おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson270 連鎖5 ―― 「おとな」というシステム 気恥ずかしいが、 ここ何週か、正面きって、 「愛」について考えてしまっている。 愛は、ごはんのように、 定期的に摂らないと生きられないもの と仮定してみる。 この仮定がすでに辛いと感じる人もいるだろうけど、 もうちょっとだけしんぼうして読んでほしい。 ほしい愛に干されつづけ、 心に食うものを、とってくる方法も、 つくり出す方法も、何も知らず、 「心の腹が減ってるんだ、与えてくれ」と、 声高に主張することも、 頭を下げて人に乞うことも、 全部できなかったらどうなるんだろう? 読者のSさんから来たメールを紹介したい。 <連鎖をとめたもの> 「連鎖」についての感想と、 僕の体験を送らせてもらいます。 「ほんとうの愛を与えられたことがなければ、 人をほんとうに愛すこともできない」 という事は、僕は"YES"だと思います。 僕は昔、 「自分は誰からも愛される価値のない存在だ」 という思い込みにとらわれていました。 昔、親に対して、 「自分が子供やったら、どう扱ってほしいのさ!!」 と、不満のあまり言ったことがありました。 その答えはハッキリとは覚えていませんが、 "わからない"という ニュアンスだったと覚えています。 なぜかというと、両親自体も "愛"を深く受けていない、という事でした。 父親は、 自分が何もわからないまま、自分の子供に接している という事を知って、 自分が求めている "親からの愛情・理解"というものが、 得られない事に気付きました。 しかも、父は、 悪気などなく、知らないという事なので、 僕は怒りのやり場を失いました。 「仕方ないんだな・・・・・」 という思い、絶望感に打ちひしがれていました。 納得はできても、 その飢餓感が満たされる事はありませんでした。 自然と僕は、今、よく言われているような "いきなりキレル子供"に、 なっていたように思います。 自分でも感情の歯止めがきかなかったのです。 いきなり怒ったり、 衝動的にイライラしたりしていた事を覚えています。 自分がおかしくなっているのを 僕は自覚せざるをえませんでした。 そのイライラで、 僕はある人に怪我をさせてしまいました。 いずれ、そのような事が起こりうると、 僕は薄々、感じていました。 いつか爆発してしまうんじゃないか、という事を。 周囲からも、責められました。 言われるまでもなく、自分の責任なのですが、 自分でも、なぜそんな事をしてしまったのか わからなかったのです。 自分でもわからない事を他の人に 説明できるわけがありませんでした。 僕は、自己嫌悪と孤独に追い込まれていきました。 誰にも、理解されない感覚と、 人に近づくのが怖くなるのをかんじていたからです。 自分の中に、爆弾を抱えているような気分でした。 いつ暴発するかわからないものが自分の中にある、 そして、今度は、 もっと大きな事をしでかすのではないか、 と思っていました。 "自傷行為"という事に近い事もやりました。 もし、その時に"リストカット"という 言葉はありませんでしたが、 もしあったなら同じ事をしていたと思います。 目を閉じて、静かに息をしていて、 自分の体の動作を確認するように 「・・・体は自由に動く・・・ でも、心が、おかしくなっている・・・」 と、思いました。 その頃の僕は、周囲に殺意を抱く事もありました。 「どうして、自分だけが こんなに苦しまないといけないんだ・・・ 何も、悪くはないのに・・・」 という思いが、自分を非難する人、 のほほんと気楽にしている同級生に対して、 怒りになって蓄積されていっていました。 でも、冷静になり、 我に返ると、自分も父親と同じ事を 周囲に対してやろうとしている事に気付きました。 おぼろげながら "連鎖"を、次の人にネガティブな事を 回していこうとしている自分に気付きました。 「・・・こんな事、僕は望んでいない・・・」 という思いがありました。 同じ事を繰り返しても仕方がなく、 どこかで流れを止めようとする意識が 強く働きました。 以来、僕は人との深い関わりを 拒絶するようになっていきました。 本を、よく読むようになりました。 人と深く関わるよりも、遊ぶよりも、 本を読む事で癒される、 という感覚がありました。 「愛は、たとえば、 ものすごくおいしい料理人の料理を食べたり、 大好きなアーティストのライブを見た後、 歌からも伝わってくるように、 作品を通しても、込め、 受け取れるものだと思います。」 というのも、とても納得できます。 昔の僕は、その"愛"を、もらって 暴発する事を防げたのだと思いますから。 心理学の本、歴史本などを、 ゆっくりとしたペースですが、 結構、読み込んだと思います。 他のジャンルの本も、読みました。 孤独な生活が多かったですが、 徐々に、知識と、そこに込められている "愛"というものに癒されていったと思います。 そこでチャージした"愛"を、 他の人に多少なりとも分配して、 "愛"を、得られたのかもしれません。 それに、自分でもわからない事が 自分と同じ年齢の人にわかるわけがない, という思いから、 自然と年上の人に近づいて行こう、 という意識が働きました。 同級生、同学年の人とは、 どうも気が合いませんでした。 