おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson 284 強いテーマ 単行本『おとなの小論文教室。』の アマゾンの書評に、このように書いていた人がいた。 自分の本へのよい評価を 自分で採りあげることがカッコ悪いとわかっていても、 そんなことぶっちぎって、胸を打つ文章だったので、 あえてのせようと思う。 <『おとなの小論文教室。』感想> 僕は現在、フリーズ中です。 教室に自分はいるけど、誰も自分を見ていない。 いないことと、同じになっています。 そんな状況が嫌で、いま、引きこもっています。 そんな時に、この本で出会い、考えました。 考える、考える、考える・・・ そして思ったんです。 「相手は、僕を知らない。 いま僕が悩んでいることも知らない。 それではいつまでたっても、ラチがあかない。 とにかく、学校に行く。 何も話すことができなくても、 話せないでいる僕をクラスメンバーに伝えないと、 何も始まらない。 正直、何もできないでいる自分を見せるのは、きつい。 でも、それをしないと、相手は僕を考えてくれない。」 つい、その表現に疲れて、 逃げそうになった時、逃げてしまった時。 この本を読んでいます。 そして、 相手に自分を伝えることは間違っていない。 それがクラスメイトとの間に、 何かを切り開ける手段だと確認しています。 多分、学校を卒業して 今なやんでいる問題がなくなっても、 この本は読み続けます。 だって、 自分を伝えることが 自分をひらく手段ですから。 (ぽよ・ん “ぽよ・ん” さん、 アマゾン書評より全文引用) 書いて、よかった。 心底そう想った。 「何も話すことができなくても、 話せないでいる僕をクラスメンバーに伝える」 という言葉に、まず、ぐっと、心をつかまれた。 なんという自由な意志。 どんなに閉塞した状況でも、 どんなに選択肢が限られていても、 そこに自由になる道はあるんだと、 この文章はおしえてくれる。 先週のこのコラム、「分岐点」を読んだ、 読者のKonnoさんは言う。 <私の分岐点> 私は38歳の会社員ですが、 転職のタイミング(分岐点) を会社の仕事の内容そのものに求める人がいますね。 ・自分の仕事がやりたいものでは無くなったから ・今のポジションでは自分のやりたい事ができないから ・リーダーをしていたプロジェクトが終わったから これは永遠に何かを求めているようなもので、 どこかに移ってもまた似たような事が 起こるような気がしてます。 私の分岐点は、 「これは自分の責任だ」 「今の環境は自分が作り出したものだ」と 本当に思えたときでした。 ・今の仕事が辛いのは自分の責任だ ・(何かが)思うようにならないのは自分の責任だ 自分を責めるのではなく、自分が源だ、と考えたときに 自分から環境を変える一歩を踏み出せる。 行動を起こす選択肢が増える。 そんな感じでしょうか。 そう自分で思えた昨年の8月、 転職の行動を起こし、 自分の資質をより活かせる別の会社で、 新しい仕事を今しています。 たった一言で恋人と別れてしまったという人は、 「別れてしまったのは自分に原因があるんだ」 と心から思えたときに (繰り返しますが自分を責めるのではなく)、 初めて新しい人間関係に踏み出せるように思います。 自分の何かに問題があったと思ったら、 次からそれをしないようにすれば良いんです。 それは別に悪いことでもなんでもない。 そうでない限り、自分を被害者の立場において、 誰がわるい、あのときの何が悪いと いい続けてしまうような気がしてます。 (読者 Konnoさんからのメール) 「自分が源だ、と考えたときに 自分から環境を変える一歩を踏み出せる。 行動を起こす選択肢が増える。」 冒頭の少年の言葉にも、 この、選択肢が増える、自由を感じる。 「教室に自分はいるけど、誰も自分を見ていない。 いないことと、同じになっています。 」 この状態がどれだけ骨身にこたえるか。 私が単行本に収められている原稿を書いたころは、 ちょうど「編集者」という自分の「名まえ」を失い、 「社会とのリンク」を失い、 日々、消しゴムで消されていくような感覚だったので、 実感として伝わってくる。 ふつうに考えれば、この少年は、 まわりを責めても、自虐的になっても、 無理もないとゆるされる立場だ。 にもかかわらず、この少年は、 まわりを責めることもせず、 自分を責めることもせず、 そうした表現をこらえて、 まっすぐ、自分に問うている。 「自分は自分をクラスメートに伝えているか?」と。 そして、 「自分は何もできないでいる。 よし、これを伝えよう。 この姿を、見て、もらおう。」と。 自分の人生を作品として、 どっかなにかに提出するとしたら、 これ以上に強いメインテーマのとり方はない。 「よし、これを伝えよう!」 私も、まったく同じことを心に決めたときがあった。 2000年、目にふれ、手で触れるところに、 自分の社会的な部分を、これまでの経験を、 承認してくれる一人の人間もいない。 そんな毎日が、きのうとまったく同じかたちで、 くる日も、くる日も、つづく、のは、 おとなになっても、やっぱり、つらい。 ぐらぐらし、存在が薄れていく自分が、 人生の先輩づらして、 この「おとなの小論文教室。」の 教壇の高みに立つのにも、限界があった。 「よし、これを書こう。 このぐらぐらした かっこわるい自分を読者に見てもらおう。」 あのときから、自分の表現が、はじまった。 あのときから、書くテーマは、格段にひろがった。 気がつけば、あのときから、 以前自分が編集していた媒体をはるかにうわまわる、 たくさんの読者の共感が 寄せられるようになっていった。 人生でいちばんかっこ悪いときの自分が、 いちばん人を励ましていた。 きっと人は、生きるのがつらいときほど、 ただ、生きてるだけで、輝いている。 何度逃げ、何度休んでもいいから、またもどってきて、 そういうときほど、自分を表現していたいと私は思う。 「黙る」ことも表現だ。 「なにもいえない」ことも表現だ。 「あさ会社に行く」、それも表現だ。 自分のいる空間に一人の理解者も得られない、 それは本当につらいことだ。 逃げそうになったり、 逃げてしまったり、 その姿も正直にみせる。 また戻ってくる。また、なにもできない自分がいる。 その姿を、見て、もらう。 存在そのものを伝えていく。 これが表現だ。 いちばん強い表現だと私は思う。 ………………………………………………………………… 『おとなの小論文教室。』河出書房新社 『考えるシート』講談社1300円 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』 筑摩書房1400円 『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田ズーニー著 PHP新書660円 内容紹介(PHP新書リードより) お願い、お詫び、議事録、志望理由など、 私たちは日々、文章を書いている。 どんな小さなメモにも、 読み手がいて、目指す結果がある。 どうしたら誤解されずに想いを伝え、 読み手の気持ちを動かすことができるのだろう? 自分の頭で考え、他者と関わることの 痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。 (書き下ろし236ページ) |
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2006-01-25-WED
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