YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson249 ブレイクスルーの思考法


つらいところに追いつめられることは、
だれにもあるものだ。

脱出困難のつらい状態を、
どう考えて、ブレイクスルーするか?

きょうは、それを考えてみたい。

***

表参道に拠点を移して6日が過ぎた。

正直、これだけ場に投資して、
だれもきてくれなかったら、どうなるか、
がらんとした部屋で、ひとり、不安だった。

それでも、「出会いと交流」を大事に、
自分で考えて、決めて、動いて、
自分の責任の取れる範囲でやったことなのだから、
「失敗したっていい」、
「理想を形にすること」が大事なんだ、
と自分に言い聞かせていた。

心配をよそに、初日から、

編集者さんや、アーティスト、
クリエイター、学校関係の方々、
仕事の打ち合わせや、取材の方々が、
続々ときてくださった。

「人の流れ」がある場だと改めて実感する。

ここは天井が高く、
ガラスになっているので、「光」と、
窓が多いので、「風」が通る。「緑」もある。
なにより、非常に「静か」なので、
いきなり、深い話にもなるようだ。

表現の話や、仕事の話、仕事以外の話、
短期間に、たくさんの人と、心ゆくまで話をしたあとは、
自分の顔つきまで違っているように見える。

ゲストのひとりが、
「ズーニーさん、教育を志しているんですね。
 それなら、生徒一人ひとりに
 違う表紙の教科書をつくっている
 面白いプロジェクトがありますよ、行きますか?」
と、教育系のイベントにつれていってくれたり。

そこでまた、新しい人に出会ったり、
自分が教育でやりたかったことは何だったかを
問い直したり。

そういえば、私は、こうして自分のオフィスで、
半分仕事のような、半分遊びのような話をしながら、
出会いによってひきだされ、そこから、
次の展開があったり、
新しいものが生まれたりすることを、
ずっと理想に描いてきた、とおもった。

それをいま体現しているとおもったら感慨がある。

理想を描いて、そのために努力していくのもいいし、
とりあえず、できる範囲で
「先に理想を形にしてしまって」から、
「そこから」考えはじめるのもいい手ではないかと気づく。

今回のことは、即断、即動だった。

少しまえに、このコラムで、
仕事ではなくプライベートの方で、
ちょっとつらいことが重なって……
というようなことを書いたが。
いま考えれば、そのつらいことがあって、
本当によかった。
それが、いい感じで、
次の動きを後押ししてくれたと思う。

そういえば、今回は、つらい状態から、
とても早く脱却していたな、と気づく。

なぜ、なんだろうか?

もともと、私は、なんでも「じっくり」タイプだ。
私は、つらい状態においこまれても、
わりと「耐える」というか、「待つ」というか、
どうも、ポジティブシンキングで早めの問題解決、
というようなガラじゃないのだ。

でも今回は、気づいたらとても、はやく。
しかも、迷走したり、いびつになったりもしないで、
きわめていい感じで抜け出せていた。
そこに、

「捨てて、ひらく」

というような思考法があったように思う。
後づけだけど。

いま、脱出困難のつらい状態に
追い込まれているとしたら、
それは、「自分の世界観」の限界として起きている。

つまり、自分がいままで
築いてきた知識や経験、人間関係を含めた、
自分のもてる世界では、対処できない問題だ。

そうなると、自分の世界の外にむけて
「ひらく」ということが必要になってくる。

わかりやすくするために、
たとえば、自分とAさんとの間に
問題が生じているとして。

たいていは、自分とAさんとのにらみ合いの中で、
問題を解決していこうとする。
これが解決困難なばかりか、
ゆきづまってしまったときどうするか?

いったん、自分とAさんとのにらみ合いから、
視線をはずして、目を外に、
つまり、いま自分が持てる人間関係の外にいる人、
外にある物事に、自分を、ぐぐっと「ひらいて」みる。

そうして、自分の枠組そのものをひろげ、
再び、自分とAさんの関係に向かった時に、
まえとは、ちがった見え方ができる、という理屈だ。

自分を、自分の枠組の外に押し出す、
ということは、
つまり、「出逢う」ということだ。

わたしは、このごろ、
つらいところに追いつめられたとき、
心の中で、

「出逢う」

といってみる。人なのか、コトなのかわからない。
出逢う、出逢うと。すると少し風通しがよくなる。
つらい人が、自分を閉ざしているというのは、
まだ序の口で、ほんとうに人は追いつめられたら、
いまいる自分の領域の外に、
自分を「ひらかざるをえない」ところまで
いくのではないだろうか?

先日、ある学生さんを取材した時に、
非常にコミュニケーション能力が高いことに驚いた。

私に対する話し方もそうだが、
学生のうちから、取材したり、それを雑誌に寄稿したり、
国際的な活動に参加したり。

そのような自己はどうしてできたと思うか、
とたずねたら、

「自分が双子であったことが大きい」

と答えた。双子のもう一方は、天才肌で、
なにかにつけて、自分が劣るという意識をもっていたと。
その学生さんは、自分のいる日常世界がつらいからこそ、
その外に向けて、つまり、人や、社会や、海外に向けて
自分を、「ひらいて」、生きてきたんだと思う。

「出逢う」

そうそう簡単にいくものではない。
外に意識を向けたとしても、いま、
自分の心をとらえ、つらくさせている問題よりも、
大切なものなど、早々見つかるものではない。

でも、つらいがゆえに、目を上げて
つかみ得た世界は、やっぱり、身につき方がちがうし、
そうして、外をひとまわりして、
再び問題に向かった時、以前とは、
まったくちがった見え方になっているのも事実だ。

そして、ひらく前に、
「捨てる」ということがどうしても要るように思う。

脱出困難のつらい状態にあるときに、
たいていなにかを「守ろう」とか
「しがみつこう」としていることが多い。
これが視野を狭める原因になっている。

それを潔く、断つ、捨てる、ことが必要だ。

それは、何かを止めてしまうとか、
相手を切り捨ててしまうということではなく。
自分が執着し、視野を狭めているものの正体をつきとめ、
つきとめたら、それを自覚したり、人に言ったりして、
できるだけ、遠くにそれを「手離す」ような感覚だ。

自分が執着し、
視野を狭めているものの正体をつきとめるには、
「書く」ということが、とても向いているように思う。
私は「書いた」ことで、「捨てる」ことができた。

「捨てて、ひらく」

問題が起こる→守る→視野が狭まる→ゆきづまる
の回路からなかなか抜け出せないとき、

問題が起こる→捨てる→ひらく→再び問題に戻る
という行き方も試してみてはどうだろうか?


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-05-25-WED
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