YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson272 「実」業と虚業


先日。
同じ日に、2件の違ったタイプのチームが、
オフィスに打ち合わせに来られた。

1件目は、東京の、いまどきの、
いわゆる情報産業で、
大勢のチームで来られた。

この方々の名誉のために言っておくが、
皆さん、失礼なところなどなにもない、
人柄も温厚、ものわかりもいい、

いわば、優秀でやさしい方々だった。

ところが私は、
ミーティングの最初の瞬間から
「なんか違う」という違和感があり、
それは広がっていく一方だった。

たとえば、研修の時間、ひとつを決めるにも。

事前に。
私が必要だといった所要時間は、30分削られた。

30分縮めて、
同じ教育効果をあげるのは容易ではない。

ところが当日、私がそのことを伝えると、
ボスにあたる人が、あっさり、
「ズーニーさんがそう言ってんだから、
 どっか削って30分伸ばしてよ」
という感じで部下に指示を出す。

部下たちは、否定も肯定もしない。
ただ、その日のスケジュール表をながめて、
含みのある表情で、だまっている。

そこを、ボスの声の強さに押し出されるようにして、
議事が、しっくりしないまま、次へ流れていく。

終始そんな感じで、
私が何か強く言えば、
ボスは、それに対して、
「できる限りズーニーさんの意に添おう」として、
部下に指示を出し。

部下たちは、それに対して、
否定も肯定もしないながらも、
「結局は、ボスの指示に添おう」
として、うながされ。

まったく衝突もないまま、
押し出されるようにして、
議事が次へ流れていく。

私にしてみれば、
ぶつかりあいを承知で、突き出したこぶしを、
否定もされないかわりに、
通じ合うこともない。

いや、それどころか、突き出したこぶしの先に、
「コツン」と触るものがない。

私は思った。

この依頼に「芯」がない。

あるいは、この依頼には「顔」がない。
といってもいいのかも知れない。

「顔がないね。」

昔、私が会社につとめていたころ、
外から訪れた人が、
私たち社員を見てそういった。
私がつとめていた会社も、
東京の、いまどきの、情報産業、
という範疇になるのだろうか。

外の人から、
「顔がない」とか「いい意味で素人っぽいね」とか
言われると、心外だった。

自分では、アイデンティティも
ポリシーもある仕事をし、
プロ意識ももっていた。
何しろ、みんな、寝る間も惜しんで
こんなに働いているのに、と。

でも、ときどき、不安がよぎった。
自分の仕事は、戦争とか、飢餓とか、
窮地に追い込まれたとき、なくても生きていける。

「お米をつくっている
 お百姓さんのような確かなもの」がない。
そういうときに、「虚業」という言葉がよぎった。

なにが「虚」なのか? なにが「実」か?

同じ日。
そのミーティングのすぐ後に、
地方から新幹線に乗って、
2人の男性が依頼にみえた。

クライアントである企業の担当者と、
その企業からイベントの委託を受けた代理店の人と。

とにかく、この依頼主には、
依頼でいただいた文章に非常に心を動かされていた。

ミーティングをはじめたとたんに、
私は、手を差し出せばコツンと触れる
とても「実」のある、感じを受けた。

たとえば、イベントの時間、ひとつを決めるにも。

私があれこれ言わなくても、
あらかじめ、
必要充分な時間をちゃんととってくれている。
しかも、予備の時間まで、
ちゃんと用意してくれている。

私が、そのことに感激すると、

クライアントの企業の担当者が、
おずおずと、分厚いファイルを取り出してきた。
「私はズーニー・ファイルと呼んでいるんですが……」

そのファイルには、
インターネット、その他で手に入る、
私の仕事に関する情報が、
ぎっしりとファイルされていた。

「ズーニーさんが
 これまでやられた講演やワークショップの
 所要時間を、調べられるだけ集めて、検討しました。
 その結果、必要充分な時間はこれだな、と……」
クライアントの企業の担当者は、
しずかに、しかし、自信をもってきっぱり言った。

そこには、
代理店に委託はしても、
クライアントの企業として、必要なことは、
自分で動いて情報を集め、自分の頭で考えて、
納得のいく判断をしていこうという
姿勢がかいま見えた。

私が、依頼文が素晴らしかった話をすると、

それを書いた代理店の担当者は、
はじめに、クライアントから委託を受けたとき、
自分は、ズーニーさんのことを
よく知らなかったのだと言った。
それから私の本を読み、依頼文に何を書こうかと、
ずいぶん悩んだと言う。

その依頼文には、
当日のイベントの参加者である、
「地方で就職活動をする若者」のことが、
考え抜かれて書かれていた。

そうなのだ。
その2人は、所要時間のことでも、
何を投げかけても、
必ず、当日のイベントの参加者である、
「地方で就職活動をする若者」のところに立ち戻る。
彼らにベストな環境で、教育の場を提供したい、
という強い想いがある。

1つ1つの議題を、そこに照らしながら、
自分で動いて、自分で調べ、
自分で考えて判断していく。

外注先はクライアントにおもねるわけでもなく、
クライアントは委託先に
まかせっきりにするのでもなく、
かといって2人は私に奉仕するのでもない。
最終的には、就職活動の若者のために、
釈然としないところは、
自分の腑に落ちるまで素朴に考え抜く。

「自分の畑から言葉をはやしている人たち。」

私はそう思った。
そして、あの情報産業のチームは
関係性をとらえることに優れていたと思った。

その場にいる人たちの、
それぞれの言い分をわかり、
関係をとらえ、自分の立場をわきまえ、
出てくる意見と意見の、調整にまわっていくと、
物事はスムーズに進み、
そこそこの出口が見えてくる。
なんとなく考えた気にもなる。

でも、このようにして流され、そのままいくと、
やがて、自分の畑は、
ペンペン草1本も生えない畑に枯れていく。

なにが「虚」なのか? なにが「実」か?

地方から来たクライアントは、
たとえば水とか電気のように、
それがないと
たちまち生活に困るものを扱っていた。

でも、そういう業種ではなく、
地方か、東京かに関係なく、

自分の畑から生えた言葉、生えたアイデアで、
勝負し、状況を切り拓いていくことが、
「実」のある仕事をしていると言えないだろうか。

自分の畑から言葉をはやし、畑を耕しつづけるには、
面倒と不安を引き受け、
自分の頭で「考える」しかないのだと私は思う。

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『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-11-02-WED

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