というか、僕の飢餓感を埋められるのは、 "年上の人"なのだと思います。 今、僕の内面には、殺意は満ちていませんし、 怒りも、解消されたように思います。 ほんの少しずつでしたが、進歩しました。 現在、僕は、 まだまだ満足していませんが、もし、昔のまま、 "連鎖"を止める意識が働かず、 衝動のままに日々を過ごして いたなら、犯罪者になっていたかもしれません。 わかりませんが、そんな気がします。 長くなりましたが、こういう事をメールする機会も、 中々、ないので長々と書かせてもらいました。 ありがとうございます。 (読者 Sさんからのメール) 愛をごはんだと仮定すると、 こどもは自分で稼げない。 おとなから与えてもらわなければ食えない。 与えられないとき、 イラつくのは、とても自然のことだ。 Sさんは、よく耐えたな。 本から愛を摂取していったというSさんの行為は、 すきっ腹でイラつくときに、 畑に種をまくような、コツコツと根気のいる作業だが、 それだけに手堅く、個人の努力で、 心の養分を手に入れられる方法なのだと伝えてくれる。 もう一人の読者、Wakadoriさんはこう言う。 <おとなというものは> いわさきちひろさんの、「ラブレター」という本の、 いっちばん最後の一文なんですけど。 『大人というものはどんなに苦労が多くても、 自分のほうから 人を愛していける人間になることなんだ と思います。』 ほぼ毎日のように読み返していて、 ときにはひとりで暗誦してつぶやいたりして、 今も毎日、すごく大事にしてることばです。 ズーニーさんの言葉を借りれば、 自発的に愛情というゴハンをつくり、 自分で自分にチャージし続けられる、 その努力が苦にならなく続けられる精神力を持つことが、 大人になることなのかなと。 (読者 Wakadoriさんからのメール) 子どもはおとなから愛を与えられ、 おとなは、自分で愛の循環をつくり出す。 そう仮定したら、やっぱり、そのしくみが入れ替わる、 思春期は、精神的にきついなあ。 いま表参道で暮らしていると、 ここは恋人たちの街なのか、いやでも 手をつないだカップルに、次々でくわす。 以前は、あつくるしいと思っていたカップルを、 いまは、「うまくいけよ」と祈るような目で見ている。 カップルは、愛の製造機。 一組の好きあった男女が一緒にいるというのは、 つくづくよくできたシステムだな、と思う。 愛し、愛され、そこでは、愛が製造され、循環する。 恋人たちが幸せになってもらわないと困る。 いっぱい幸せになって、いっぱい愛を製造して 周囲におすそわけしていってほしい。 そうか、おすそわけする分を、 生まれた子どもに注ぐのだな、 そう考えたら、結婚というのも、 すごくよくできたシステムだ。 父さん、母さんで愛をつくり、 つくり出した分を、 自分ではまだ食っていけない子どもに与える。 結婚という形をとっても、この、 愛の循環がつくれなかったら、 おとなになりきれず。 結婚ではなく、 友情とか、ご近所とか、その他の人間関係や、 仕事でも、愛し、愛され、つむぎだした愛を 必要な人に注ぐ、という循環がつくれたら、 おとな、ということになる。 『大人というものはどんなに苦労が多くても、 自分のほうから 人を愛していける人間になることなんだ と思います。』 私は、ここへ来て、重要なことに気づいた。 おとなになったら、「愛する対象がいる」ということだ。 それは、男女の愛には限らないのだけど。 愛されたくても愛を与えてもらえない子供と、 愛したくとも、愛を注ぐ対象がないおとなと、 どっちが苦しいのだろう? すきっ腹もカリカリするが、 出るものが出せない、というのも、閉塞感がある。 「愛されるよりは愛したい」という人が、 出しどころをまちがうと、 一人っ子を溺愛しすぎる、というような、 過剰になったり、いびつになったりする。 「おとな」になるっていうことは、 自分に必要な愛は、自分でとってきつつ、 ちゃんと自分から愛を注ぐ対象を見つけ、 そこに必要な愛を注いで、 細々とでも、それを、 循環して続けていけるっていうことだ。 おとなになるって、やっぱりすごいことなんだ。 ………………………………………………………………… 『考えるシート』講談社1300円 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』 筑摩書房1400円 『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田ズーニー著 PHP新書660円 内容紹介(PHP新書リードより) お願い、お詫び、議事録、志望理由など、 私たちは日々、文章を書いている。 どんな小さなメモにも、 読み手がいて、目指す結果がある。 どうしたら誤解されずに想いを伝え、 読み手の気持ちを動かすことができるのだろう? 自分の頭で考え、他者と関わることの 痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。 (書き下ろし236ページ) |
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2005-10-19-WED
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