YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 275 哀しみは後から満ちてくる


先日、
踊りをやっている友人と会った。

彼女はこの秋、

16夜の大きなお月さんのもと、
蓮の葉生い茂る、池の上のステージで
かなり大きなコンサートを成功させた。

自分が主演して、
あんな大きなステージをやりとげて、
後の気持ちはどうだったのだろう?

「嬉しかった」と彼女は言う。

コンサートが済んだその日は、
ほんとうに嬉しくて、
月もきれいで、
みんなと打ち上げにいって。
直後は、嬉しい気持ちで過ごしたという。

ところが、

日が経つごとに、
少しずつ、少しずつ……、

しばらくして、ズーーン、と
気持ちが沈んでしまったのだと言う。

「祭りのあとの感じですかね?」

一緒にいたもう一人の友人が言った。

お祭りのあとは、哀しい。
特にふるさとの、秋祭り。

私にも、似たような経験があるので、よくわかった。

私も去年、
霞ヶ関のホールで700人の講演をして。
それまで、書くものがスランプだったり、
新しい仕事が始まっていて不慣れだったり。
でも、そんな状況だからこそ、ひたむきに、
講演のために、毎日、マラソンや
ボイストレーニングもして、
講演が大成功で、
700人の人と通じ合えて、
ほんとうに嬉しかった。

「ああ、これで、
 長いスランプからようやく抜け出せた!」

そう、おもった矢先、
いちばん歓んでいい時期に、
どうしてか、しばらくして、
ズドーン、と、落ち込んでしまったのだ。

2週間くらい、
外出もせず、人にもあわず、沈んで暮らした。

戯曲を書いてる友人にそのことを話すと、
彼女もやっぱり、
長い創作の苦しみをどうにか抜けたあと、
自分の作品が演劇関係の人に評価され、
歓んでいい時期に、
なぜか、ズドーン、と、落ち込みが来たという。

これは何だろう?

この、
あとから、ひたひたとしのびより、
やがて、ズーン!とくる、「沈み」は?

それが、昨年来の、私のなぞだった。

踊りをやっている友人は静かに、
手振りをまぜながら、こういう意味のことを言った。

「ああいう、大きなコンサートがあると、
 日々のちょっとちょっとしたことだけど、
 その、ちょっとちょっとのことを、全部、
 コンサートに向けて合わせていって……。

 それで、コンサートが済んでしまうと、
 もうそういうものがなくなってしまって。

 日々のちょっとちょっとのことで、
 それがズレていくというか、
 ひとつひとつ、
 いまは、もう、あれをする必要がない、
 これをする必要がない、
 と気づかされていく。

 日々のちょっとちょっとしたことだけど、
 (それまで自分が懸けていた)
 あれがない、
 これがない、
 と気づかされていって、
 それがたまっていって落ち込むのかな……」

私は、なんだか、その話をきいて、
とても腑に落ちた。

哀しみは後から満ちてくる。

そういえば、ステージの2週間ほど前に、
彼女をライブに誘った。

「気分転換にどう?」
という私のことばに、
「気分転換、そういう発想もしていいんだ!」と、
いまさらのように彼女が言った。

彼女は、ライブに来ても、お酒を飲まなかった。
1ヶ月ほどまえから節制に入っているのだといった。

彼女は仕事を持っているので、
昼休みに走ったり、
トレーニングにも余念がなかった。

「今回は、演出とか、そういう外側でなくて、
 自分の内面をちゃんとつくって、
 内面からのものを、感じてもらえたらいいな」
ということを言っていた。

日々の生活。
食べるもの、飲むもの。
からだ。

心。

そのひとつひとつを、
ささやかだけど、
ひとつひとつ、だから、結局は全部、
ひとつのものに向けて、懸けていって。

自分でも知らないうちに、
そのひとつのもののための、
生活と習慣が築かれていって。

それが、彼女のように結実して終わる場合もあるし、
それが失敗して終わる場合もある。

いづれにしても終わったとき、その直後は、
喪失感はまだ、小さい、のだ。

ひとつひとつ、
小さな積み木をコツコツ積みあげるようにして、
その日までやって来た。

今度は、
ひとつひとつ、
その積み木を解体していくようにして、
ひとつひとつ、
終わったことを自覚していかなければならない。

私も、初めてテレビに出て
済んだ後、そうだったな。

日常の、食べるということひとつ、でも。
もう、炭水化物を食べていいんだな、と気づく。
もう、画面で顔が膨れて見えるからと
体重を落とさなくていいんだ、と。

街へ出ても。
もう、テレビに着て出る服を探さなくてもいいんだ、
と気づかされる。

もう、テキストの締め切りもない。
もう、編集の鈴木さんから電話もかかってこない。
その、ひとつひとつに「終わった」ことを気づかされる。

終わりは後から満ちてくる。

急に、いままでそれに向けていた、
習慣、からだ、心はかわらないから。それがズレて。

終わったということは、そのズレに出くわすたび、
あとからひたひたと、押し寄せる。
それに向けた習慣がもういらないと自覚し、
あらたな、生活、からだ、習慣が立ち上がる、
その日まで。

それをわかっていながらも、
いま、自分の中に、
「そのひとつ」が生まれはじめている。

やがて、生活の、心の、からだの、
ちょっとしたことを、それに向けて意識しはじめ、
やがて、ゆっくりと、
「そのひとつ」は、習慣の隅々を、
支配しはじめるだろう。

その先、それを喪失したら、
自分は、どうなるのだろう?

それでも、そのひとつに懸けていく勇気を持ちたい。

喪失のそのまた先にある、
日々大きくなる哀しみの分まで覚悟して、
それでも引き受けて、
私は、それに飛び込みたいと思う。

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『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-11-23-WED

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