分
28日(木)夜10時25分


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-04-27-WED
YAMADA
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