YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 283  分岐点


5年つきあった恋人と、
自分の言った
「たった一言」が原因で別れたという人がいた。

「あの一言が原因で‥‥」
と悔やむその人に、ある人が言った。
その一言は原因ではないと、

「5年もつきあって、
  たった一言が原因で別れるようなことはない」と。

事情はまったく知らない私だが、
この言葉にすごく感じるものがあった。

分かれ道は、もっと前に来ていたのではないだろうか。

もっと水面下で、
もっと静かに、
もっと決定的に。

道が分かれて、
最初は目に見えないちょっとの距離が、
水面下で、しだいしだいに大きくなっていって、
ついに水面化に隠しきれなくなって、
水面に現象となって顔をあらわしたのが
その「一言」ではなかったか。

だったら、そのおおもとの「分岐点」はどこか?

人と人が出逢ったり、
別れたり、
成功したり、
転落したり、
人生は不思議だ。

その理不尽さに、
「あのとき、あっちを選んでいればよかった」
「あのとき、こっちを選んでいてよかった」と、
私は、原因を目に見える現象に求めてきた。

だけど、最近はそうでなく、
よくもわるくも、
自分をこの道に入り込ませた決定的な原因は、
もっと見えないところで起こっているんじゃないか、
と思うようになってきた。

人は日々あたらしく生まれ変わっている。
たいていのことはやり直しがきく、と思う。

だけど、よくもわるくも、
それをいったん選んでしまったら二度と引き返せない、

「分岐点」

みたいなものがある、
と私は思う。

それにのったら、二度と、もとには、戻れない。

私自身、気がつけば、
どっぷりといまの道にはまりこんでいる。
6年前からは想像もできない。
仕事も、住むところも、生活の構造も、
関わる人もまるで変わった。
6年前とは、ずいぶん遠く流された、
別人になったような部分さえある。

いまの自分を決定づけた「分岐点」はどこだろうか?

2000年に会社を辞めたことが、まず思いつく。
あれが「運命の別れ道」と思っていたけれど、
実は、そうじゃなかった。
会社を辞めるか辞めないかずいぶん悩んだけど、
それは人生を決定づける問題ではなかった。

別の会社に入り直せば、
それまでと似た構造の道を再び歩きだせるからだ。

いま思えば、
会社を辞めたことよりは、
その少し前にロックに出逢ったことの方が大きい。

そのころ高校生向けの編集をしていた私は、
取材のときに、高校生のカバンの中から出てきたCDに
目が留まった。

それは当時、高校生から絶大な支持を集めていた
ロックバンドのCDだった。

家に帰ってテレビでそのロックバンドを見た翌日、
手に入るすべてのCDとビデオを買って帰った。

それまで音楽は、優しいものが多く、
その類の音楽はほとんど聴いてこなかった。

ヘッドフォンをつけ、ビデオを入れるときに、
どうしてか、これを見たら
二度と、見る前の自分には戻れないような気がした。

それからライブにいくようになり、
皮パンを履いたり、有刺鉄線のチョーカーをしたりした。

ロックは破壊と創造だ。

よくもわるくも影響の強い音楽だと思う。
自分の中の破壊的な部分はそれでむくむくと
起き上がったと思う。
固まりかけた自分をぶっ壊したいと
どこかで思ったのだろう。

その日から1年半後に
会社を辞めたことも無関係ではない。

16年近くつとめた会社を辞めたのは、
やっぱり目に見えた現象に過ぎず、
水面下では、もっと前に分岐点が訪れていたと思う。

その元をずーっとたどっていくと、仕事で、
画家の横尾忠則さんに会ったことにいきあたる。

それまでの人生で接点のなかった「芸術」というのが
自分の中に入ってきた。
思えばそのときから、
「うそをつかない」
という自分の生き方が始まったように思う。

私は、芸術や音楽が人生を変えたと言いたいのではない。

そういばっていえるような、
高尚な人間じゃない。

うちは、ゲージツに親しむような家庭じゃなかったし、
音楽もそんなには聴いてこなかった。
それだけに、一気に正直に影響を受けたのだと思う。

ゲージツも音楽も、心に作用するものだ。
だから素晴らしく、一方で、とても恐ろしい。

私が言いたいのは、たぶん、
「分岐点」は、その人の「心の変化」にある
ということだ。

人には「心」がある。

結局は、この、「心」が向かうところへ、
自分の身体も、暮らし方も、
人生もついていってるように思う。

だから、自分の心が向かう先が変わるような出逢いは、
たとえそれが、最初は、目に見えない、
ほんのちょっとの方向の変化でも、
やがて無視できないくらいに
大きくなってしまうように思う。

逆に、異動とか、転勤とか、転職とか、
大喧嘩するとか、成功するとか、おおきな失敗とか、
目に見えた大きな変化があっても、
その人の心の向きが変わらなければ、
「分岐点」にはなりえない。

心が向く、というのは、平たく言えば
好きになる、ということだ。

恋愛が人生をくるわせるというのも、わかるな。

何と出逢うか、何を好きになるかは、
心が方向転換を起こすから、
だから、危険で素晴らしい。

好きになってしまった以上、心は、もとには、戻れない。

私の場合、はじめは、「書くこと」が
苦しくて、孤独で、いやだいやだと思っていた。

「書くことが好き!」
という人の気が知れないと思っていた。

でもいつのまにか、
好きになりかけている。
好きというと、いまだに反発したくなるけれど。

私は、文章にしても、音楽にしても、映画でも、
「表現」は、一生、
受け取る側で楽しんでいたいと思っていた。
もしくは、編集者として
表現する人のサポーターでいたいと。

でも、会社を辞めて、
偶然にも書く機会を与えてもらって、いつしか、
「書く」ということの歓びに出逢っていた。

これが、たぶん、
いまの人生を決定的に方向づけたと思う。

「表現する歓び」と出逢ってしまった。
そこに、心が向いたことが、
やばくも、素晴らしくも、
自分の「分岐点」だ。

その心の向かう先に、
仕事も、住むところも、生活も、
身体の方が追っつかなくって
一生懸命追いついていっている感じだ。

それにのったら、二度と、もとには戻れない、

あなたの「分岐点」はどこですか?



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『おとなの小論文教室。』河出書房新社


『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2006-01-18-WED

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