YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 273 やりたいことを発見する方法


先日。

大学のオープンキャンパスで講演したときに、
客席で、ひときわ光っている女子学生がいた。

彼女は、ずっと手話通訳をしていた。

手話通訳をしていたから光っていたのではなく、
それがほんとに彼女のやりたいことで、
彼女に合っていて、人からも歓ばれて、

彼女は居場所を得て、そこに活きていた。
それが光って見えた。

講演のあと、
彼女が、スクールカウンセラーの先生と
話をしているのを聞いていると、

彼女は、大学にはいるまえから
福祉の仕事がやりたくて、
やりたくてやりたくて福祉系の学部にはいったらしい。

福祉なら、養護学校の先生と思い、
大学で一生懸命勉強した。

彼女が養護教員になるために、
どんなにまじめに取り組んでいたか、
言わなくても、言外に伝わってくる、
それほど、養護教員は彼女の「やりたいこと」だった。

ところが。

教育実習で、
はじめて養護学校の現場に出たとき、彼女は、

「これは私のやりたいことではない。」

と、すぐ、気がついてしまった。
「あ、これ、ちがうな。とすぐわかった」
という彼女の言葉には、いちぶの迷いもない。
「確信」があった。

それから彼女は、
それまで取り組んできた進路を潔く捨て、
社会福祉士にコースチェンジし、
そのために今、生き生きと大学で勉強している。

私は、すっかり感心してしまった。

現場に出て
「あっ、これはちがう!」
と気づける直観力もそうだし、
気づいたときに、
「これまでの努力はなんだったんだ」とか、
「これまでとった単位が惜しい」とか、
これまで信じてきたものにしがみつこうとせず、
あっさり捨てて、進路を変更できる潔さにもだ。

ずっとずっと
真面目にやってきてこその「直感」だったと思う。

あとから、
彼女の話を聞いていたスクールカウンセラーの先生が、
彼女のそのときの想いを、わかりやすく、
こう代弁してくれた。

「彼女は、障碍者を
 “教育”したかったんじゃなかったのね。
 養護教員、“教員”っていうと、教育だから、
 障碍者を教える、指導する、
 どうしても高い目線から“導く”って感じになる。
 でも彼女は、もっと、障碍者と同じ目線で、
 障碍者のやりたいことをサポートする、
 一緒にやる、というか、
 彼女は、障碍者を“支援”したかったのね。」

やりたいこと=福祉でも、
どの立ち位置をとるかによって
自分のやること、目指すゴールはずいぶん違う。

私は、現場に身を置いたとき、
一瞬で、この違いをかぎ分けた彼女の直観力に
ますます感じ入ってしまった。

やりたいことはどこにある?

私は、かつて、
高校生の自己発見、進路発見をサポートしていたとき、
はじめは、「やりたいことは自分の中にある」
という誤った考えを持っていた。

だれでも、
もともとやりたいことが自分の中にあって、
自分の中の好きを分析し、
そのベクトルで、自分を磨き、
自分がより強く、より賢くなれば、
より技術を磨いていけば、
やりたいことは見つかるし、できるんだと。

でもこの仮説は、自分の人生を通してみても
あっさり崩れてしまう。

私がやりたいことは「編集者」。
目指していたのは、人が持つ「考える力・表現力」を
生かし伸ばす「教育」の仕事だ。

それを大事に、自分を磨き、技術と経験を積み、
自分のサイズの中で、より強くなっていった果てに、
会社の中では、やりたいことがやれなくなってしまった。

自分さえ強かったら、会社の外なら、
やりたいことが存分にできるかと、会社を辞めたら、
ますます「やりたいこと」はできなくなった。

ゆきづまり、
やりたいことがなんだったかも、
自分がなにかも、ぼやけ始めたそのときに、

「山田さんに、
 編集者じゃなくて、
 直接、本人に文章書いてもらったらどうか」
「直接、教壇に立ってもらったらどうか」
と発想した人がいて。
言われるままに一生懸命やってみたら、
「それはいいね」といってくれる読者がいて、
「いいね、いいね」といってくれる生徒がいて、
いつしかそれが、
自分の本当にやりたいことだったと気づかされた。
つまり、

やりたいことは、
人とのつながりの中に見つけていくしかない。

「編集者こそ一生の仕事」
と信じきっていた私にとって、
自分が直接、本を書く、
自分が直接、人前で何かする、
というのは、アイデアさえ、
やりたいことの選択肢にさえなかったものだ。

私の場合、やりたいことは、
人に引き出され、導かれして、
はじめて見つかっていった。

やりたいことは、人とのつながりの中にある。

こう定義すると、やりたいことは、
コネ、だとか、人間関係の中にある、と誤解しがちだ。

私も、会社を辞めて進路に迷っていたとき、
いわゆる人間関係を求めて、名刺交換会のような、
パーティーだとか、会合に足を運んだことがあった。
でも、これはちがうな、と引き返してしまった。

「人とつながる」ということは、そんなに甘くない。

ただ人間関係を大事にしていれば……、
相手の言うことを素直に聞いていれば……、
毎日顔をあわせていれば……、恩を売っておけば……、
つながっているかというと、
ツナガッテナイ、どころか、
相手の記憶にさえ上らないこともある。

人とつながりたいなら、
自分の中にあるのものを出して、表現するしかない。

自分の中にある、感情、想い、考え、を、
言葉なり、行動なり、生き方なり、
なにかの手段で、カタチにして、人に見せる必要がある。

「それ、いいね」と人に言われるか、
人が引いてしまうか、ともかく表現してみないことには、
自分と人のつながりは始まりようがない。

自分の中にあるものを、
人前で出してみて、
その反応によって、
引き出される自分、導かれる自分、
その延長線上に見えてくる「やりたいこと」は、
自分の意志とも、他人とも、
ひいては社会ともつながっている。
しっかりとしたスパイラルをつくっていく。

冒頭の、手話通訳をしていた女子学生も、
ずっとずっと
福祉のことを想い、考え、行動していたからこそ、
教育実習という場に身を置いたとき、
お客さんにまわらず、尻込みせず、
日ごろ自分が想っていた福祉へのアイデアや考えを、
自ら表現してみたにちがいない。

表現したからこそ、人の反応を通して、
一瞬にして、これは違うと、
確信することができたのではないだろうか?

では、自分の中にあるものをどうやって外に表すか?

音楽や小説だけが表現ではない。
言葉だけが表現ではない。

たとえば、頼まれて敬老会の手伝いをするにも、
そこにくるお年寄りの想い出になるような花を生ければ、
それが自分の表現になる。無数の手段がある。

いま、わきおこってくる、
感情や想い、アイデアや考えを、
なんとか形にして、なんとか目の前にいる一人の人に
通じさせようとおもうこと、
おもってとにかくやってみること、
やりつづけること。

いま、ここから、自分の表現ははじまると思う。

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『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-11-09-WED

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